#96 【後半】チュニス5日間滞在!世界一周4か月終了🇹🇳
8/12、13 シディブサイド/カルタゴ遺跡/アントニヌス浴場
2023年4月12日に始めたこの世界一周の旅も、今日で4ヶ月が過ぎる。一年間の旅の1/3が過ぎたからこそ、考えが変わったことや、見えてきたものもある。
まず思うのは、世界一周することへの建前や目的なんて、必要なかったということ。
ただ「やりたいと思ったことをやりたいようにやる」ことの楽しさ。
現代の子どもでも社会人でも、行動に目的を必要としたり、それを行う理由を求められたり、時には圧力もかけられたりする。そして自分自身ですら、何かしら理由がないと不安になる病。
例えば就活面接。面接官は最後に必ずこう言う。
「それで?その活動を行ったことで、何を得た?
何を学んだ?この会社でそれをどう活かすの?」と。
全部が全部、何か得たいものがあって始めたわけではないし、何かを学ばなければいけないというわけでもないだろうに。順序が逆な気がする。
本来純粋に、その活動を楽しむことだけで良いはずだろう。
自分に当てはめるなら、体力がある若い時に世界を旅しておきたかった。だから旅に出た。それ以上でも以下でもない。取ってつけたような理由など必要ない。
それでもこの旅の目的を聞かれたなら、「死に際で人生振り返った時用の思い出づくり」とでも言っておこうと決めている。
これからも出来るなら、人生の大半を趣味に囲まれて暮らしていたい。
人生は楽しむためにある。
旅に出たことで、「勤労」という国民の義務を欠いているというのは確かに少し気が引ける。会社を辞めてニートになったので「納税」の額も少し減ってしまったかもしれない。それはまた、帰国して暫くしたらまた一所懸命に働くつもり。「君が必要だ」と言ってくれたところに行こうと思う。自分で何か始めるのもまた一興だ。最近風邪を引いた所為なのか、静養している間にふと、そんなことを思った。
さて、インド以来久々に風邪を引いてしまったのだが、喉の痛みだけで済んでいるので、今日は昼間に旧市街のスーク(市場)を冷やかして、フランス門近くで食事をとってから、チュニジアいち美しい町と評判の「シディブサイド」に行こうと決めた。
スークには狭い路地の両サイドに八百屋や魚、生肉、果物、雑貨、古着が並んでいて、道の中央を主婦たちが今夜の献立を思案しながら物色している。
入り口の果物屋で葡萄🍇を一粒試食させてもらったが、カイロの葡萄に比べて甘味が少なかったので買うのをやめ、代わりに量り売りされている平たい桃🍑を3つほど、1.6デナル(75円)で購入して広場で食べた。
これが甘くて美味しすぎた。思わず売り場のおっちゃんに言う。「これまじで美味すぎ!」
甘みがたまらず追加で5デナル分、衝動で購入してしまった。ここに一つの格言が出来た。
「カイロはぶどう、チュニスは平桃」
一旦ホテルに戻った。
「シディブサイドは夕方が良いよ!」とシャイマに言われていたので17時に出発した。
チュニスマリン駅から電車が出ている。片道運賃は0.8デナル(37円)。車両に乗って数分もすれば発車する。開きっぱなしのドアから外を眺める。地中海からの風が吹き付けられて気持ち良い。途中に「カルタゴ・ハンニバル駅」があって、この駅はカルタゴ遺跡の最寄りにあたるのでまた明日来ることになる。電車に乗ってから45分ほどでシディブサイド駅に着いた。この駅でたくさんの人が降りる。
シディブサイドは白と青で統一された美しい町だった。チュニジアいちと言われるだけはある。今日は土曜日で休日だからか、外国人観光客のみならず、チュニジア人の観光客も多くいるように見受けられる。絶景スポットまでは登り坂になっており、人々の流れに身を任せて進む。
