衣服、アクセサリー、家具、雑貨、道具などに触れたとき、風合い、あるいは手触りといった質感に魅了されることがある。食べ物や飲み物を口に入れる場合、味や香りのみならず、食感や歯ごたえ、舌触り、喉越しも楽しんでいるはずだ。映画の場合であれば、ストーリーや俳優の演技、画面の構図、カットのつながりだけでなく、画面の色味や明暗、温度、湿度といった要素が好き嫌いを左右する。
アリス・フィービー・ルーの新作『Shelter』を再生してまずサウンドのテクスチャーにうっとりせずにはいられなかった。全体がすこし歪んでいて音の粒子が粗く、ずっと指で触れていたいと思うような音だ。より即物的にいうのなら、70年代初頭にアナログ機材でレコーディングされたシンガー・ソングライターのアルバムを連想させるヴィンテージっぽい音作りが琴線に触れたわけだ。
アルバム冒頭の「Angel」がヴォーカルで始められるところからも窺えるように、『Shelter』がルーの歌唱を中心に据えた作品なのは間違いない。シンガー・ソングライターのアルバムなのだから当然といえば当然か。しばらく聴いていると、ルーが一節を一息で歌っている点に気がつくだろう。線が掠れるまで息を引き伸ばして歌うのが当作品におけるルーの歌唱法である。まるで誰にも気づかれないようにこっそりと深いため息をつくかのような歌い方だ。
ルーが母音を引き伸ばして歌うとき、息が喉頭にこすれて、うっすらと毛羽立ったような声になる。じゃりっとした粒子が声に含まれている。このことを踏まえると、作品全体に70年代前半的な音作りが施されているのも腑に落ちる。イエベ・ブルベなる言葉をたびたび見かけるが、声をベースに考えた場合にも当然、それに合致するサウンドのトーンがあり、ルーの場合は、それがアナログっぽいざらりとした質感のトーンだったというわけだ。
アレンジも当然ルーの歌声が持つテクスチャーが映えるものでなければならない。『Shelter』に収録された楽曲の多くが、垂直的な発想でアレンジが固められている。垂直的な発想とはつまり音のレイヤーを重ねるようなアプローチのことだ。ギターと鍵盤はそれぞれ白玉系の音価の長いフレーズを演奏してコードの響きを積み重ねる。各レイヤーの倍音が溶け合うと織物状になった音が現れる。これを図と地でいうところの地に見立て、ルーはそこに長い糸でもって刺繍をほどこしていくわけだ。こうしたアプローチは「Angel」、「Open My Door」、「Lately」、「Hammer」のような曲に見られる。
ソングライターとしてのルーの作風はすこしオールドタイミーなところがある。レオン・レッドボーンまではいかないが、マーティン・マルほどには古風だといえる。あるいはジョン・セバスチャン、ハリー・ニルソンの作風のような小粋な印象も受ける。同時代のミュージシャンでいえば、シカゴのホイットニーの取り組みに近いといえるかもしれない。
最後にプロフィールにも触れておきたい。アリス・フィービー・ルーは南アフリカのケープタウンに生まれで、現在はベルリンを拠点に活動している。元々、駅や公園、ストリートで歌っていたそうだ。2016年の『Orbit』でデビューして以来、『Paper Castles』(2019年)、『Glow』、『Child’s Play』(ともに2021年)とコンスタントに作品を発表してきた。この度リリースされた『Shelter』は5枚目のアルバムとなる。プロデュース、ミックス、マスタリング、録音はDavid Parryが担当した。Parryはカナダのバンド、Lovingのメンバーで、ルーのバンドではギターを弾いている人物だ。ルーとは3作目『Glow』からの付き合い。ルーはレーベルには所属せずに活動するインディペンデントなミュージシャンである。『Shelter』も例によって自主リリースの作品だ。これまでもたびたび来日しており、今年の3月にも日本ツアーが開催されていた。ルーのバンドで鍵盤を担当するジブ・ヤミンとstrongboiとしても活動しており、今年の2月にはアルバムをリリースしている。