私たち家族の介護を支えた父の言葉
父の介護が始まったきっかけが、少々入り組んでいました。
父は、70を過ぎたあたりから、何度か脳梗塞を起こしました。
脳梗塞が起きて夜中に父が歩けなくなったことがあり
母に呼ばれて、家族が集まりました。
病院へ向かうタクシーが来る間に
父は集まった家族を一人一人愛おしそうに見つめ
「ばってんよーかじんしぇいじゃった!
しごつにも家族にも恵まれた。神様が見ててくださったちおもうー!!」
(本当に良い人生だった。
仕事にも家族にも恵まれた。神様が見ててくださったのだと思う)
とニコニコしながら言ってくれました。
*父は特定の宗教を信じている訳ではなく
あえていうならお天道様を信じているような宗教観です。
この時は結局、父は2〜3ヶ月ほどで退院をし
毎日1時間以上の早朝散歩などを続け
要介護3から最終的には要支援3まで上がり
問題なく日々を過ごしていました。
あの時から10年以上経ち、今回、父が過去最大の脳梗塞を起こし、
介護に至るまでの間、私は何度もこの言葉を思い出しました。
コロナ禍で入院していた父がどのような状態でいるのかもわからず
次に会うことが叶うものなのかも
分からなかった時に
「父が人生に満足していた。」と思えたのは何よりも最大の励みになりました。
「もし二度と会えなくても父は自分の人生に満足していた、大丈夫だ。
問題は『私たちが寂しい』というだけなんだ。」と何度も自分に言い聞かせることができました。
同時に、もうあとが無いかもしれないというときに、
子どもや孫、残されたものの気持ちを考えて
自分の人生は良い人生だったと
にこやかに言ってくれる
父の男気を考えると
もっともっとまだ近くにいて
困った時には相談させてほしい、当たり前のように存在して
へこたれた時には、いつも通り笑い飛ばしたり、喝を入れてほしいと
どうしようもなく甘えた寂しい気持ちにもなりました。
父の介護を始めて二年近く経ちます。
最後の最後まで父の「良い人生だった」という思いを変える必要なく生きることをどうにか守りたくて介護をしています。
今のところ私にとって介護は、残酷で大変で楽しくて幸せで
背筋を伸ばして取り組みたい
人生の大仕事のような気がしています。
次は、もう少し具体的な介護の話をしていきます。