#78 死海へ!🇮🇱
7/3 マサダ要塞見学&死海は本当に浮きました!
7/4 エルサレム旧市街・アルメニア人居住区散策
昨日の晩に今後の予定を考えて、明日は死海に行こうと決めた。塩分濃度が高すぎて体が浮く体験ができるそうだ。その近くにあるマサダ要塞にも行ってみることにした。
昨日深夜2時くらいまで夜更かししたにも関わらず、アラームが鳴る前の7時半前に起きれたということは、無意識のレベルでも死海を楽しみにしていたということなのかもしれない。それともただ歳をとったから早起きだったのだろうか。ともかくも、持ち物を点検してからバスターミナルを目指した。
「死海やマサダ要塞に行くには1dayパスの方が都合がいい」
という話を聞いていたので、受付で購入した。32シェケル(1230円)と安かった。486番バスに乗り込むと、一人の日本人の方も同じくマサダ要塞と死海に向かうというので行動を共にすることにした。渡辺さんだ。現在65歳で定年を迎えて、イスラエルとヨルダンのペトラ遺跡を10日ほどで回るらしい。車関係の仕事で海外出張が多かったらしく、今回が延べ107か国目とベテラン旅行者だった。写真好きらしくバスの車窓から一眼レフで何枚も写真を撮っていた。
「一番良かった国はどこですか?」とありきたりな質問をすると、「ニュージーランドのクイーンズタウン、あそこは良かった。」と言っていた。ニュージーランド、いつか行ってみたいものだ。🇳🇿
出発して30分もすると死海が見えてきた。気圧の変化で耳抜きをする。死海は海抜−400mと世界で一番低いところらしい。植林されたナツメヤシ(デーツ)の木がたくさん並んでいる。
二時間ほどでマサダ要塞に到着。まだ10時半にも関わらず、外気温はかなり高い。要塞まではロープウェイか、スネークパスという蛇行した一本道を徒歩で登るかの二つ選択肢があるが、熱中症を防止する為なのか、スネークパスは通行禁止になっていた。ロープウェイと入場料とで77シェケル(2960円)。🚡
ロープウェイは3分ほどで頂上に着く。そこからの眺めは絶景だった。他の人が雇ったガイドの話では、ローマ時代には死海が要塞近くまであった。しかし死海はどんどんシュリンク(縮小)していき、現在の大きさになってしまったのだとか。縮小していった跡が分かる。死海はいずれ消滅するといわれているが、果たして本当だろうか。
マサダ要塞の模型の近くで、イスラエル軍元兵士のガイドがスネークパスで要塞に登った時の様子を話してくれた。曰く、「道は危険で、とても嫌な思い出だった」と。マサダ要塞の凄惨な歴史から、イスラエル軍士官の入隊式はここで行われ、「マサダは二度と陥落せず!」の宣誓を行うそうだ。
自分が関心を持ったのは、要塞の貯水機能だった。ここは砂漠地帯なので水の確保には相当苦労するだろうと思っていたが、雨が1日降るだけで、城塞内の1000人が2〜3年は過ごせたというのだから驚きだ。その他、風呂やシナゴーグ(会堂)も完備されていたらしい。
ロープウェイで麓まで降りて、バスを待っていた。来たバスは486番ではないが、このバスも死海まで行くというので渡辺さんと乗り込んだ。エン・ボケックという無料のパブリックビーチで降りる。ちょうど昼時だったので、Dead see Mall の中にあったカフェに入る。自分はツナサンドイッチ、渡辺さんはアラビアータを注文。観光地価格で60シェケル(2330円)したが、味がよく付いていて美味しかった。
そして早速死海に向かう。「DEAD SEA」の文字と一緒に写真を撮ってもらった後、ベンチで素早く水着に着替え入水。この陽射しで浅瀬はかなり熱かったが、奥の方に行くと適温になった。(それでも温泉の温度)
そして本当に浮いた!!
