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#165イグアス居住区資料館!&沈没不可避の心地よさ『ペンション園田滞在記② 』🇵🇾
12/30 ラーメン國勝さんの畑🌲&Muchos chicos👦/イグアス居住区資料館🏛️/ウェルカムおにぎりで談笑/カラオケ「むらさき」へ!
9時に起床した。昨日はユウキくんと2時までサッカーコーチ談義をして夜更かししてしまったが、とても楽しかったし、自分も一介のサッカーコーチとしてかなり勉強になった。サッカーコーチはまず選手の特性を見極める必要があるとのことだ。彼は3パターンに分類していた。
・V(視覚)が強い子→見せれば出来るが、飽きやすい。
・A(耳)が強い子→論理的に説明すれば理解する。
・K(その他の感覚)が強い子→その他。関係を重視し、努力でV&Aを超える。
(V・A・Kはそれぞれスペ語の頭文字だが意味は忘れた笑)
その子がどの分類に入るのか、それを踏まえて選手にアプローチしていくことが大切だと説いてくれた。彼と話していると、サッカーコーチというのは自分が思っていたよりもまだまだ奥が深いようだ。帰国してからさらに精進して行かねば!
『ペン園』ではお米は無料で自由に炊け、卵は一日1個タダで貰える。それを知らずに昨日農協スーパーで6個購入してしまったが。
炊飯器で米を炊き、瀬戸内のりふりかけをかけてスクランブルエッグと一緒に朝食とした。子猫が膝の上に乗ってきて愛くるしい。
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今日はラーメン屋の國(くに)さんが、自身のラーメン屋の裏の畑を案内してくれるという話を頂いたので皆んなでお邪魔させていただくことになった。11時に國さんが運転する車に乗る。子どもたちも一緒だ。この子どもたちが恐ろしく礼儀正しく驚いた。まだ5、6歳の子どもが
「お水をいただいても良いですか?」
と言えるだろうか。この歳で謙譲語を使いこなせる子どもなど今まで会ったことがない。ご両親の教育が素晴らしいのだろう。
ちなみに國さん家族はいわゆるノマド家族で15年以上旅するように暮らしている。最近ではメキシコや、モロッコのエッサウィラ、ジョージアで暮らしてきて、今年4月にパラグアイにやって来たと聞いた。長女のルリちゃんは6ヶ国語を操るようで、ジョージアではYouTubeがかなりバズり、地元TV局が取材にしに来るほど有名人だったらしい。
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ラーメン國勝に到着し、國さんの子どもたちが自作プールで楽しんでいる中、我々はおじさんの敷地を案内してもらった。200ヘクタールもあり、見える範囲ほとんど全てが所有地らしい。輸入したものも含め、たくさんの種類の木々が植えられていた。マテの木、胡椒の木、ドラゴンフルーツ、アチャチャイルの木など様々だ。アチャチャイルは酸っぱさの中に甘みがあって美味しかった。
おじさんがパイナップルを振る舞ってくれた。これほど甘いパイナップルは食べたことがないかもしれない。「これが本当のパイナップルだよ!🍍」
世の中には知らないことがまだまだあるものだ。
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余談だが、このイグアス居住区には『ペンション園田』と双璧をなす日本人宿がある。『民宿小林』だ。南米随一の日本人宿と言われていて、名物は夕食に出るすき焼き🍲が人気を博している。居住区からは少しばかり離れているので車でしか行けないが、イサミさんとアキラくんが明日泊まるというので見学だけさせてもらった。道路から奥まったところにあるためかなり静かだ。建物も大きくて立派だ。訪問した時には宿泊客は一人の青年しか居なかった。コロナと円安の影響から客が戻るのはもう少し先だろうか。
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16時、園田ヤツロウ館長の運転でイグアス資料館に赴いた。玄関の右手には「銘木ラバチョ」の木が置かれている。館内に入ると眞子内親王殿下が行啓された時の写真や、開拓時の古い写真などが壁に架けられていて、床には開拓当時使用された脱穀機や精米器、そして生活雑貨などが展示されていた。自分と一緒に説明を受けるのは海外で教鞭を取る日本人教員5人とサンパウロ在住の商社マン3人、そして自分の計9人だ。
