見出し画像

インド旅④〜コルカタの奇跡〜

2019.3.11

8年前の今日、東日本大震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
そして、被災地にて復興に向けて頑張っておられる方々、離れた場所からですが、応援しています。
家族や友人といったつながりを大切に、この日のことを忘れず、自分ができることで協力していきたいと思います。

今回の内容はそんな人とのつながりの偶然さや温かさにまつわるインドでのエピソード。

この日、4日間過ごしたコルカタを離れ、向かうはネパール・カトマンズ。
カトマンズには以前オーストラリアで寝食を共にした先輩、小親方(こやかた)さんがいる。ネパールはこやかたさんと行動を共にする。
時間節約のため、飛行機でカトマンズへと向かう。Uberを使い、空港へ。

奇跡はその空港にて起きた。

空港に着き、チェックインを済まそうと列に並ぶ。手持ち無沙汰だったため、携帯に通知が来ていたのを確認しようとしたその時、、

あれっ!?!?ない!!!!!
携帯がない!!!!!
カバンの中もポケットの中を確認しても全く見当たらない!!!!!
ポケットに入れたはずなのになんで!!!!
やべぇ!また滑り落ちたんだ!!
タクシーの中だ!!!!!

僕は日本でもどこでもポケットからスルスルと携帯をよく落とす。
オーストラリアで野宿している時なんて、イスから立ち上がった時にiPhone5sを焚き火の中へ落下させ天に召させたことがあるくらいだ。

そう気付き、タクシー降り場を見に行く。
ドライバーは携帯に気付いてくれていたのだろう、同じナンバーの車が停まっている。

だが、そこに立ちはだかったのはそう、初日も僕の行く手を阻んだ軍人さんである。

「タクシーの中に携帯落としてまだそこに停まってくれてるから出てもいい?お願い!!」

「ダメよ。ドライバーの電話番号は分からないの?」

「分からないけど、車のナンバーはそこの車と同じだったんだよ!お願いだよ!」

「できないわ、チェックインカウンターに伝えてみて」

何という厳重さ。ほんのちょっとの融通も効かない。でも、拳銃を携帯しているので逆らいたくない。

とりあえず走ってチェックインカウンターへ行き、事のあらましを切実に伝える。
が、3人いても誰も相手にしてくれない。
話しかけた人には隣の女性に話してと言われるも、隣の女性は別用でお取り込み中。
当の本人はイスにどかっと座って僕を見てる。もう1人は下を向いて携帯をかまっているだけ。え、何この状況。
いや、急いでるんですけど!お願いだから早くしてください!
語気を強めて言うと、渋々最初の話しかけた人がついてくる。

僕は早く確認したくて走るのにスタッフはめんどくさそうに歩いてくる。

もう一度確認しに行ってみると、時すでに遅し。タクシーはいなくなっていた。

「もういないや。終わった。どうすっか。」

もう手元には帰ってこないと判断し、iPhone所有者に携帯を貸してもらってiPhoneを探して止めることにした。

が、しかし、海外では日本のように誰もかれもがiPhoneではない。
iPhone所有者を探すのすら一苦労である。
スーツの胸ポケットを見たり、手にしている携帯をしれーっと近づいて確認したりした。

iPhoneを使っているおっちゃんに事のあらましを伝えるが拒否される。
そりゃそうだ、少なからず急にそんなことを外国人から言われても怪しむだろう。
その後も何人かに声をかけるが、SIMがなく電波がないと言われる。

困って立ち尽くす。誰に相談するべきか。
チェックインのリミットが迫る。空港の広さを呪ったのは初めてだった。

そんな時だった。ある男性が僕に声をかけてくれた。

「どうした?何かお困りかい?」

「携帯をUberタクシーの中に忘れちゃって困ってるんだ」

「自分の携帯番号分かる?電話したらドライバーが出てくれるかも」

はっ!その手があった!そうじゃん!
電話したら出てくれるかも!

