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若さと学びの資本価値はいくらなのか?最低時給3000円以上でしか交換しないべきではないか?

これまでを踏まえ、第2章では、時給3000円にするべきであるという提言を前提に、詳しく、マーケティングと政治を中心に、意思決定の方法を学びつつ、「学生を安売りしない」ための話を発信していきます。

そして、今回の記事の内容は

「最低時給3000円以上でしか交換しないべきではないか?」

という提言を正式に提示させて頂きます。

下記記事では、様々な文献や資料をもとに、最低賃金1200円以下はブラックであり、時給は本来2600円以上が正当な価格であると伸ばさせて頂きました。

そして、今回はそこに、+400円をして時給3000円以上が「学生」にとっては最適であると提言させて頂きます。

理由は、「学生」であるからです。
ここに、+400円の価値があると、私たちは考えております。

若さと学びの資本価値はいくらなのか?

こちらの記事で述べたのは、あくまで若さの価値です。

なので、今回は学びの価値を提示して参ります。

皆さんも、中卒、高卒、大卒、院卒では、生涯年収が違うという話は聞いたことがあるかもしれません。これは、たしかに能力が高い低い、高くなりやすい、低くなりやすい、などの要因もありますが、大学と企業が互いに協力して、作り上げた社会構造であるという理由もあります。

本来、新卒採用、中途採用などで、見るのは結局の所「企業」においては、学力とそれに付随する教養力や学習能力、というよりは、メインは「ビジネス力」「有用性」です。これに、「学習能力」が関係するので、一定のレベルで、学歴が関係してくるというのが実情です。

しかし、メインの「ビジネス力」「有用性」を考えるなら、「資格」を持っている人であれば、学校で身に付けてくる能力が無くても、「ビジネス力」「有用性」「学習能力」のすべてを満たすことができます。

たしかに、学校で得られる幅広い経験や多様な人との交流、学問の知識も大切ですが、「企業」にとっては、売り上げが命なので、「学力」「教養力」は、かなり軽視されていると考えます。

ただ、代わりに見られているのは、「専門性」と「実績」という意味での、「学力」です。なぜなら、これは売り上げに直接貢献できるからです。

以上を踏まえて、何が言いたいか?というと、

ビジネスにおいての学びとは
「専門性」と教養という名の「基礎力、応用力」です。

なので、働くことだけで言えば、大学に行く必要はなく、中卒+専門学習をすれば十分なんです。

では、学びの意味・価値とは何でしょうか?

学びの意味は、社会的にみると、「政治的価値」「社会構築的価値」です。

なぜ、高校に行くのか、なぜ大学に行くのか?それは、人生を楽しむためであり、教養を得て広く社会を見る力を付けるためであり、人を尊重する、人を守る、人を育てる必要性や大切さを「学問や教養」から得るためです。

そうして、多様な見識を得ていく事で、政治やビジネスを、画一的に捉えるのではなく、多角的に捉えられるようになることで、「生きること=仕事をすること」にはならなくなりますし、「人権=稼いでる人」にもならなくなります。

つまり、教養を身に付けた人が集まる企業や、社会になった方が、そのコミュニティは安定、相互協力的、発展的な組織になります。なぜなら、そのコミュニティの当事者間で、それぞれの多角性から、意見を持って、それを議論しながら、よりよいものにしたり、それを言語化して、ルールにまで落とし込むことができるようになるからです。

社会で言うと、その議論が「政治」であり、ルールが「法」です。
企業で言うと、議論が「会議」であり、ルールが「社則やマニュアル」です。

では、本題の学びの資本価値はいくらなのか?

答えは、相対的貧困世帯の年収127万円の約3倍になる、「時給3000円*月100時間労働(1日5〰8時間労働+月13日~20日労働)=年収360万円」となるための、時給3000円です。

理由を説明していきます。

学びの深度は、当然それぞれですが、
社会創造価値である「学問性」「教養性」に加えて、生産能力的価値(働くこと)である「専門性」「基礎力・応用力」を身に付ける人が増えるほど、よりより社会生活に必要な、売り上げをあげて自由度を高めることと、ルールで全体の自由を維持することが両立できるようになります。

しかし、現代社会では、ブラック企業があったり、働くことがすべてになっていて、人のことを思いやる余裕がなかったり、社会問題に関心を向ける暇が無かったり、世の中で助けて!と叫び声をあげている人に気づけなかったりしています。一番顕著な例は「叩く」という日本の文化です。

答えは、相対的貧困世帯の年収127万円の約3倍になる、「時給3000円*月100時間労働(1日5〰8時間労働+月13日~20日労働)=年収360万円」となるための、時給3000円です。

この提言はつまり、時給をあげることで、働く時間を100時間に減らし、その分社会生活を生きる時間(家族や友人)や、学びを得る時間(教養や趣味、お金を使った体験)にすることで、社会全体でよりよい社会を議論していけるようにするためです。

つまり、良い社会を創るための「基本的人権」を日本国内で考えた場合、「最低賃金は3000円」以上でなければ、いけないというのが、見解です。

そうでなければ、社会は結果金持ちだけのための社会になり、荒んでいくと考えます。また、日本人なのに、日本のものを買えないようになってしまうはずです。

なぜ、社会を良くするためのお金を企業が払うのか?

この疑問を感じた方もいるかもしれません。しかし、別にお金を払う所が企業なだけで、そのお金の出どころは税金からの補助でもいいと思っています。ただ、あくまで働くことの対価としてお金を得れる環境であったほうが、公平であると考えるためです。

もう一つの理由は、社会全体が良くなれば、より企業は活性化するようになります。企業で働くことがストレスではなく、やりがいになり、積極性が増すことで結果として企業の「売り上げ」もあがるはずだからです。

しかし、社会がすさんでいくほど、会社内の雰囲気は悪化し、労働環境でストレスが増すようになり、軋轢が生まれ、人が辞めたりしていくはずです。生産効率もままなり、売り上げをあげるのも一苦労になるでしょう。

そうならないための、時給3000円です。


まとめ

今回の記事は、論理性をあまり感じなかったと思いますが、正直ここに論理性を創るのは、無理です。これは、政治であり、皆さんがどう生きたいか?を反映したのが、最低賃金を決める法律になるからです。

民主主義で、皆さんで、政治を変えて、法律を変えるしかないです。

それか、今までのビジネス社会通り、稼げる企業、優秀な人が集まる企業だけが、率先して、賃金を上げて、ゆとりのある人生を社員に大事にしてもらっています。なぜなら、そうするほうが、結果意味があることを知っているからです。

以上を持って、高校に通っている、大学に通っている人には、その学びに時間を費やしていることを評価して、「最低賃金を3000円」にすることを提案します。


今回の記事をより深く理解して貰うために、政治とマーケティングの説明を第2章ではしていきます。そして、どうやったら、自分たちの力で、企業や社会、政治、法律を変えていけるのか?という「学問」と「教養」を伝えて行きます。


社会問題を解決するために立ち上がった組織です。 ニュースを見ていて、暗いニュースばかりだと感じる。その問題をどうやって解決すればいいのだろうか?そんな思いを解消したいと考えています。