旅行記6日目(10/10)ブラチスラヴァ日帰り旅行
久々の投稿です!
私自身暇になったのと、今は色々需要がありそうなので…。
リアルの方では前回の投稿をしてから障害者向け就労移行支援を受け始めたり、2020年1月からはチェコ語を習い始めたりしました。
しかも9月からは学校の籍の更新を兼ねてドイツ語も再開。
満を持して行く次の中欧旅行にも備え、私の夢「一生かけてでも、二重君主国で使われていた言語を一通り使えるようにする」にも向かって進んでいます。
さて、今回はオーストリアのウィーンから、隣国スロヴァキアの首都ブラチスラヴァに日帰り旅行です。(2018/10/10)
隣の国といっても、ウィーンがオーストリアのほぼ東端でブラチスラヴァがスロヴァキアのほぼ西端ですから、55kmくらいしかありません。(両中央駅の間の直線距離をGoogle Earthで計測)
両国ともシェンゲン協定加盟国なので平常時は国境のチェックもありません。かなり気軽に出かけられます。
さあ今日もホテルのコンチネンタルブレックファストを食べて出発です。いつもの徒歩3分ウィーン中央駅!オイゲン(ホテル名)はいいぞ。
この日はこの時点で8:45頃と少し遅めの立ち上がり。まだ旅も序盤ですし、省エネです。
まずは今日使うための切符を買います。
ÖBB(オーストリア国鉄)とZSSK(スロヴァキア国鉄旅客部門)は、共同でブラチスラヴァ・チケット(Bratislava Ticket)というものを販売しています。
お値段€16。(9月9日のレートで2007円)
ウィーンとブラチスラヴァの往復に加えて、ブラチスラヴァでの市内公共交通機関が利用可能です。有効期間は3日間。泊まりにも使えるというわけですね。ブラチスラヴァではウォーキングツアーにも参加出来ます。(自分のペースで回りたかったので参加しなかったですけど)
ちなみに1ヶ月間有効なタイプもあり、こちらは間違いなく通勤用ですね。物価の安いスロヴァキアに住んで、物価の高いオーストリアで働くという人のためのものでしょう。
気の利いたことに、ウィーンとブラチスラヴァを結ぶ電車の時刻表(超便利)に、ドイツ語英語の簡単なブラチスラヴァの観光ガイド(要らない)もついてきました。
それでは乗車しましょう。
これは乗る電車を加工して強調しようかと思ったけどオタクは電光掲示板読むの好きだから敢えてそのままにしたもの。
電車はガラガラでした。
ちなみにチケットは2等車用と書いてありますが、短距離路線なのでそもそも1等車が無いのでご安心ください。(?)
ウィーン中央駅からブラチスラヴァ中央駅まで片道66分、1時間ちょっぴりのささやかな旅です。
発車後にWi-Fiが途切れて繋げなかったので、積んでいなかったのでしょう。
まあ1時間くらい平気です。始発終点でもあるし。
↓ここから有料ゾーンにします↓
「ブラチスラヴァ(Bratislava)」。
これから行く街がそう呼ばれるようになったのは僅か100年前、1919年からーーそう、二重帝国が崩壊し、チェコスロヴァキアが独立してからのことです。
それ以前は二重帝国の中でもハンガリー王国側(トランスライタニエン)に属していたため、ハンガリー(マジャル)語で「ポジョニ(Pozsony)」と主に呼ばれていました。
また、先述したようにとにかくウィーンから近いため、ドイツ語の「プレスブルク(Preßburg)」という名前も一般的でした。さらにややこしいことに、「ブラチスラヴァ」とは二重帝国時代にスロヴァキア民族主義者が後から作った名前で、本来スロヴァキア語での名前は「プレシュポロク(Prešporok)」です。古文書を誤読したとする説もあります。
おまけにかつて連邦を組んでいた相手のチェコ語では「プレシュプルク(Prešpurk)」です。
3つくらい名前があるのは中欧都市のスタンダードですが、ここはそのへんが一際面倒くs…面白いと言えるでしょう。ひと昔前まではこれら様々な呼称とその名を呼ぶ諸民族の集住する都市でした。
「ブラチスラヴァ」と名乗る今は、どのような街なのでしょうか。
