過去への思い出旅
はじめてのNOTE
「どんな人生でしたか?」と
誰かにきかれたら、すぐに答えられます。
「やたらと、物事にこだわった人生でした」
「とてもたのしかった」と
そこで、面白かった本をもう一度読み返すように
楽しかった思い出を
もう一度味わい返してやろうと考えて、
記事を書き始めたのが
#NOTE を始めたきっかけです。
私のプロフィールです。
北九州の小さな村で生まれ、
小学校高学年のときに骨董屋を目指した。
中学生のころに獣医へと目標を変換し、
高校時代に今度はインテリアデザイナーに方針変換。
卒業後の進学先をムサ美のデザイン学科に決定。
一次試験はOKだったが、二次の実技試験でOUT。
家庭の事情があって、2年後にムサ美入学、そして上京。
1,2年次は普通の美大生、
3,4年次はテレビ局の契約社員として、アルバイト。
毎日、局に出社しスタジオで番組制作の下働きしてました。
3,4年生で、合わせて50日くらいしか大学に行ってないのに、
どうして卒業できたのか、不思議です。
50歳くらいまでは、睡眠中に時おり「卒業できない!」
という夢で、夜中に目が覚めることがありました。
きっと、罪の意識みたいなものが消えないんでしょう。
卒業後は、大手婦人服メーカーでサラリーマン。
退職して、配達のアルバイトをして生計を立てました。
小売店のスタッフを経て、化粧品販売会社を起業。
40歳に、幼い頃からの頃からの念願であった骨董屋になりました。
大変な幸運が重なって骨董屋になれました。
本当に今振り返っても、とてつもない幸運でした。
スゴイ師匠に出会えたからです。
あんなきびしい業界に飛び込んだのに、すぐに生活が成り立ったのです。
自分の夢の為に、家族を路頭に迷わすことなく生活することができました。
50歳を過ぎて実家の都合で北九州に帰郷しました。
今は、昔馴染みの人たちのおかげで、
地元に職を得て平穏に暮らしています。
あの東京での10年間の骨董屋生活は
夢のような日々でした。
それもこれも、#骨董屋 として指導してくれた
あの師匠のおかげです。
日本中探しても二度と巡り合えないと思います。
数年まえに病気で亡くなりましたので、
こうして思い出の中でしかお会いできません。
何時までも感謝の気持ちは持ち続けるつもりです。
最後に口絵の説明をします。
これは母が人形ケースに飾って大事にしていた
小さな工芸品の内の一つです。
大正時代の母が女学校の時に買った話を聞かされていたので
80年近く、母に愛でられたものです。
プロフィールに書いたように、思うがままの人生を送ることが出来ました。
親族には、サンザン非難されましたが
母は、どんな相談を持ち掛けても、
一度も反対したことはありませんでした。
いつも優しく応援して、見守ってくれました。
残りの人形を飾るために、ケースを自作しました。
こんな母を持てたことが、わたしの最大のラッキー!!です。
おかげで、楽しい人生を送ることができました。
そんな意味合いもあって、この画像を選びました。
面白いことがたくさんあったので、
一生懸命思い起こします。
これから長いはなしになりますが、
宜しくお願いします。