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昨年


新年明けましておめでとうございます。
昨年も本当に沢山の方にお世話になりました。まずこの場をお借りして有難うございました。

1年間僕は揺れていました。
昨年だけではなく、これまでも、とにかく揺れていて、衝動的に、情動的に生きた1年だったと思います。

だけど、多くの出会いと別離の中で確かに「光」と「闇」どちらも深く感じた1年でした。本当に感謝の気持ちと、敬意で一杯です。

また今年もよろしくお願いします。  



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1年間の振り返りと概要

◆12月

・11月末〜12月14日
11月末に気仙沼での2年間の写真展を行い、気仙沼を離れる日が決まっていました。
それは学生時代からお世話になっていた、NPO法人Cloud JAPANのゲストハウス架け橋を退職し、
「架け橋のさとる」という明確な所属がなくなることを意味していました。大学の肩書きも無くなり、中退

そして漸く慣れしたんだ気仙沼をという土地を離れ、以前から良くも悪くも自分の頭の中にあった「世界一周」へ進むことを選びました。
気仙沼の方々に送り出して貰った一方で、やはり2年間の中で大口を叩き「中途半端な形だ」という気持ちは消え去ることはありませんでした。
ですが写真展やもりおか写真館さんと開催した出張写真館などで、写真を通してのあの時気づいた感謝を表現できたことが嬉しかったのを今でも覚えています。

またパートナーとも関係性が変化した月でもありました。互いに自分自身を満たし、自立していこう、と。そんな約束を写真に収めました。

・12月15日~
お金を貯めるために、長野県の大町市にある星野リゾートでリゾートバイトをしました。
気仙沼で沢山に人と会うことが日常であった日々とは対照的に、ひとりの時間がとても多かった日々でした。
ひとりでの時間は寂しさもある一方で、孤独な時間は何処か心地よいという発見があった日々でもありました。

◆1月

・5日~24日
長野県でのリゾバを終え、その足で再び気仙沼へ向かいました。
元パートナーであり、同僚であり、仲間の退職にあたっての報告会のサポートスタッフとしてイベントの準備や運営を前職メンバーでやりました。
前職でお世話になった方々の前で、彼女がこれまでの軌跡を伝える場に関われたことが喜びでしたし、ふるさとワーホリに参加してくれたメンバーとの再会も嬉しかった。

・25日~
大切な友人であり、元同僚が相馬市で新たなゲストハウスを立ち上げたオープン記念パーティーに出席しました。
そのゲストハウスに関わる殆どが、気仙沼での縁で出会った大切な仲間で、そのみんなが新たな航海の門出を祝えたことが誇らしかった。
それと同時に、自分の奥底でとても不安な気持ちが自分自身に対してあったのも事実でした。

◆2月~4月

この時期はとても動的で、自分の体験を吸収し、それを表現することがとっても喜びに繋がっていた時期でした。また解放で、”自由”な感覚に溺れていた時期でもあります。
タイミーで日雇いの仕事をしていたのですが、飲食・食品加工・印刷会社・クリーニング・引越し・住宅建材、メーカー・物流・清掃・イベント、小売などとても多くの業種で働き、
自分の知らなかった社会の現場を見て、そこで巡り合わせた人の姿や話に一喜一憂をしていました。
また、個人的に図書館に通い、本をたくさん読み、写真やラジオ・noteなどで自分自身を整理していたように思います。
ただ世界一周という本筋に逸脱していて、「本当に何処に行き、何を感じたいのか?」が曖昧で、その日暮らしのような生活になっていました。

◆5月

「世界一周」というとてもマクロで不明確な旅に心が踊らなくなってしまっていて、自分の信なる願いが確かにあった「6年前に会ったインドの家族に会いたい」という想いから、
世界一周ではなくインドへ再び向かうことを決めた時期でした。
そこで香川県にある小豆島へリゾートバイトの為に向かいました。この途中で、気仙沼からの友人で陶芸家を目指していた友人やインドへ最近に行っていた気仙沼の友人とも再会をしました。

◆6月~7月

インドへ足を運びました。
西加奈子さんの著「サラバ!」の主人公である圷がエジプトで幼少期の希望であったヤコブとの再会を通して自分自身を取り戻す物語に自分を重ね、家族との再会を願い、歩を進めました。
そして劇的な再会を果たし、6年ぶりの再会にインドの家族とその喜びを分かち合う日々を過ごし、それとは別でインドの親友ができた時間でした。
ただ、6年前とは打って変わり、彼らインド人の家族の経済的状況や彼らを取り巻く関係性の状況に対しての自分自身の立場や在り方に、無力感と怒りと悲しみで一杯になった日々でもありました。
そして、キング牧師の「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」という言葉や「愛なき意志は小手先で、意志なき愛は感傷的」という言葉を芯に感じ、「力をつけなければ」と奥底から駆り立てられ、世界一周をやめました。ここで5年間の世界一周という夢や憧れにピリオドをつけました。

