K-POPは好きだけど、曲げられない自分もいるわけで
BTSの新曲が公開になった。
とてもかっこいい。
皆が踊れる素敵な曲だし、ビデオもとても見ていてかわいい。今の彼らの「アイドル」としての魅力が映えた作りになっているんじゃないだろうか。
しかし、それでも私の心は動かない。最近はそれが悲しくもある。
何でだろう。頭では、彼らの良さは理解できるのだけれど。顔だってかわいいと思うし、あんな曲を自ら作曲できるのもすごいと思うのに。
でもなんか、、あくまで今回の曲に関してだけ感じたことで言うと、ONE DIRECTIONっぽいって思ってしまった。
曲調にしてもDNCEみたいだな―って。
こんなことをいうのは愚の骨頂だということもわかっている。そもそも、完全に新しい音楽なんて無い。考えられるメロディのすべてはモーツァルトの時代に全て出きってるなんて話も聞くくらいだし(真偽は知りませぬ)、それだけ、まったくのまっさらな新しいものなんてこの世にはほぼ存在しないし、自分が今好きなものだって、昔の物をアレンジしたり、もしかしたら数百年前にはそっくりそのまま存在していたかもしれないしね。
ただ、自分の求めている世界とは、何かが違う。
ある意味、欧米人とかアジア人とか関係なく、良い音楽をジャンル関係なく作り、それを欧米人ではないアジア人が歌っても受け入れられるようになったという点においては、彼らの貢献ってすごいと思う。
ずっと誰も越えられなかったアジア人と欧米との壁を越えて、良いものをただ作りマーケットに出し、良いと思った人が素直に聴き没頭する。
とても健全だと思う。
でも本当に?
欧米の音楽を見た目が素敵なアジア人ボーイズグループが歌っているということが新鮮なのであって、彼らの音楽自体が独特でオリジナリティがあるものだと思われているのだろうか。
いや、そもそもそんなものは、当人たちも求めていないのかもしれない。ただ、自分たちの作る音楽で、たくさんの人たちが楽しんでくれればそれでいいと、純粋に思っているのかもしれない。
そう、私が純粋ではなく、ある意味選民思想なのかもしれない。
どこか、”アジア人だからこそ”作れる音楽や世界観に固執をしている。
じゃあ、どういうものがそれなのよ?と聴かれたならば、もう最近の若い人たちには懐メロになってしまっているかもしれないのが悲しいけれど、東方神起の「Purple Line」や「Mirotic」は、あくまで私にとってはまさにそれだったのだ。
楽曲制作陣だったり振り付け師だったり、全然アジア人だけで作ったわけではなく、むしろこのころからSMEntertainmentは欧米チームと一緒に作成してたはず。
だけれども、東方神起で完成されたその音楽の世界は、紛れもなくアジア。これを欧米のグループが同じことをしたとしても、この世界観にはならないと言い切れる。この妖艶で神秘的な世界は(今の日本人でも作れるかといったらそれもわからないけれども)。
SHINeeだってそう。この曲は、いくら世界の名うてのダンサーが踊ってみたとて、歌ってみたとて、アジアの怪しい空気が無いと物足りないと思うのだ。また、振り付け師が日本人の仲宗根梨乃さんというのも大きな力。
Super Juniorも、ちょっと間違えればギャグ?と思えるダンスも、すれすれのところでかっこよい。全く持って不思議すぎる。
NCT Uの世界観も、怪しくて好き。やはりこれも、アジア感だと思うの。
目指しているマーケットがBTSはアメリカであって、私がここであげた音楽は、まだ日本や中国がメジャーターゲットだったときと思われるので、コンセプトもそもそも違ったことでしょう。なので、作られる音楽たちがアメリカよりになるのもなんら問題無いと思う。
音楽に身をゆだねて何も考えず楽しむだけのものであれば、こんな小難しいこと考えるのなんて全く時間の無駄。損でしかない。
それでも、どうしても自分の芯は変えられないし、譲れない。
アジア人が世界で席巻している、という事実として、まだ消化しきれていない。
本当にうざい性格だ。本当に。
なにがどうであれ、K-POPアイドルたち、しかも世界規模で活躍している場合、普通のありふれた生活を手に入れたくても手に入れられない彼ら。
ただただ、少しでも彼らなりの幸せが彼らから離れませんように、と、いらぬ応援をしていこう。
そして、自分のためには、とことん、まだ見ぬ、心からワクワクできる物を探したい。
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