ドナウ川を越えます。後日Twitter見てたらこの辺は撮り鉄の名所だったようです。
さてブラチスラヴァですが、実はスロヴァキアの首都であった時より(1939〜45,1993〜)も、ハンガリーの首都であった時(1536〜1784)の方がよほど長いのです。
ハンガリーの首都といえばブダペストのイメージですが、中世から近世にかけてはオスマン帝国の手に落ちていたため、遷都していました。私はハンガリー大好きですから、ハンガリー要素も見出せるのかな?と期待しながら現地に足を運びました。
そんなわけでやって来ましたブラチスラヴァ。
ブラチスラヴァ中央駅(Bratislava hlavná stanica ブラチスラヴァ・フラヴナー・スタニツァ)です。
わぁなんかめっちゃ歓迎されてる気分。
さっきまでいた最先端でピカピカで広大なウィーン中央駅とは大違いな、昭和な感じと箱庭感のある造りですが、これはこれで一興です。
デカ看板の下に来て、振り返ってさっきいた位置を見るとこうです。
ちなみに左奥の地下1階にはトイレがありますが、昇降にはバリアフリーもへったくれもなく、有料なくせしてあちこちボロく清潔感も微妙だったので、列車についてるのを使われることを推奨します。
手荷物預り所。
駅舎から出てみれば目の前に「カフェ・プレスブルク」!そう、かつての名前の一つです。
テンション上がりますねぇ。
あと執筆中に気付いたのですが駅の住所が「フランツ・リスト広場」でした。「ピアノの魔術師」です。興奮。
下の階層に降りてトラムに乗ります。
旧市街の入り口ミハエル門を目指して1番のトラムに乗ります。
普通ならここで切符を買わなければなりませんが、ブラチスラヴァ・チケットがあるので大丈夫です。
車内の打刻機です。
ここでも普通なら打刻する必要がありますが、チケットはデカすぎて入りませんし、電車内で検札もあり日にちのスタンプ捺されてたのでヨシ!
ブラチスラヴァの顔となるトラムだからか最新鋭なようで、Wi-Fiが飛んでいました。始発終点で数分待つので早速接続。
よく見ると左上の通信キャリアもOrangeというスロヴァキアのものに自動で変わっています。(もちろん使える)
3つ目のPoštováで下車します。
外部から来る通りを一度直角に曲がり、さらにもう一度元の向きへ直角に曲がらされた所で塔の下を通ります。ここがミハエル門です。守りやすく、侵入する敵の勢いを削ぐ実戦的な造りですね。大好物です。
ここからは完全に観光地。左右にはカフェやレストラン、土産物を売るお店ばかりのメインストリートを進みます。
ここの分岐で中央広場とは違う方に行ってみました。
そして少し横道に入った場所にレストランを発見したので入りました。
お目当てはスロヴァキア料理の代表格「ブリンゾヴェー・ハルシュキ」です。
山羊の乳から作るチーズ「ブリンザ」のソースをジャガイモのニョッキのようなものに絡め、ベーコンを細かく散らして上にかけたものです。
こちらがメニュー。この時は「ドイツ語併記たすかるー」ぐらいにしか考えていなかったのですが…
今見たら左上のハルシュキの他はそれぞれハンガリーのグヤーシュ、オーストリアのシュニッツェル、チェコのスマジェニー・スィール(揚げチーズ)でした。あれ?
オッ???????????(推しビール発見)
チェコのビール「ピルスナー・ウルケル」。注文するしかねぇ。
唐突な推しの供給に歓喜するオタク。
まずはウルケル。
…あれ?
本来なら風味豊かなビールなのですが、潰れています。状態が悪い&おそらく冷やしすぎでしょうか。悲しい…。
気を取り直して本命のハルシュキに匙を。(もう一度写真)
人によっては臭いので嫌らしいですが、いいコクだと思います。
食感はもちゃもちゃしていました。個人的には好きです。
でもこれベー…コン…?なんか油脂。
微妙な気持ちになりながらお会計して、モヤモヤを吹き飛ばしくて開けた中央広場へ。
右奥の緑がかった建物はなんと日本大使館。掲げられた菊のご紋と日の丸から感じる安心感。でもなんでこんな特等地に…?
