ノンバイナリー大学院生の年末年始
ご挨拶
遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。今年もぼちぼち投稿できればと思います。正月から悲しいニュースが立て続けに入ってきますが、普通に生活できることに感謝しながら生きていきたいですね。
家族へのカミングアウト
それはもう突然のことであまりはっきりとは覚えていないかもしれない。私が「トランスジェンダー」であることを両親と弟には話していた。東京に住む妹だけには何年もカミングアウトできていなかった。いつも会うたびに話そうと思ってはいたものの、結局できずじまいだったのだ。
憂鬱だと思いながら過ごしていたある日、その時、私は正直いつもと違う生活リズムであったのと、ずっと家族と過ごしていて心が疲弊していた。何となく自分でも「こればやばい、しんどい」と感じていた。
その日の夕方、母がイライラしていた。そして、妹と弟があまりにも家事を手伝わないことに対して、激怒していた。その時、母が「あんたたち」と言ったことが私の何かに触れてしまった。その「あんたたち」の中に私は含まれていなかったのにもかかわらず。おそらく、私自身、人のイライラを過敏に感じてしまうのだと思う。特に母のイライラは苦手だ。イライラしているのを見ると苦しくなる。その瞬間、私は耐えられなくなってしまい、リビングから自室のある2階に駆け込んだ。
後を追って母と妹、弟が入ってきた。母は「『あんたたち』って○○は違うよ」と言った。そんなことはわかっていた。でも、あの状況が私にとっては精神的にきつかったのだ。妹は泣きながら、「私が視やんかったのが悪っかったの、ごめん」的なことを言っていた。母も何か言っていた。
たまりにたまったストレスでもう訳が分からなくなり、私は「ごめんなさい、ごめんなさい」と言いながら号泣しパニックに陥っていた。その間に弟が父を呼び、私の部屋に家族が集まった。父は「自分の言葉で話しなさい」的なことを言い、母は涙目で「それは本人もわかってるけどできなくて苦しんでるんやんか」的なことを言い、なんとか私を守るようなことを言っていた。
そしてそれをきっかけに、改めて全員の前でカミングアウトをする流れになった。「男性ホルモン注射は打ってるけど男性でありたいわけではない」ということを話したら、妹が、「それってノンバイナリーってこと?」と聞いてきた。私は驚いた。「ノンバイナリー」という言葉が妹の口から出てくるとは思ってもいなかった。
妹もなんとなく、私がいわゆる「普通」の女性ではないことは察していたみたいだった。車で彼女を駅まで迎えに行った時、いち早く声が変わっていることに気が付き、「声どうしたん?」と聞いてきたが、その時には話せなかったことにずっと罪悪感を感じていた。「早く教えてほしかった。ずっとモヤモヤしてた」と言われて、何とも言えない感情になった。
こんな感じで、いつの間にかカミングアウトすることになったのだが、やっと全員に話せて良かったとは思う。ただ、母が心配性かつ勉強熱心すぎて、地元で開催されるLGBT関連の映画・ドキュメンタリー鑑賞会や講演会にとにかく参加しているのが、ちょっと不安だ。映像作品は当然脚色されている部分があるだろうし、講演会で話す人もその人の経験であって私の性自認や思考とは異なるからだ。それを同一視されるのは避けたい。
おわりに
今回は変な流れでカミングアウトすることになった話でした。両親にも再度向き合って話ができたのは良かったかもしれません。特に、「ノンバイナリー」についてはあまり話せていなかったので。両親が理解しているかしていないかはさておき、年の近い妹という心強い存在に頼れるようになったことがなによりも大きな進展です。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
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