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「愛と力」 6年ぶりに再会した家族との時間で気づいた私

僕はいまだに愛というものを自分の言葉で表現できる術を持ち合わせていない。しかし、きっと自分の中にそういった類の気持ちは確かにあると思っている。

だけれども、
そんな自分の気持ちや未来や理想を実現する為には力が必要であることは自明の理だった。

そんな自分の力不足をいつだって感じてきた。そんな力不足を補う為の努力をして理想に近づくように必死に生きていればもっと違った生き方になってたに違いない。

けど、僕はいつしかそんな無力感や痛みを避けるようになってしまっていた。自分が自然体でありのままでいられることを心から願っていたのが、いつしか苦しいことだけを避けるようになってしまっていた。それを正当化して守り、肝心なところで100%を出せず、頑張ったり踏ん張ったりできない自分を恥じる以外に他なかった。

仕事を辞め、大好きで拠り所であった気仙沼を離れ、以前唯一の夢でもあった世界一周に踏み切った。しかし放浪や冒険のような旅を僕は今求めていないことに気づいた。

ここじゃない何処かよりも、ここにあるものが大切だってことを心から腑に落ちた。

それを諭してくれたのは、僕にとって大切な故郷ともいえるインドだった。

6年前に初めての1人旅へインドへ行った時に感じた、自分の人生の舵をきっている感覚。つまり、自分が願う選択を自分の責任と捉えてできていた。そんな当たり前のことが、僕がそれまで生きていた環境や自分の特性からしたら本当に大切な経験だった。

そして、何より僕のターニングポイントともいえるのがインドで偶然出会った家族だった。見ず知らずの僕を迎え、ご飯をご馳走してくれて、近所中に僕を紹介してくれて、満点の星空を一緒にみて、泊めさせてくれた貴方達。別れ際に何故そんなにまで優しくしてくれたのか尋ねた時、「家族だから」と僕にかけてくれたあの言葉が僕にどれだけ大きかったか。貴方達の言葉は、僕の錆びついたメッキを剥がしてくれた温かい言葉だった。

そんな貴方達との出会いを僕は日本に帰国後に何度も何度も何度も友人に話した。

けれど、「家族」という聞き心地のいい言葉だけが頭に残っていて、実際そのインド人の家族のことはほとんど何も知らないに等しかった。連絡は直後はしていたものの、数年連絡を取ろうとも思っていなかった。

そんな自分に気づいたのがつい1年やそこらでとても恥らいがあった。僕は貰ってばかりで、何かを貢献もクソもできてやしないじゃないかと思った。

だから、
人の優しさを教えてくれた貴方達にどうしても会って、感謝を伝えたかった。その感謝を自分が好きな写真で伝えたかった。

そんな想いから、後先考えずにインドへ飛んだ。連絡手段がなくなっていたが、きっと会えると確信していた。

過去6年前に撮った写真を片手に街を探し歩いた。

そして僕らは再会した。

心から僕らは互いを祝福し、その瞬間をとても喜んだ。6年前にはこの世界に存在しなかった、新しい生命とも出会えた。本当に本当に嬉しかった。

左:サイール7歳 右:アヒール4歳
サキーナ 22歳
サキール 26歳

しかし、優しさと愛に満ちていた彼らは、経済的にとても苦しい現実だった。6年前よりもよりリアルに、クリアに分かった。旦那であるサキールは血液の病気で仕事を辞めざる負えない状況になっていた。僕がどんな計算しても収支は毎月赤字だった。借金をしていた。家族とのしがらみで離婚の危機だった。子ども達は怪我をしていたり、病気をしていても、病院へ行くお金がなかった。教育もままならない状況だった。挙げたらキリがないが、6年前に知る由もなかったその家族の状況がとても良くわかった。

写真を渡してとっても喜んでくれた。しかし、彼らにそれ以上に求められたのは金銭的な援助だった。執拗には勿論言われていないが、それを求められていると分かったし、求められた。

インドでの滞在期間、彼らへの感謝の表現がいつしかお金を払うことになっていた。それが本質的ではないと分かってはいながら、今必要だと思い払っていた。けれども、情けないけど自分もお金がなかった。今後奨学金の返済もあった。現状お金の先にある技術なども僕には特段なかった。

きっと多くの手段が無数にあるのだと思うが、お金でしか感謝や貢献ができない自分に本当に嫌気がさした。家族とも何度も話した。が、日本に帰った今でもお金を求められることは少なくなかった。

そのインド人の家族のことを僕は本当に尊敬しているし、貴方達の力になりたいという気持ちはある。しかし、今の自分ではどうしようもないと思った。

ただ、
インドの家族で過ごした時間は本当に大切な時間だった。僕らは固い絆で結ばれたと信じている。帰り際に、別れを惜しみ、互いに懸命に生きようと約束したことを僕は忘れない。

だから、
僕は日本で地に足をつけて、自分の未来で生きたいと思える人と幸せになる為に頑張るしかないと思った。出来ることを増やし、大切な人や困っている人へ貢献できるようになる以外に他ないとおもった。力が僕には必要だと悟った。

こんな簡単なことに気づくのに、多くのものを失った。

だからこそ、自分のような人間を気にかけて未来を一緒に作ろうと思ってくれる人と生きるために、頑張る。



これがインドで感じた僕の気持ちだ故郷の気仙沼で過ごす中で改めてわかった。

忘れたくないから、ここに残そうと思った。

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