おっさんの像を見ながら旧市街を散策。
こちらはチェコビールの大物、ブジェヨヴィツキー・ブドヴァーが提供されるお店のようですね。チェスケー・ブジェヨヴィツェの本社工場に行きたくて仕方ない。
またウルケル。えっ確かにそいつら美味しいけどスロヴァキアビールは?
街並みはまさしく中欧。建物のカラーや造りから、オーストリア・チェコ・ハンガリーの要素を少しずつ感じます。
旧市街を北のミハエル門から入り、中央広場を抜けて南西側に来て、聖マルティン大聖堂に着きました。
ここはハンガリーの首都だった時代に王の戴冠式に使われていました。
雑な歴史解説をすると、ハンガリー王位は1526年から1918年まで長らくハプスブルク家のもので、基本的には支配者であるオーストリア大公のち皇帝が同一人物でハンガリー王も兼ねていました。
オーストリア=ハンガリー二重帝国がハンガリーの独立した状態かどうかは死ぬほど面倒臭い問題で、私ごときが語れるものではないのでやめておきますが。
さて、この聖マルティン大聖堂の塔の先端、地上85mにはハンガリーの聖イシュトヴァーンの王冠のレプリカがあるそうですが、見ようとしたら眩しかった&首にきた。(悲しみ)
入場無料なのは良いのですが、出入り口に思いきり物乞いのおじさんが陣取っていた上に、中は電気もついておらず、秋晴れの真昼間でも自然光では大聖堂の中を満たすには足らず、不気味になるほど薄暗かったです。現地で購入した日本語パンフレットによれば歴史的に重要な壁画がいくつもあったそうなのですが、全然見えませんでした。まさかiPhoneのライトを浴びせるわけにもいきませんし…。
ついでに埃っぽかったですね。他の中欧の大聖堂と較べてしまうと数段落ちてしまう印象でした…。
聖堂脇の階段を上がると、旧市街と城の間を南北に貫く大通りの壁の上に出ます。これはドナウ川に架かるSNP橋で、展望台があります。(行ってないです)
ん?階段を上がった?
無事に王冠を拝めました。
大通りの壁になっている歩道を進みます。
大通りの旧市街側の壁はこのように城壁になっています。
この城壁沿いにしばらく歩くと大通りを渡れる橋があるので、そこから城側へ。
現在友人に貸し出している『チェコとスロヴァキアを知るための56章』に書いてあったのですが、この大通りは社会主義時代にユダヤ人街を立ち退かせ爆破して強引に作られたものだとか。いや利便性が跳ね上がったのは現地を見れば分かるけど流石に引く。
なお完全に余談ながら、チェコ語の先生はその本にも寄稿されている方です。
ここから丘の上の城に上がるのですが、道に迷って違う方に来てしまいました。iPhoneのマップを起動し続けていれば防げるのですが、Wi-Fiに繋がない通常の電波をあまり使うと後々困るのでと節約していました。
使っていたyesss!!!のSIMはEUでならどこでも使えますが、データ容量の買い足しはオーストリアでしか出来ません。オーストリアにいるのは旅行前半なので、どうしても使い惜しみ脳になっていました。買い足しはウィーン在住のしゅにっつぇるさんに旅行中いつでもお願い出来ましたが、心苦しかったので…。今にして思えば甘えるべきでした。反省。
このホテル・イビスを見て方向ミスが発覚。ブラチスラヴァにもあるんだねぇ、縁を感じるねぇ。(※ミュンヘンのに1日目に泊まっています)
猛暑の勾配で急激に消耗しながら歩いていたら、地元の人らしいイヤホンで歩きスマホのすれ違った男の人がトラムに轢かれそうだったので、咄嗟に腕を間に伸ばして救出。あぶねっ。
そんなこんなでブラチスラヴァ城の異名「ひっくり返したテーブル」を実感する頃にはグロッキーでした。
この騎馬像、ウィーン王宮前のほどではないにせよ、ひそかに秀逸では。
ドナウの川風に翻るスロヴァキアの国旗。
ここまでの紆余曲折、常にその傍らに在ったドナウ川を眺めて思いに耽りました。
しかしもう疲労が限界に達してしまい、泣く泣く城の建物内の見学は諦めました。
有料トイレを使い、売店でお水を購入し勢いよく飲んで椅子で一休み。
