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【191日目】八重の桜

ご隠居からのメール:【八重の桜】

大河ドラマで記憶に残っているのは、『八重の桜』の他に、『花の乱』がある。こちらは、応仁の乱の時代を描いたドラマで、ストーリーが理解しにくかったせいか、視聴率は六パーセント代という史上最低だったが、三田佳子が日野富子を演じて、けっこう面白かった。ただし、伯耆日野郡の出番はない。

>>與一さんは、戦国期以降の長谷部家歴史で、はじめて日野出身(尼子の
>>子孫)以外の女性と結婚した。

ーー明治期以降の長谷部家の歴史では、備中油野の佐とさんが、弥左衛門さんの后妻になっている。江戸期は墓碑銘に俗名の記載がなく、わからない。


>>白鷺城主、池田輝政の家臣だった岡村家は由緒正しい家柄だっただろ
>>う。

ーー士族だったことは間違いないが、徹さんの口ぶりでは岡村家よりも豊島家のほうが上位の家柄だったらしい。山室軍平も農家で生まれたが、やはり名字帯刀を許される家柄の出身だったという。


>>岡村素さんは、岡村家の生業ともいうべき医者にはならなかったが、二
>>男四女の子宝に恵まれた。日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)は
>>30代、40代頃だろうか。

ーー友次郎さん同様、素さんも兵隊にはならなくてよかった。写真を見ると、まじめで、無口で、優しそうな風貌だが、不器用そうだから、兵隊になれば苦労しただろうと思う。


>>このように考えると、輿一さんと貴美子さんは、本当に運命的な結婚と
>>なる。おかげで命を授かることができた。

ーー『人間失格』の大庭葉蔵のように「ウマレテスミマセン」などと言ったりせず、「おかげで命を授かることができた」という素直なとらえかたをすることだってできる。それで生きていければ、そのほうが幸せだと思う。

昨日、三女が大井町のマンションに引っ越し、自立の道を歩みはじめた。オレは運転免許を持っていないのに、四人の子供が全員免許を持っているのに驚く。オレの不器用ぶりは先天的なものではなく、もしかしたら、発達障害かもしれないと、テレビでパラリンピックを観戦しながら、そう思った。


返信:【Re_八重の桜】

そうだ、日野出身以外の嫁さんには佐とさんがいたね。油野出身の福田家の娘さんだから、與左衛門さんに反対されたのかな。前妻のナカさんは日野出身と予測するよ。

「応仁の乱」のドラマ化は大変だったろうな。不安定な日本をどのように表現したか、いつかみてみることにする。

ついに妹も一人暮らしをはじめたか。ようやく自立したね。子供が全員家を卒業したので、これからは夫婦二人の時間を楽しんでください。

自分は、昨日、オノタンをはじめ、ディズニーランドで一緒に働いていたメンバーと会っていた。むかし話に花が咲いたが、自分がはじめて浦安の実家を出たのは、ディズニーで働いたことがきっかけだった。

あれは、たしか高校を卒業して、専門を一ヶ月で中退し、ハングリータイガーや郵便局でアルバイトをした一年半後の二十歳の春のことだった。その年は、一月に成人式があり、中学や高校の同級生と久しぶりに会うことになり、なにもやってない自分に焦りを感じていた。

その頃、姉ちゃんがディズニーランドで働いていたので、自分にもすすめてくれて、面接に行くことになった。面接会場には、大勢の若者が集まっていた。ディズニーランドで働くとなると、普通、アトラクションを希望する人が多いのだが、自分は、配属希望のアンケートに、比較的人気のない飲食店での配属を希望した。その結果、合格出来たと思っている。

配属されたのは、レストランであるセンターストリート・コーヒーハウス。同時期に配属されたメンバーが十人くらいいただろうか。なかには、環境になじめず、すぐに辞めて行く人もいたが、自分は同時期に入ったメンバーや少し前に入ったイナゲッチと仲良くなり、六人くらいで富士見に家を借り、シェアハウスとして住みだした。

仲の良いメンバーと暮らしていたので、まぁ、色々なことがあったが、自由で楽しい日々を過ごした。仕事は、原則、平日の夕方17時~21時が仕事の時間だったが、慣れてくると、働く時間も長くなってきた。

やがて、オノタンやイナゲッチたちと一緒にパチスロに行く機会がふえてくると、23歳の頃には平日シフトから土日シフトに変更していた。平日はスロット、土日はバイトの生活という、夢のような生活だ。そして、2001年ディズニーシーができる年にセンターストーリート・コーヒーハウスを辞めた。

それからベンチャー企業に入社するわけだが、自分にとって20歳~25歳まで過ごしたディズニーランドの生活は、青春そのものだった。あのときの出会いがなければ、いまの自分はない。何も考えない、行き当たりばったりの毎日だったが、それなりに、なんとか這いあがろうと足掻いていたし、将来に不安を感じてもいた。

あれから、20年。ありがたいことに、人並みに仕事や家族を築くことができたが、ディズニー(パチスロ生活)の五年間は自分の人生の宝物だ。妹の一人暮らしも人生の宝物を築く時間になると良いね。


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