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生活の中に工夫を 田中 慧日記 #10

2日続けて、そんなことするやつどこにいるんだよ

昨日の夜、父に対して逆ギレをかましてしまった。

僕は2日間車のルームランプがつけっぱなしだったらしい。
夜通し車のランプがついたままなところを父が気づき、それを初日(一昨日)に母から注意を受けて気をつけようと思っていた。

それで昨日それを気をつけてランプを消そうと思っていて、やったつもりになっていた。が、昨日の深夜1:30頃に母親が部屋に入り、「また車の電気がついてるらしいよ。早く消してきな」と言われた。本当に焦った。「え、意識してやった筈なのに、なんで?」僕は急いで駐車場へ行った。外は雨だった。サンダルで走ったせいか、足が冷たい。駐車場に着くと、見事に僕の車だけが明かりが灯っていた。すぐに電気を消して家に戻った。父と母のいる部屋に足を運んで、「2日間ごめん。」と謝った。次は気をつけようと思った。

「2日続けて、そんなことするやつどこにいるんだよ」と父は言った。

僕は反射的にこう言った。

「ここにいます。」

僕は反射的に反抗的な態度をとっていた。25歳がまるで中学生のようで僕は子どもだった今恥ずかしくなっている。そこで会話が終わったのだが、悶々と僕はしていた。

僕のインナーチャイルドくんはこういう言い分だ。
「"気をつけろよ、バッテリー上がったら明日の朝困るのはさとるなんだから。"で済む話を何であんな言い方するんだよ。あー本当に腹たつな。こっちはちゃんと謝ったのに。」
みたいな声だ。

わがままな気持ちと知りたい気持ち

一方で、僕はこんな情報を母から聞いていた。

「車のライトがついてたったって(父が)言ってたよ。鍵が机の上にあったら、消しておいたのに」

この発言からは悪意よりもむしろ強力的だったわけだ。父の視点から考えると、初日にルームランプがついていたことを気づき、さとるが困ると思って母に伝言をした。何故なら夜勤なので、私に直接伝えられないからだ。そして仕事で疲れて帰ってきた時に、母に伝えた筈なのにまた電気がついているではないか。これはため息ものだ。なんでまたついちゃってるわけ、ってなるわけである。せっかく注意したのに、話を聞いてもらえてなかったのでは、考えてしまうかもしれない。それで家に帰って、母に伝えた。さとるは車の電気を消して、部屋にきて謝っていた。が父の頭の中では、「何で言ったことできないわけ?」「しかも俺の話聞かないのかよ」と思っているわけである。それで少しため息と苛立ち混じりでこういうのだ。

「2日続けて、そんなことするやつどこにいるんだよ」と。

これは本意かわからない。ただの僕の想像である。詰まるところ、僕は父と対話をした経験がないのだ。だからお互いがお互いの思い込みの範疇でコミュニケーションをとっているということだ。僕は基本的に「わかってほしい」というわがままな気持ち半分と父は何を考えているんだという知りたい気持ち半分というわけだ。僕は父が嫌いなわけではない。どちらかというと普通に話をしたいと望んでいる。問題は素直になれるか、どちらが最初に話を切り出すかの勇気の問題だと思った。父に勇気が必要なのか、ということだけど僕としては勇気がいるのだ。父は父じゃない。血縁は繋がっていない。ただ父である。しかし過去の積み重ねから、少し話しづらいのだ。

だが、自分ではもうわかっているから、もう一度謝って、あなたとは気軽に話をしたり相談したりし合える間柄を望んでいるですということを伝えようと思った。

生活の中に工夫をしよう、生きづらさは解消できるという実験

それにしても僕の頭の中は一体どうなっているんだ。ADHD気質なので、本来は「車のランプをつけ忘れないこと」を念頭に置いて筈なのに、何か関心の対象が移ったりすると本来の目的をすっぽかして違うことに集中してしまう傾向がある。脳のワーキングメモリーが僕は確実弱い。このケースだけじゃない。こういう些細な頼み事とか、小さなことを忘れる傾向に僕はある。

大人の発達障害、特に、ADHD(注意欠如・多動性障害)の困りごとの一つに「物や用事を忘れてしまう」ことが挙げられます。原因は、ADHD の脳の特性であるワーキングメモリーの弱みにあると言われています。
脳の一時的な記憶の置き場・作業場であるワーキングメモリー機能が弱いと「考えたことを一時的に頭にとどめたまま、他の作業をする」ということに困難さがあります。
【大人の発達障害(ADHD)の特性対策】メモ帳活用術で、記憶力をカバーし物忘れ対策をしよう。

僕は上記に書いてある通り、ワイキングメモリーの弱い体質であるし、「考えたことを一時的に頭にとどめたまま、他の作業をする」というのが非常に困難であったりする。これは他の人でも多かれ少なかれ、ADHD関係なく苦手な人がいると思う。

これは結構日常に支障をきたすし、仕事ではな尚更だ。これをADHDという病気や体質を理由にできないことを正当化しちゃダメだ。だから、工夫して付き合っていくことが必要だと今反省している。

例えば、メモだ。僕の脳内で短期的な記憶や感情が伴わない記憶はすぐに直ぐにオサラバしてしまう。また関心が移りやすい注意欠陥型なので、違う関心があるとこれもまたオサラバしてしまうわけだ。なので、僕の脳内に情報を保存するのではなく、紙やデジタル上に情報を移し替えて保存すればいいのでは?という仮説で工夫してみようと思う。つまり、脳の拡張だ。そのメディアをきっかけに、僕は情報をもう一度保管出来る。そうすれば、本来の目的ややろうとしていたことを思い出すことができる。

つまり僕の注意欠陥や多動な体質が問題なのではなく、本当の問題はその体質に応じた工夫をどのように生活に落とし込めるかが重要な気がしてきた。
だから自分の苦手なところを無闇矢鱈に責めたり、自分の体質を憎んだりする必要性がない。苦手なことを他で補うようにすればいい。それ以外のところで活躍すればいいのだから。そう考えることにしようと思う。一旦僕の反省というか振り返りはこれでおしまいだ。



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