Neperivá voda ネペルリヴァー・ヴォダ(ガス抜きの水)が当時でも知っていた数少ないチェコ語の語彙ですんなり買えました。
最近仲良くなったチェコ有識者に尋ねてみたのですが、スロヴァキア語でも同じ語彙らしく、チェコと同じものが売られているのだろうとのことでした。
さっきまでの道を引き返して大聖堂から旧市街へ。
路面には一定の間隔をおいて、この王冠の印があります。
これはかつてのハンガリー王の戴冠式の後にパレードが行われた道であることを示すものです。
この道を代々の王が…。
途中にあった土産物屋に入ってみたのですが、ここではハンガリーの要素は無く、オーストリアの物やチェコの物が目立ちました。
スロヴァキアやブラチスラヴァの物は、どこに行ってもあるようなキーホルダーやガイドブックばかり。
スロヴァキアとハンガリーは仲が良くないとは何かの本で目にしましたが、これはその未確認情報と矛盾はしないなとは思いました。
これは街中にあったATMです。スロヴァキア語は分かりませんが「タトラ銀行」の意味だということくらいは分かります。
タトラと言えばスロヴァキアのシンボルの山。国歌の名前も「稲妻がタトラの上を走り去り」というものです。(この邦題について国歌界隈では異議もあるようですが…)
また、社会主義時代にはタトラの名を冠するČKDタトラという会社が製造したトラムが東側世界に広まりました(タトラカー)。この会社は現在倒産してしまっているため新型は生まれませんが、今でも広く使用されています。特にプラハのは街並みと合わせ独特の風情があるため、撮り鉄界隈には大変人気なようです。(個人的にも良いと思うし日々Twitterが賑わう)
中央広場近辺で見たミニバス。調べて時間を合わせて、いくらか払っても乗った方が良かったですね。
こちらはプリマティア宮殿(Primaciálny palác)。
ナポレオンがアウステルリッツの三帝会戦でオーストリア・ロシアに決定打を与えて第三次対仏大同盟から離脱させ、瓦解させた1805年のプレスブルクの和約はここで結ばれました。
ここも疲れていたので中は見ずに写真だけ。すみません…。
向かいに市庁舎があり、そこに冷水器がありゴクゴク飲んだりペットボトルに補給してた記憶だけが鮮明にあります。(あのさぁ)
この時14:30頃。旧市街にあったガラガラのレストランに見覚えのないビールのロゴとOpenの看板があるのを見て、ビールだけ飲みに入ってみました。
スロヴァキアビール、ズラティ。チェコのものにも見劣りしない、パワーとキレのある美味しいピルスナータイプのビールでした。
ビールも印象的だったのですが、店員さんがもっと印象的でした。
チェコ語とスロヴァキア語の区別は私にはつきませんでしたが、英語とドイツ語も流暢に使っていました。(私はドイツ語)
チェコ(コルナ)、ハンガリー(フォリント)、ポーランド(ズウォティ)と独自通貨を使い続ける国の方が接している国の中で多いスロヴァキアですが、スロヴァキアは2009年からユーロを導入しています。
旧東側の特徴の教育レベルが高めな割に人件費が安めで、スロヴァキアは特に多言語が通じるところからどんどん資本が流入して成長を続けています。
ユーロ導入は財政にEUから口出しされることも多くメリットばかりではありませんが、スロヴァキアは現状「ユーロだけど他より物価が安い国」として、少なくとも周遊旅行者やウィーン圏の人には重宝されているようです。
来る時は気にしていなかったのですが、ミハエル門の下にはこんなものが。
東京まで9142㎞。遠くに来ちゃったなぁ…。
最後にパン屋兼お菓子屋さんのような店でこんなものを買ってみました。
写真を快諾してくれた店員兄貴イケメン。
ガイドブックに名物はロフリークと書いてあったので最近までそれだと誤解していたのですが、ロフリークはチェコやスロヴァキアで一般的な超大衆食のロールパン。
これはロジョクというものでした。
ケシの実とクルミの2種類。1個ずつ買いました。店内で食べることも出来たようですが、ウィーンに帰る電車内ででもと思い持ち帰りにしました。
トラムで中央駅に戻ります。
あっ、ロゴがシュコダ!
