#38 ジャイプールの街並みとインド人🇮🇳
5/3 オートリクシャとの駆け引き🛺
空港でのベンチで、6時を過ぎた頃に目覚めた。これがこの旅が始まって初めての空港ビバークとなった。横になれなかったので、熟睡とはいかなかったけれども、何とか無事に朝を迎えることができた。
空港を離れ、道路に出た瞬間に(オート)リクシャという、インドではポピュラーな私的タクシーの兄ちゃんたちが近づいてきた。
「タクシーだよ!どこ行くんや?」「街の中心の方に」
「俺のタクシーのりなや!」「いいよ、バスで行くから」
「200ルピー(332円)でどうだ?」「高過ぎるよ。バスで行く」
「いくらなら払えるんだ?」「50ルピーくらいでしょ。バスならさ。」
「50ルピー?!ノー!」「じゃあバスで行くって。ここバス停でしょ?」「ノー」
「(バス停を指して)じゃあこれは何?笑」「...」
こんなやり取りをしているしていると、すぐにバスがやってきた。ほら来たじゃん笑
バスに乗り込み、今日泊まるホステルの場所を見せたら、近くまで行くという。リクシャの兄ちゃんたちはバスにまで乗り込んで引き留めにきたが、運転手が一喝してくれたらしく、そこで引き下がった。結局、バスの運賃は30ルピー(50円)で済んだ。
インド入国の心構えとして、「インド人の言うことは8割疑ってかかれ」と前もって教わっていたので余計なお金を払わずに済んだ。先人の旅人よ、ありがとう。まじ感謝。
アジメール門近くで降りると、ATMがあったのでとりあえず2900ルピー(4800円)を下ろした。ホステルまではここから徒歩10分の道のりだが、道路には車やバイクがごった返していて、クラクションの嵐で、前後左右に気をつけて歩かなければならない。真横で鳴らされるクラクションはまじで勘弁だが、これはインド流の挨拶なのだと思ったら、一日で慣れることには成功した。
しかしながら、インドの道路の汚さといったら、タイ🇹🇭の比ではない。牛や犬のフンは覚悟していたのだが、それよりも人が捨てるプラスチックや食べ物、ペットボトル等がそこら中に捨てられてあって、水溜まりはもはや汚水と化して死んでいる。ホステルに到着した時には、靴に何かの汚物が付着していて少し萎えた。しかし、これに慣れなければインドでは生きていけないのだと、これからの旅を覚悟した。
ホステルには、朝の7時半と早くに着いてしまい、玄関でオーナーが寝ていたが、手続きを済ませるとすぐチェックインさせてくれた。二晩で560ルピー(470円/一日)と安いドミトリーだ。1000ルピーを渡そうとすると、「お釣りはないんだ。」と言われたので、570ルピーを渡しておいた。ベッドはお世辞にも綺麗とは言えなかったが、値段にしては良い。ベッドがある部屋からWi-Fiが繋がりにくいのが残念だったけれども。
空港での疲れを取るために三時間ほど仮眠した後、部屋にはもう一人同室となる客が来ていた。彼に宿のWi-Fiパスワードを教えてあげた。「どこから来たの?」尋ねると、かれは「ロシア」と答えた。ウクライナ戦争の件があるので、ロシアと聞いて少しドキッとしたが、平静を取り繕った。話してみると普通の好青年だった。名前はジャーニーといった。その名の通り、旅好きで、彼はすでに2ヶ月もインドにいる。「ティルバンナーマライ」という南の町から暑さを逃れて来たのだという。元気溌剌とした青年だなと思った。こういう若者が独裁者一人のために徴兵され、今も銃弾に死んでいるのかと思うとやり切れない。彼には思う存分旅を楽しんでもらいたいと、心の底から願った。
汚い未舗装の道を散策しながら、ジャンタル・マンタルという、世界遺産に認定されている18世紀の天文学研究施設跡に向かう。途中の店で油で揚げたパン?とカレーを食べた。タイの食事よりも辛かった。辛いのがダメな人はアウトなレベルだ。70ルピー(114円)
警備のおっちゃんにチケット売り場を聞き、入場料200ルピーを払って、ジャンタル・マンタルに入った。日時計で有名だが、どういう仕組みなのかよく分からなかったので、他の観光客が雇ったガイドの話を後ろから聞いてなんとなく理解していた。日時計をはじめ、これらの機械の精密さは素晴らしいことだけは分かった。インド人が総じて数学に強いというのも、こういうところから来ているのだろう。
余談だが、インドでは東洋人が珍しいのか、顔をよく見られることが多く、2ショット写真も頼まれる。しかしまれに、「マイフレンド!」と近づいて来て、高額ツアーに申し込ませようとしたりということもあるので、浮かれないように注意しなければと気を引き締めた。
水と生ものには気をつける必要があるので、夕食はまたナンカレーにしておいた。260ルピーと少し高かったが、よく煮込まれたチキンが二つ入っていてタンパク質を補給できる。バターカレーを頼んだのだが、相変わらず辛かった。
その後、ホステルに戻り、送ってもらった子どもたちの試合動画を観て、幸せな気分になってから眠りに落ちた。