一つの家だけ玄関が黄色で塗られていて、それがアクセントになってオシャレだなと思った。大通りの左右は雑貨屋さんになっていて、民芸品や衣装、砂漠のバラなどが売られていた。
坂を登りきったところに1932年創業のチュニジア名物「バンバローニ」(シュガードーナツ)の老舗があった。店は大盛況で、バンバローニを目当てに長い列ができていた。
「ただの砂糖パンでは?笑」と思って一旦は通り過ぎたが、ここまできて食べないのも申し訳ないと思い、列に並んで一つ購入した。1デナル(47円)。揚げパンに砂糖をつけた単純なものだったが、パンはもっちりしていて美味しかった。
道を進み、有名なカフェテラスからシディブサイドの絶景を見下ろす。美しい青色の海と、向こうに見える深緑の山々、そして右側の白い町。これは確かに美しい。
帰り道、「ハロー。僕と君とは友だちだ!」と前段もなく絡んでくる青年がいた。いくらなんでもいきなり過ぎる笑
結局のところ、お金が欲しかったみたいだが、あいにく自分は貧乏旅行者なので丁重に断った。
翌日はカルタゴ遺跡を見学しようと思った。チュニジアはハンニバルという軍事の天才を生んだ偉大な国だ。第二次ポエニ戦争でローマを滅亡寸前まで追いやった英雄。その彼がいた時代の遺跡を見に行く。
電車に乗る前に、チュニジア風エスカロープサンドウィッチをテイクアウトしたのだが、そこの店主は英語を話せた。日本人だと言うと、彼は以前、チュニジアプロバスケットボールのコーチだったようで、2回ほど日本に来たことがあるらしい。熊本と埼玉と言っていただろうか。二人で話が盛り上がってしまい、彼の弟子が自分に「具材はどうするか」と聞くタイミングを逸して呆れていた顔が笑えた。
チュニス・マリン駅でサンドウィッチを平らげたあと電車に乗り、カルタゴ・ハンニバル駅で降りた。長閑な駅で、南の道路ははビーチまで続いている。自分はカルタゴ遺跡のある北側に歩を向けた。
大きな教会がある。「今日は教会閉まってるよ!」と教えてくれたのは、土産物屋のおっちゃんだった。彼はモザイク画を作って売っているらしい。一つの作品は小さなものだと2日で完成できると言っていた。荷物になってしまうので買うことは出来ないが、小さな砂漠の薔薇を無料でくれた。
カルタゴ遺跡の入場料は12デナル(565円)だった。受付で話を聞いてみると、カルタゴ遺跡の他に7ヶ所、共通の券で入場出来るようだ。体調が万全だったら全部の史跡を回るところだが、あいにくまだ本調子ではないので、数は限定した。
カルタゴ遺跡は町の遺構が残されていた。そこから見える海と町とが綺麗だった。カルタゴ遺跡をどう残すかのコンペティションがあったようで、たくさんの建築家によるアイデアも保存されている。
そのあとは海側に向かい、ビーチで泳ぐ人や釣りをする人を眺めていた。近くに共通券で入れる小さな遺跡があったので入場してみたが、解説がフランス語だったので何の施設だったのかは分からなかった。
最後に「アントニヌスの浴場」を見学した。海沿いにあるこの遺跡は見事なものだった。浴室や脱衣所が左右シンメトリーに設計されていて、現在でもその大きさと建築技術の高さ、当時の人々がテルマエをどれだけ愛していたかが伝わってくる。テルマエから少し離れた同じ区画にお墓があるのだが、なぜこの場所にあるのかは理解しかねた。
チュニス旧市街に戻ってきた。明日はスースの町に移動するので、チュニス駅に赴いた。この駅は日本の協力で建設されたという版があった。チケット売り場は昼間より人気は少なく、明日8:50発のチケットを簡単に購入できた。2等車で8.1デナル(381円)と格安だったが、この金額ならば一等車にすれば良かったと思ったのはまた翌日のお話。
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