【追記】今市回想録
日光での暮らしが始まる少し前のこと、聖蹟桜ヶ丘のバーカロで店主のヒデ君と話したことをよく覚えている。
『オレ、しばらく日光で働くことになったんだよ』
『いいなー、楽しそうじゃん!』
『でもね、みんなが知ってる観光地とは少し離れてるし、最寄り駅の名前がさ』
『何なの?』
『いまいち』
実際に行って暮らしてみたら楽しい毎日だった。
まず何よりも空気がいい。休日を東京で過ごした後に電車で下今市の駅に到着すると待ってましたとばかりに息を吸い込んだものだ。
そして雄大な日光の山々。そのなかでもひときわ印象的な、もはや心の山といっていい存在になったのが男体山だった。仕事中にふと見上げる男体山と広い空、鳥のさえずる声が気持ちを穏やかにしてくれた。
8時から17時まで働いて、現場の帰りにスーパーで買い物をして部屋で晩酌をしながらゆったりと過ごすのが基本で、外に呑みに出かけるのは週に1〜2回。地場の新鮮な野菜が沢山手に入るので1日3食の自炊を楽しんでいた。
最初に訪れたとんかつ屋『一彦』で紹介された居酒屋『華まる』のママとその妹のさなえさんには本当によくしてもらった。北海道出身のお二人が何の縁で日光にたどり着いたのかは知らないが、美味しい料理と親身なおもてなしに何度も心を癒された。何度かママに誘われて行ったスナック巡りも記憶に残る体験だった。今市のお母さんと呼んでもいいだろう。
そして、ジョニーさん。今市ではかなり異質なお店だったがそこに集まるお客さんも個性的な人が多く、東京で言うなら古き良き中央線文化のような雰囲気を感じる空間だった。知性とユーモアに富んだ彼との会話は実に興味深く、おそらくジョニーさんにとっても楽しいひと時だったと思う。
そして、本文では触れていないが同僚と数軒のスナックにも通っていた。田舎町ならではの家庭的なこれぞスナックな店だったが、本来そういう場所に行かない自分が誘われれば喜んで同行し、呑んで歌って大笑いして過ごした時間もまた忘れられないものとなった。
とある晩、おそらく気分が良かったのだろう、一人でスナックに行って呑んだ帰りに杉並木の下で3時間ぐらい寝てしまった。柔らかな草木のベッドの上で目を覚ましたとき、木々の香りに包まれて眠る心地よさを知った。何言ってんだ酔っ払いがとお叱りを受けそうだが、むくっと起き上がってアパートまで帰る途中、もはや喜びすら感じていたのだから呆れたものだ。
田植えの時期に今市に来てひと夏を過ごし、気がつけば稲の収穫が終わり畦道には彼岸花が咲いていた。
9月の豪雨の影響で仕事が打ち切りになり予定より2ヶ月ほど早く滞在が終わってしまったのが心残りではある。もう少し時間があればもっと楽しいことが起きたに違いない。
お世話になった皆さんは元気にしているだろうか、特にジョニーさんがご健在なのかどうかは気になるところだ。自分のことなど忘れているかもしれないが、それはそれでいい。今こうして人に話せるだけの色々を残してくれたのだから。
当初、とりあえず日光での半年間だけお手伝いしますと初めた仕事ではあるが、気がつけばこの暮らしが楽しくなっていた。もともと20代の頃から所かまわず歌いに行く旅芸者のような生活をしていたので、東京に居るよりもどこか知らない町に居る方が性に合うのだと認めざるを得なかった。
そんなこんなで今市での最高な日々は終わり、職場環境に対する不満も無かったのでこの仕事を続けることにした。お金を貰いながら旅が出来るなんて楽しいじゃないか。それだけの理由で。