「分かるよ!」

そう言い、すぐさま自分のインドの携帯番号を伝える。

「OK、電話して持って来てもらうよう伝えるよ」

その男性は僕の携帯に電話をかけ、電話に出てくれた運転手さんに要件をヒンディーで伝えてくれた。

「持って来てくれるように伝えといたから、早くチェックインして来るといいよ。Uberじゃなくて普通のタクシーだったらほぼ確実に無理だったろうから良かったね」

助かった。チェックインもギリギリ間に合い、搭乗まで少し時間があったので、先程の男性にお礼を伝えに行く。

すると、ここでまさに"奇跡"としか言いようのない事実がこの男性の言葉から判明する。

「いや、実はさ、君とは1回レストランで会っているんだよ。で、今さっき困ってそうだったから声をかけたんだ」

「え?!?!?!?!?!?!?!」

「数日前、いただろう?kasturiに。君の席の目の前のテーブルに座っていたんだよ僕ら」

え、マジか!そうだったっけ?!と思いながら、ふと彼の家族に目を向ける。

あー!!!!思い出したー!!!!!!

見覚えのある息子さんと奥さん。テーブルの位置的に2人がずっと視界に入っていたのを思い出した。

「思い出したよ!!こんなとこでまた会ってさらに助けてもらえるなんて信じられない!!本当にありがとう!!!」

男性も奥さんもニッコリ微笑んでいる。
この状況に感謝と嬉しさと喜びと安心が一度に込み上げてきて鳥肌が立った。
これぞまさしく与えられた"愛"そのものじゃないか、と。

話は遡ること3日前。kasturiというベンガルレストラン(インスタup済)にて3人親子が入ったのとほぼ同時に入店した。満席でなかなか注文できなかったので店内を見渡していた。そのたった数分の会話のない出会いだった。

タクシー運転手が来るまで、ベンチに腰掛け、家族の話や日本の話、結婚の話などなど色んな会話をした。

彼は同い年で誕生日は6日違い。鉄工所を経営しているようで、休みを利用してバングラデシュから旅行に来ていた。今日帰るのだが、大量の荷物を持って観光はできないから早めに空港に来て過ごしていたとのことだった。
会話の途中、日本に行ってみたいんだと言われたので、こう伝えた。

「日本に来たら島根で良ければうちにタダで親子で泊まっていいし、案内するよ!」

「ありがとう。僕らは日本の生活スタイルとか文化を感じられるなら場所にこだわりはないよ。
それに、それは僕も同じさ、ゆうきがいい時にバングラデシュにおいで、歓迎するよ」

「ありがとーう!!最近地元で出来た友達もバングラデシュの大学院生でうちの村に遊びにおいでって言ってたから、近々バングラデシュに行くよ!」

そんな約束を交わしたところでちょうどドライバーから連絡が入る。

「来たみたいだ。取りに行っておいで。入口まで来てくれるよ。ちゃんとタクシードライバーにお金払うんだよ」

「それはもちろんさ!」

空港入口へと向かい、ドライバーから携帯を受け取り、お金を払う。

「ったく、携帯忘れてっから待ってやってたのに何で出て来ねーんだよー」

「もちろん気づいていたけど、軍人さんに止められてこんな感じで出られないんだよ」

「ま、いいけどさ、じゃあね」

ドライバーも優しいのなんの。

「無事に戻って来たよ、本当にありがとう。まさにこれはmiracle of Kolkata(コルカタの奇跡)だよ!」

クスッと笑う彼と奥さん。

「じゃあ、そろそろ行くね!本当に本当にありがとう!気をつけて帰ってね!また会おう!連絡するね!」

「待ってるよ、ゆうきも気をつけていい旅を!」

手にしたiPhoneとそれ以上に感じた人の温かさを胸に刻み、ネパールへと飛び立つべく僕はイミグレへと向かって行った。

インド・ネパール旅 pt.1 コルカタ編 〜終〜

8年前のこの日をきっかけに、僕たち日本人は国内外からのたくさんの人の温かさや愛を感じたはずだし、そして、今もそれを思い出すきっかけの日になっているはず。

愛にお返しはいらない。ただ与えるものだから。受けとった時のその思いを胸に、また別の誰かに別の形でつなげることが1番大事。

自分にできることをできる時に少しずつやっていこう。


いいなと思ったら応援しよう!