#100 タタウィーンからチュニスへ帰還!🇹🇳
8/21 ルアージュでタタウィーンからガベス、鉄道でガベスからチュニスまで
午前6時、アラームが鳴った。もっと寝ていたかったが、明日チュニジアからモロッコに渡るので、今日中にチュニスへと戻らねばならない。オーナーがクロワッサンを用意してくれた。宿泊代の支払いは昨日のうちに済ませていたので、4日間の感謝を伝えてすぐに出発した。今日はチュニスまで大移動の日だ。距離にして約600km。移動の前半に汗だくになりたくはなかったので、バスステーションまでタクシーに乗った。ホステルからバス停までは約2.5km。1.5デナル(70円)で乗せてくれた。
オーナーから「直接チュニスに行くルアージュ(ミニバス)があるよ」
と教えてくれていたのだが、チケット売り場の青年は「チュニス?ノー」という。英語が通じないので雰囲気でしか分からなかったが、どうやら「あと1時間待て」ということらしい。
せっかく早めに出発したので、チュニス行きの直行便は諦め、ガベス行きのルアージュに乗ることにした。ガベスからもチュニス行きのルアージュが出ていることは知っていた。ガベスまでの運賃は来た時と同じく11.2デナル(527円)。
スピードを出すくせにシートベルトが付いてないのがすごく怖いが、そこは運転手を信じるしかない。9人乗りルアージュはすぐに埋まり、検問を一度だけ通って2時間でガベスの町に到着した。
すぐにチケット売り場に向かったものの、現地民ですごい数の乗客が待っていた。チケットの代わりに待ち番号が記載された紙を渡されてしばらく待っていたが、周りの人達の番号と比べると自分はかなり後の番号らしい。ルアージュは頻繁に来る訳ではないので、これではさらに時間を食ってしまう。
鉄道も考慮してみた。タクシーで鉄道駅まで行き、時刻を確認したが、チケット売り場には誰もおらず、近くにいた人に次の列車時刻を教えてもらう。チュニス行きの次発は11:15だという。あと2時間も待つ必要があるようだ。
タクシーで一旦バスターミナルに戻った。残念ながら、列は全くと言って良いほど進んでいなかった。こうなることが事前に分かっていたら、潔くタタウィーンのバス停でチュニス行きを待つべきだったと後悔した。
10:30にタクシーでもう一度鉄道駅に行くと、チケット売り場は空いていた。「チュニス行きを1枚」と伝える。運賃は2等車で19.250デナル(906円)。1等車はすでに売り切れだった。こうして、ここからは鉄道で行くことに決まった。
待っている間、バルセロナから来たという男1人、女2人の陽気な3人組と会話する機会があった。これまでの経路やチュニジアについてどう思うかを聞かれた。「物価の安さの面で最高だね」と伝えると満場一致で賛成してくれた。ガベスの駅はかなり混み合ってきており、2等車の座席は早い者勝ちなので心配していたのだが、彼女たちが「私たちに着いてきな!」と、ラピュタのドーラ並みに頼もしかった。そのお陰で無事に座席を確保でき、列車は11:40に発車した。25分の遅れだったが、ことチュニジアでは上出来である。
隣に座ったチュニジアの大学生が英語で話しかけてきてくれた。名前はアフメッド。彼は23歳でシステムエンジニアの専攻なのだとか。現在は夏期休暇中で、スファックス近くの「グライバ」という2千人程しかいない町の実家に戻る最中だという。ここら辺は世界一の規模のオリーブ畑が広がっている地域らしい。
「世界一周中なんだ?!君が羨ましいよ。チュニジアでは稼ぎが少ないからね。この後はモロッコに?リビアやアルジェリアには行かないの?」
リビアは外務省発表でレベル4の危険地域となっていること、アルジェリアはビザの関係で行くのが難しいことを彼に伝えると、
「ニュースでは国内の事件を大々的に報じているけど、行ってみたらそんなに悪くはないよ。メディアは余計に危険な国だって煽るけど、本当はそんなことないんだ」
確かに彼の言う通りかもしれない。印象操作が働いていることは間違いないのだろう。
そしてアニメの話や仕事の話、オッペンハイマーの映画で賛否が出た話からチュニジア人の国民性、宗教のことなど多岐にわたる話をした。日本の宗教観を外国人に伝えるのはかなり苦労する。なので、彼にも「我々は普段から宗教や神のことは意識せずに暮らしているけど、秩序というか、日本人としての芯の部分はあると思うよ。そして我々にはクリスマスもあるし、元旦に神社にお参りもする。神道という考え方もある。そうやって色んなものを取り込んで自分たちなりに解釈する国なんだ」
これをアッラーが唯一と考えるムスリムに理解してもらうのはかなり骨が折れるのだが、彼は理解してくれたように見えた。
地図を見ながら、「チュニジアはイタリアと近いよね」と言った際、「そうなんだ。だからイタリアに密入国しようとする人が多いんだよ」と、チュニジアの影の部分の実情を教えてくれた。彼自身はカナダに移住出来るならしたいという。チュニジアでは給料が低いし、働き口も少ないようだ。そして現在チュニジアは通過安に悩まされているようで、ヨーロッパなどへ旅行に行ける国民などひと握りだという。日本も円安傾向だが、これからもずっと続いて、行く先はチュニジアのようになってしまうのだろうかと不安になった。
それでも日本に生まれたことは幸運だと思う。彼の話を聞いていて、そのことがより一層強くなった。
13時過ぎに彼が列車を降り、スファックスの街に列車が停まったのは午後2時半、チュニス駅に到着したのはなんと午後7時半過ぎだった。予定では3時にはチュニスに着いている予定だったのだが。
しかし、この予定通りにうまく行かないところも、旅の醍醐味である。
車窓を見ながらこれからのことに考えを巡らしたり、ダウンロードしていた書籍「Just Keep Buying」と「限りある時間の使い方」を読んだり、noteにアップするブログ記事を書いて過ごした。
8時を回っていたが、ホテルのオーナーは快く迎えてくれた。自分の名前が特徴的なので覚えてくれていたのがすごく嬉しかった。以前3日間泊まっていたホテルなので、パスポート提示も必要なく部屋に入れた。