“力をつける”という漠然とした、けど確かな思いから選んだのが、日本に帰国して仕事先を決めるということを決めました。が、地元へ帰郷して戻ってからインドでの費用などに追われる日々が続きました。また以前のパートナーと復縁し、互いにまた歩を進めるという風に決めた時期でもありました。

◆8月

帰国後の次動くための資金を貯めることを名目に、気仙沼へ再訪しました。
前職で運営していた制度を私自身が使い、インドでの体験を伝えながら農業や清掃の仕事をしていました。
気仙沼の人たちとまた時間を共にし、出会えた喜びでいっぱいになりました。
一方で、今の自分自身の状況からとてつもない焦燥感が現れ始めました。お金などの現在の状況や今後の不確かな自分自身とインドでの想いが入り乱れながら生活していました。
また写真を志すのか、再就職で企業へ勤めるのかで思い悩みすぎていた時期でもありました。

◆9月

以前新たな発見や喜びもあった日雇いの仕事は、いつしかとても窮屈でお金が以外得られている感覚が何もないという思いが日に日に強くなりました。
写真の道を検討し、写真の業界や実際に連絡を取ったりした初手で、上手くいかずに完全に塞ぎ込んだ時期でした。
家で数日間家族以外誰も会わないような引きこもりをし、心身ともに良くない方向へどんどん向かった時期でした。

◆10月

以前からの友人の助けや紹介もあり、就職活動のようなことをはじめたのがこの時期です。
日雇いで銭を稼ぎながら、残りの時間を就職活動に充てていました。ですが、自己分析を行う中での発見があり、企業を調べたりもしていたものの今の自分やこれまでのやってきたことへの不信により、明確に進められずに悶えていた時期でした。

◆11月

僕が本当にお世話になった気仙沼の経営者のお二方と神奈川へ行き、とても楽しく喜びに溢れる時間を過ごしました。
その中で「自分がテンション上がること、ワクワクすることにがむしゃらになってみると、周りもその覚悟を見てくれていて、さとるの自信にもなり、違う視点に立てると思う。選択肢が広すぎてもいっちょかみでは今の状況と変わらない。そこを何かに決めて突き抜けてほしい」という言葉を貰い、それを素直に受け止め自分自身での指針になる一方で、とてつもない焦燥感がこれ以降襲ってきました。
そして自分にいろいろな言葉を言い聞かせて、就職活動を前向きに進めていこうと思い行動できている実感がりました。

が、自分でも恐れていた且つ予感をしていたパートナーからの関係を改める言葉を貰いました。初めて食事や喉を通らなくなり、激しく、何かが壊れるような音が自分の中でしました。
「またやってしまった。僕はいつも頑張れず、やりきれず、大切な人が離れていってしまう」と心から悲しみと怒りで一杯になりました。そしてパートナーがずっと声をかけ、側にいてくれて、はげなしてくれ、1年前お互いに交わした約束や彼女の想いを踏み躙ったことへの罪の深さが自分を支配しました。
そして、こんな生き方は絶対に嫌だ、と半ば衝動的に情動的に激しく誓いました。

この時期に出会ったのが「メンタルモデル」という考え方でした。
本当は望んでいる結果とは対照的な、不本意な現実を繰り返しているということ。それは痛みを回避する行動によってつくられていて、克服という形の回避と頭皮という形の回避で無自覚に痛みを避けているということ。そして、「⚫︎⚫︎がない」という何処か自分自身が欠けている意識の裏には、「⚫︎⚫︎があった」という自分自身がいることに気づき、それは自分が自身や世界に対しての願いだるということ。これをメンタルモデルのセッションをやってくださった方のお陰で、自分自身の見えない奥底にある痛みや願いに気づくことができた時期でもありました。

◆12月

自分自身や自分自身の身近な人とどんな関係を望んでいるかを感じ、願いに沿った行動したいと思い、実行できた日々でした。
そして自分見えていた世界の見え方が変化していった時期です。そしてパートナーや家族との関係を、自分自身との関係という自分にとって大事な人に目を向けました。
そして自分自身が生かされているという感覚と、自分自身の現実を見つめて、小さく、だけど願いに沿った選択をしようと決意した時期でした。


追記:

今感じていることを東京で写真展という形で表現します。
是非見ていただけると嬉しいです。
https://lightinthedark1.studio.site/




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