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政治解説(法律の意義と政治的な自分の意見の通し方)

今日のテーマは、現代社会において、最も大切と言っても過言ではない話です。

皆さんは、日々生きている中で、これおかしいな。なんとかできないかな?理不尽だな。このルール絶対変!誰のためのルールだよ!このルール意味あるのか??と思った経験はないでしょうか?

政治とは、ルールに則り、ルールを決めるためのシステムです。

そして、そのシステムを利用しているのが、人です。

もしも、社会でおかしいと思うことは、この政治に則って変えるしか方法はないのが、現代社会です。ある程度、ビジネスでお金を得れば自由は増えますが、法にはどれだけ努力しても逆らえません。従うか、変えるかしかないのが、法律です。

今日は、そんな法律とは、そもそもどんな存在なのか?
その法律をどうやって変えていけばいいのか?を伝えて行きます。

~自由の相互承認社会という前提~

なぜ、法律が生まれたのかというと、戦争を辞めるためです。

キングダムという漫画を見たことがあったり、きちんと歴史を勉強した方は、知っているかもしれませんが、私たちは昔から戦争をしてきました。そして、大方の戦争が終わって、世界中で法律ができ、世界が戦争時代よりは平和になったのが、日本では、1945年です。

しかし、2023年現在でも、世界ではまだ戦争が起きています。

何が、たりないのか?

本質的には、私は、きちんと整備された法律だと考えます。

法律とは?

法律は、私たちの「基本的人権」を生みだし、それを守るためのものです。

戦争が起きてしまう原因というのは、勝者や力のある者が、他者の自由を否定して、お前が間違っているから、俺に従え!というのが発端です。これは、別に、いきなり武力を使っていなくても当てはまります。

例えば、「これは学校のルールだから従え」

こうやって言う先生がいるとしましょう。
この時、そのルールには正当性があるのか?というのが、今回の記事の本題となります。どんな時に正当性があると言えるのか?というと、

そのルールが、当事者全員で承認し作成し、適切な手続きを経れば、変更可能である場合のみです。

1まず、皆さんはその学校に入る時点で、そのルールを知る義務があります。そして、入学をするということは、そのルールを承認したことになります。なので、承認はクリアです。

2そして、次に、作成に関しては、基本的に学校長が行うのが、日本の仕組みです。しかし、どの学校にも、大なり小なりの生徒会というものが存在します。本来この機関の意義は、学校のルールである生徒手帳に記載されている内容を変更する権限を有しています。なので、作成と、変更可能もクリアです。

つまり、「これは学校のルールだから従え」という先生には、大抵の場合、正当性があります。もし上記、1,2が満たされていない場合は、教育委員会に訴えれば、解決してくれます。

正当なルールに従わないのは「わがまま」

故に、もし学校のルールに不満のある人は、法律や政治の仕組み、学校の生徒会の仕組みなどをきちんと理解し、校則を、自分たちの力で変える必要があります。

それをせずに、こんなルールおかしい!!と言ったところで、それはただのルールに従わない者の「わがまま」で、誰も聞く耳を持ってはくれません。

なぜか?

ルールを作った時には、誰かの権利を守りたかった人がいて、ルールを守らない人たちは、その人の権利を害する可能性が高いからです。

法律は、私たちの「基本的人権」を生みだし、それを守るためのものです。

と言いました。ルールもこれは同じです。

ルールを作った時には、誰かの権利を守りたかった人がいて、ルールを守らない人たちは、その人の権利を害する可能性が高いからです。

これについて、もっと深ぼりましょう。

どれだけ理不尽なルールでも守らなければいけないのか?

当然答えはYESです。

私達が、ルールや法を創るのは、戦争を避けるためです。

では、戦争とは何か?