園田館長からの説明が始まる。その一部を要約する。
パラグアイ移住の歴史は1936年に遡る。パラグアイ南に位置するラ・コルメナの町から移住が始まった。1959年から日本・パラグアイ政府による30年移住協定を皮切りに移住が加速した。高知県や岩手県、北海道の貧乏人や炭鉱労働者が多かったという。良い暮らしを求めて13000人が移住した。
パラグアイ人は隣国ブラジルとアルゼンチンとの戦争の影響から全国民の70%が35歳以下。そしてパラグアイ人の仕事ぶりは良い加減だ。そこに勤勉な日本人がやって来たとなると、日本人に仕事が舞い込むのは必然だ。
主要産業は大豆の栽培で、1960年から輸出を開始、当時は130トンだったという。栽培方法は「不耕起栽培」で、洪水で土が流れないようにしている。「上農は草を水に草をとる」という言葉がある。
園田館長が凄いのは、質問されたことに対して全て答えられるところだ。何を質問しても返答が返ってくるのだから、「発言は差し控えさせていただきます」連呼する日本の政治家は見習った方が良い。
2時間に及ぶ説明と質疑応答が終わった。
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20時、昨日と同じくテラスで談笑となる。ママ手作りのおにぎりが振る舞われた。
若者たちには「昨日ウェルカムおにぎりあげてなかったわよね?」
と言って個人個人に配ってくれた。玉子焼きもウィンナーもとても美味しかった。
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21時を回り、農協スーパー裏手にあるカラオケ居酒屋『むらさき』へ、園田のお兄さんとJALの南米支店長、伊藤忠商事、そしてトヨタ・ダイハツの南米部長の方たちといくことになった。若手は自分と、JICA海外協力隊でパラグアイの酪農支援をしている女性・Kさんの計6人。凄い方たちが『ペンション園田』にはやって来るものだと思わずにはいられない。今では日本を代表する大企業の部長さんたちだが、若い頃は同じように世界一周をしたり、南米を2周したりと、旅をたくさんしていたらしい。若い頃に旅に出て、世界を知っている人が今の地位にいるのだから、人生ってのは面白いものだ。
ダイハツの部長さんは1ドル210円の時、18歳でシベリア鉄道に乗ってヨーロッパまで行った経験を持っていた。それが当時一番安くヨーロッパに行く方法だったのだとか。18歳なので旅資金もカツカツで、資金がなくなると腕時計を売ったりして捻出したらしい。貴重なお話を聞けて良かった。
「世界に出る日本人の若者はどこに行ったんだい?もっと世界を見ないとさ」
伊藤忠商事南米支部長のお言葉が身に染みる。
店にいるほぼ全員が日本の歌を歌っていたのには驚いた。日本語をあまり話せない青年も日本の歌を歌っていた。これがまたかなり美声で上手だった。
1時間ほど経ってようやく自分たちにカラオケの順番が回ってきた。トップバッターは自分だ。彼の美声の後では歌いづらいが、長渕剛の「乾杯」を熱唱させていただいた。昭和に合わせたチョイスである。園田さんが「しゃぼん玉」、伊藤忠さんが「ローラ」、ダイハツさんが「ルビーの指輪」だったから外れてはいないだろう。
『むらさき』の女将さんは全身むらさき色の服を常に着ている。冠位十二階の一番高貴な色で縁起が良い。おつまみにらっきょうときゅうりの漬物というのも洒落ている。
最後にJICAのKさんとスピッツの「チェリー」をデュエットして〆となり、迎えに来てくれたヤツロウさんの車で宿へと戻った。
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『ペンション園田』に帰ってからも、南米サッカーコーチのユウキくんと、JICAのKさんと一緒にテラス席少し話した。JICAの一員として、パラグアイ人酪農家たちとどのように付き合っていくべきか腐心しているようだ。
ちなみに明日の大晦日が誕生日らしい。おめでとうございます!
彼女は明日パラグアイ南方の町に戻るらしい。我々も早めに寝ることにした。『ペンション園田』楽しい2日目はこうして終了した。
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