とても不思議な感覚だ。自分の拙い文章では表現出来ないが、強いて言うならば、座高の低いキャンプ用のベンチにもたれ掛かって、かつ重力を低減させた感じだろうか。塩分濃度は33%。肌はスベスベで、滑りはほんの少しだけ感じる程度だ。体勢は俯けになると腰が浮いてしまい、顔を上げづらくなるので仰向けが望ましい。しかし、仰向けで頭をずっと上げていると今度は腹筋をかなり使うので足を伸ばすと安定する。
反対のヨルダン側にある山々を観ながら、ぷかぷかと浮く。沈んで溺れることはないのだから、ヨルダンまで泳いで行けるのではないかしら。
興味本位で死海を舐めてみた。しょっぱいや辛いを通り越して苦い。すぐに吐き出してしまった。そして足裏を引っ掻いてしまってできた傷口が染みる。まだ神経が鈍い足だったからマシだったものの、髭剃りの傷など顔に近い部位だとかなり苦痛だろう。
次は渡辺さんの番だったが、この死海のために持ってきた防水カメラを一回水に付けたら動かなくなってしまった。死海恐るべし。彼がこれまで撮った写真は一眼レフの方だったので、データが消えなかったのは不幸中の幸いだ。そんなハプニングがありながらも、我々は死海浮遊体験を楽しむことができた。このエン・ボケックビーチには無料のシャワーが付いているから本当にありがたい。紐を引っ張れば水が勢いよく飛び出てくる。ここでしっかりと流しておかないと、帰りのバスで悲惨なことになるので、念入りに流した。リュックも死海に入った手で触ると塩で白くなってしまうので、水で洗い流す。
気がつけば15時になっていた。来た方向と反対のバス停で486番を待つ。30分くらいでバスは来た。38℃という炎天下でマサダ要塞と死海を楽しんだので、バスの中では一言も発することなく眠ってしまった。気づいた時にはエルサレムに戻っていた。
トラムに乗って宿に帰る。渡辺さんは明日ベツレヘムに向かう予定らしい。イエスが生まれた地である。自分は明後日に向かう予定だ。渡辺さんより自分の方が最寄り駅が近かったので、今日一日のお礼を伝えて別れた。
ちなみに翌日、自分は体調を崩してしまい午前中は大事をとって休むことにした。少し頭が重く、咳がある。死海浮遊にはしゃぎすぎたのだろう。
午後になると良くなってきたので、旧市街のアルメニア人居住区を歩いてみた。するとベツレヘムから戻ってきていた渡辺さんと、イスラエル軍の弾痕が残るダビデ門でばったりあった。「ベツレヘムは面白かったよ」と言っていたので、明日がかなり楽しみになった。「パスポート検査があるから忘れないように。」と忠告してくれた。
彼と別れ、最後の晩餐の舞台になった教会とダビデ王の棺を見学した。レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」が一番有名だが、背景の柱や壁などはかなり違っている。ここでもユダヤ人のグループが祈りの歌を歌っていた。
キリスト教居住地を歩いていると、黒い服を着た集団がデモをやっていた。最近ヨルダン川西岸のジェニン難民キャンプで、イスラエル軍とパレスチナとの衝突があったので声をあげているのだろう。プラカードには「War Crime(戦争犯罪)」と書かれている。しかし、しばらくすると、建物の二階からデモを妨害するように、イスラエル国旗を掲げたユダヤ人と思われる若者二人が大音量のスピーカーを流しだした。デモ隊の声は掻き消され、たまらず場所を移動していった。それを見てユダヤ人の若者は手を叩いて笑っている。
この他にも、旧市街でイスラエル警察とアラブ系市民の小競り合いをよく見かけた。民族対立の根深さを見た気がした。この様子ではパレスチナとイスラエルが手を握ることは永遠に訪れないだろう。民族や世代絡みの怨恨が一番怖いのだ。
歴史と民族の問題を肌で感じながら、今日の宿まで帰った。