シュコダはチェコの財閥で、色々なものを手掛けています。
ただし車のシュコダ・オートだけは現在は独立して財閥と縁が切れています。
帰りの路面電車は終点まで乗るので迷うはずもなく。
Příští zastávka… プジーシュティー ザスターフカ (次の停留所は…)と言っていました。実は前回プラハに行った時に車内アナウンスを録音してヘビロテしたりYoutubeで聴いたりしているから覚えてしまったのですが、もしかしてチェコ語と同じ?
中央駅に戻りました。この時15:07、ウィーンに戻る電車は38分発なのでしばらく暇です。
2階に待合室があるのでそこにいることにしました。
「RJ」がRailjetに見えますが、これは私鉄のRegio Jet です。
ですがこれはもう古い情報になりました。19年にブラチスラヴァ~ウィーン中央~チューリッヒのRailjetが生まれました。まだ本数は少ないですが。
さらに、まだ計画段階ではありますがプラハとの間にも運行すべく調整中のようです。それなら将来ブダペストまで延伸するのかも?
待合室です。…開放感はありますね。
トイレも店もホームも全てきつめの階段を昇り降りするしかないのが面倒と言えば贅沢なのでしょうか。一応Wi-Fiはあります。
そういえばスロヴァキア国鉄は60年代の客車を魔改造してコンセントとWi-Fiを搭載したって聞いたことあるんですけど、流石にそれはもう新造しろよ。
先程のロジョクを食べてみます。
卵黄でも塗って焼いたような照りのある生地で、中には美味しい餡というかペーストがぎっしり。
2種類ありどちらも美味しかったですが、私はケシの実の方が好みでした。
しばらくWi-Fi使ってTwitterや調べ物。
そろそろ行くか。
階段大変じゃなかったですか?
「15:38 Wien Hbf」この列車で間違いありません。乗ります。
電車の中は後ろの席の人がうるさくて、席は別に移動出来たのですが、これもまた旅情と思いスルーしてました。
そしたら上から何か降ってきたではありませんか。
こ、これは翌日行く予定のシェーンブルン動物園のクーポン⁉
250円くらい割引って結構ウマいですよ。貰い。
そのうるさい客がくれた…わけではなく、よく客車内を見ると所々に窓にこういうクーポンが留められていて、ご自由にお持ちくださいになってるんですね。彼らがぶちぶち千切って放って遊んでたら、たまたま大当たりを引いたのでしょう。だって車内はWi-Fi使えないから翌日の調べ物もしてなくて、画面をのぞき込まれたとかの線(怖い)も無いわけで。
ウィーン中央駅で降りる時彼らの姿はなく、ウルケルの空き缶だけが残されていました。うーん複雑じゃよー。
遅延もあり、着いたらこんな時間。
こっちの「RJ」はホンモノのRailjetです。
そして駅のSparでついに入手出来ました!待望のシュトゥルム!