それは、誰かの自由を否定して、自分の自由を獲得することです。

じゃあ、理不尽なルールは、俺の自由を否定してきているのだから、戦争で、おかしいじゃないか!法律の意味を果たせていないじゃないか!と考える人もいるでしょう。しかし、その指摘は間違っています。

一度、法律やルールとして決まったのなら、正当な自由と、正当ではない自由が生まれます。そして、上記の指摘をする人たちは、正当ではない自由を求めているだけの「わがまま」です。おかしいと思うのなら、「正当な手続きを経て、もう一度法律やルールを変えるしかありません。」

基本的人権というのは、基本的と言うだけあって、できるだけ多くの人が望む「権利=自由」を承認し守るということです。ですから、もしそれをおかしいと思うのなら、恐らくあなたは、マイノリティーな存在です。

さて、ここからが本題です。

民主主義とは何か?

基本的人権というのは、基本的と言うだけあって、できるだけ多くの人が望む「権利=自由」を承認し守るということです。

とお話しましたが、これは決して、多数決ではないのです。多数決だけで、政治をするとどうなるのか?というと、みんなそれが正しいと言っているから、あいつはおかしいんだ!じゃああいつを殺そう!!という発想になる社会に陥ります。

なにを、そんな。そんな風になる訳ないじゃん!と思う人も居るかもしれませんが、では、学校でいじめが起きていて、あなたは自分の危険を顧みず、そのいじめを止めることができますか?そして、あなたが強者であるとして、いじめを止めることができたとして、あなたが今度はそのコミュニティのリーダーの様になるわけですが、あなたはその力で、誰にも恐怖を与えずにいられているのでしょうか?

歴史を見ると、私たちは、自分を守るために流されて、人を吊るし上げています。そして、今の日本の法律である、「死刑制度」これも同じことです。法律で決められたことだから、私たちには人を殺す権利がある!と考えているのが、日本人です。

日本人の、「芸能人を叩く文化」も同じですね。社会的におかしいことをしていると、周りが言っている人になら、何を言っても良いと思い込んでいる人が日本には多く居ます。そして、日本人は誰もそれを行動に移して、止めようとしている人はいません。いたとしても、結局誰も止められていないので、いないのと同じです。


民主主義は、人民=国民全員 に等しく、政治に参加する権利を与えた仕組みの事です。

ですから、政治に参加しない人も、興味が無い人も、どうでもいいと思っている人も、全員、政治に参加させられています。だからこそ、1人1人が、政治に向き合い、ただの多数決にならないように、少数の人の声にも、きちんと耳を傾けたり、誰かを吊るし上げるだけの様な、おかしいと思った人を、吊るし上げて終わり!という仕組みにしてしまうと、何も間違えられない恐怖と常に戦いながら生きなければいけない社会になります。誰かがおかしい!と言っていて、周りもそうだよね!と思っていることに対して、それはそれで違くない?と言う事も、とても恐ろしい社会になっていきます。

では、最後に意見の通し方です。

現代の日本の法律の仕組みでは、法律を変えるためには、

上記のどれを見ても、基本的に通ずるところは、考え方を主張し、同意してくれる人で徒党を組み、それを承認して貰っていく事です。

逆に言うと、考え方を周りの人が誰も承認してくれなかったら地獄です。

ですが、そうした主張をしている人を責め立ててはいけないという法律もきちんとあります。表現の自由の権利です。

こうして、誰かを守りつつも誰かを否定するのが法律であり、それを創っているのは、民主主義に則っている限り、国民全員です。私たちが、人の心を考えられなかったり、孤立した人に寄り添えないのであれば、そうした国に変わっていきますし、寄り添えるのであれば、そうした国に変わっていきます。

1人1人が、正義とはなにか。良い、悪いとは何か?を考え続け、相談しあい、議論し合い、互いに理解をしながら、互いの自由を承認しながら、生きていくしか、方法はないわけです。

ルールを破ってしまったら、それは間違いになってしまいます。
ですが、間違った後、個人と周りがどうするか?も大事だと思います。

ですが、ルールを変えようとせずに破るのは、「わがまま」です。
はき違えずに、きちんと法律に則って、ルールを変える努力をしてください。そうすることでしか、権利は獲得できません。

次回、最終回「ビジネスの本質」


社会問題を解決するために立ち上がった組織です。 ニュースを見ていて、暗いニュースばかりだと感じる。その問題をどうやって解決すればいいのだろうか?そんな思いを解消したいと考えています。