ワイの会社員時代6 終劇
会社員10年目。
お金だけはある。物欲はいつでも満たせる。だが心が欲しいと思わなくなった。体がだんだん重くなってきた。
メタルも、ゲームも、ラジオも、アニメも何もかもしなくなった。休みの日は何をするわけでなく寝ていた。外食する気もない、観光する気もなかった。友人の誘いも断るようになった。
10年目の1月あたりからミスが激しくなった。ケアレスミス、忘れる、できた亊ができなくなる。ストレスが溜まり他人に辛くあたる。
3月に社長始め上層部から休養の命令が下る。1か月何もするわけでなく休んだ、のか?ほとんど記憶にない。
4月に復帰するも全く改善せず5月には職場で泣きだした。高卒入社だからもう30に近づいてきた大人がギャン泣きした。心配した上層部が病院へ。
診断中、医師が「覚醒剤の疑いが」との亊。いやいや、一切ないから。
でもこれが決定打になったのだろう。上層部は私に疑いの目を向けるようになった。翌日大きな病院へ。「うつ病」となる。2週間休職の後、3か月休職の診断書でFAXで送信。一度会社へ出向くもみなどこか腫れ物に触るかのよう。自分の席にはかつての部下が座っていた。上層部と面談。100%で出社できるまで傷病手当金を受給しながら休むか、退職するか選んだほうがいい。との亊。面談が終わり、駅についた頃相談役から「カフェで待つ」との電話。そこで告げられたのが「社長は年齢もあって君を覚醒剤者扱いしている」「会社都合にしたくないので自主退職させるために動いている」「傷病手当が切れる手前で退職したほうが」との亊。当時判断能力もなかったために従うしかないと思った。
7月に祇園祭りを見て涙した。何故かわからない。「終わった」「何もない」「何もできない」がただただ巡っているだけだった。
傷病手当は1年6か月。10年目の給料が60万前後だったのでそれの数割カットだ。けっこうな金額にはなる。だがそういう算段もできなかった。9月に退職した。荷物や私物は配送で済ませた。
何もかも終わった。という実感すらなく、考える能力すらないただの
「人のような生き物」
だったように思う。本当に記憶にない。わずかに「薬を飲めば治る」という意思があったせいかその記憶だけはある。苦い飲み薬だった(個体名は差し控えておく)
9月に薬の量は増えた。3環、4環の組み合わせ、あとは安定と眠剤。薬を飲み、寝る。起きている間、頭はぐるぐると暗い考えを巡らせて疲弊していた。
親は「もうダメだ」「一緒にしぬか?」と言われた。それでも虚無から戻ることはなかった。ただただ無の世界。現実見えているし、着替えて、食事睡眠はする。だが何を食べたかわからない。寝た時間だけは数えることができた。
とまぁ、ざざっとこんな感じですかね。あとは余談として会社時代の失敗とかでも羅列していきますかね。
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