やばい執筆してて飲みたすぎて禁断症状が出てきた。
そしてホテルに一旦戻る途中に気になっていた「オタクヘヴン」へ。
こちとら池袋の高校で毎週ショップ通う青春を送ってたオタクなので、気になって仕方ありませんでした。
『狼と香辛料』…ふ、古い(アニメ放映2008年)。
これは見てないんですが、OPの「旅の途中」は大好きです。
ちなみに私の入り口は中学で朝の読書の時間で前の席の剣道部仲間に渡された『灼眼のシャナ』です。
えっと…ドイツ語音声のアニメのDVDとかあったら勉強のために買いたかったのですが、フィギュアばっかりでしたね。しかも古い作品のやつばかり。
とりあえずシュトゥルムを味見してから(美味しかったです)、部屋の冷蔵庫に入れます。上下に分ける仕切り板が邪魔で縦に入らず、横にすることになりました。このせいで悲劇が。
この日はZwölf つヴぇるふ という、しゅにっつぇるさんに紹介されたお店へ。バイスルという居酒屋スタイルの店です。
旧市街にあって、特大シュニッツェルで有名な店フィグルミュラーのすぐそば。
フリターテンズッペ、牛骨ダシのスープに、クレープを刻んだものとネギが具に入っています。実はこれ、有名料理ターフェルシュピッツを作る時に出来る煮込み汁なんですよね。元々煮込んでいた肉と野菜がそれになります。
でもターフェルシュピッツはあの専門店でいただくので今は我慢です。
Sekt 、スパークリングワインです。暑い日だったのでサッパリと。
爽やかで軽やかなのに味が薄っぺらくなく、大変美味しかったです。
ウィーン料理、「フィアカーグラーシュ(グーラッシュとも)」です。
ハンガリーのスープ料理グヤーシュ(先ほどチラッと出ましたね)がオーストリアで煮込み料理になったものです。牛肉おいしい。
クネーデル(団子)や目玉焼きが特徴ですが、ウィンナーがたこさんなのは謎。なんで。
フィアカーとはウィーンの観光用馬車のことですね。
調子に乗って&絶対美味しい店なので赤ワインもオーダー。
リストを読むだけで既に美味しそう。ブルゲンラント州のワイン名産地ルスト、いつか行ってみたいものです。オーストリアワイン、日本でもっと売られないかなぁ。
食後は日の暮れたウィーンを歩きました。
アイスクリーム屋さんを発見、ヨーグルトとオレンジのが気に入り購入。
シュテファン大聖堂そばの街並みでの歩き食べは楽しく美味しかったです。
カールスプラッツから地下鉄(U1)に乗ったのですが、駅にある密かにお気に入りの日中韓どこの店なのか怪しいアジア料理屋で夜食をテイクアウトしちゃいました。
箱にぎゅうぎゅうに詰めてくれるの嬉しい。
ふふ。予約していたターフェルシュピッツの名店プラフッタに公式サイトから予約したのに返事が来ました。これで安心です。
ドイツ語をぜひ読んでみてください。
さてさっき買ったシュトゥルム飲むぞー。
パカッ。どばーーーーーーーーー
???????????
ハンカチ!タオル!床を叩いて吸収!
いきなり4分の1無くなってしまったのですが。
Twitterによると、ワインの出来かけであるシュトゥルムはまだ発酵途中であるため、密閉すると爆発する。それを防ぐためにペットボトルの場合はキャップに小さい穴がいくつか空けられている。とのこと。
そりゃそんなもん横倒しにしたらそうなるわな………。
そして横倒しにした原因である仕切り板は、冷蔵庫の中を拭き取るためにつぶさに見たら普通にスライドして取れました。うーんこの。
疲れ果てて飲んでもシュトゥルムはやっぱり美味しかったです。
1.5ℓあるので、数日かけて消費していきます。
さて、ブラチスラヴァでしたが、やはりスロヴァキア独自の色は薄いように思えましたし、観光地として周辺の大物に見劣りする感はありました。
しかしこの不完全燃焼の半日だけをもってスロヴァキアに「しょぼかった」みたいな評価を下すのを私は良しとしません。緑豊かなスロヴァキアにとって、ブラチスラヴァは異質な存在であり物理的に端っこでもある。きっと田舎で1週間くらいロッジに滞在したりするのが本来の楽しみ方ではないでしょうか。…日本人にはハードル高そうですが。
ビール「ズラティ」、それにハルシュキの山羊チーズ「ブリンザ」。これらから私はスロヴァキアの土にも美味しい食べ物やお酒に特有のパワーを感じ取りました。完全に憶測ですが、知名度は無いものの、きっと周辺国に負けないレベルのものがローカルに埋もれている。そんな予感がします。
今後私がずっと中欧趣味を続けるのならば、一番開拓のしがいがあるのはひょっとしたらこの国なのではないかーそんな気さえします。
この日、2018年10月10日の旅行はこれで終わりです。
翌日はシェーンブルン宮殿へ。ただし宮殿本体は2回見たので今回はナシ。どうせ中は撮影禁止ですから旅行記にも出来ません。
今回行ったのはさながらテーマパークのようになっている広大な敷地内の他の施設。ミニバスに乗って移動しました。
後は思い出に残るお買い物をしたのでそのお話が出来ればと。
次回投稿より現地行く方が早くなってきたような気がしましたが、まあ可能な限り執筆は続けたいと思います!
それでは今回はこのあたりで。さようなら。