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私の推し活・セルビア男子バレーを追って12年

1私の応援の心得

スポーツチームや選手を応援しながら幾度となく考えてきました。ファンとはどういうものか、一ファンの私はチームにとって、選手にとってどんな存在なのか。スポーツの種類、チームの規模や人気、向き合い方にもよるのでしょうが、私はこんな風に言い聞かせていました。

「チームや選手にとって一ファンは、声援を送る大勢の中のたった一人に過ぎない。欠けてもなんら影響のない存在だ。時に応援で力を与えられたように思えたり、心を通わせられたように思えたりしても、それは都合のいい解釈であり一過性のもの。彼らの世界と私たちの世界は交わることはないのだ。そこには超えられない壁が存在する。それでもチームの勝利を願い応援せずにいられないのは、沢山の喜びやエネルギーをパフォーマンスで与えてくれるから。それで幸せになれるから。」

画面上で試合を見るだけでは飽き足らず、現地観戦や練習見学など応援活動に勤しみ、ときに声援や思いが届かないように感じ切なくなった時、思い悩んで現実を見失いそうになった時、この「心得」で何度も目を覚まさせました。ファンという立場で楽しく応援活動を続けるために…これが私の活動の基盤でした。

2バレーボールセルビア男子代表との出会い


2007年11月、TVで初めてバレーボールの試合を観て以来、バレー観戦が私の趣味になりました。推しチームはセルビア男子代表チーム。日本人なのになぜセルビアなの? そんな質問をもう何十回と受けてきて、答えに困ることもなくなりました。私がセルビア代表を推す理由…それは彼らのバレーボールを楽しむ姿がとっても魅力的だったから!
パフォーマンスの高さでいうならば、セルビアチームよりも技術が高く強いチームはたくさんあります。ですが、それ以上に私の心を惹きつけたもの、それは彼らのキャラクター性でした。

2012年5月、浜松の会場で初めてセルビア代表チームを見た時のこと、コートの中でも外でも思うがまま自由に振る舞う彼らは、とにかくその場を楽しむ天才でした。選手同士が皆仲良く、その絡みが微笑ましく時に笑いをももたらしてくれ、私の興味を惹きつけて離さない最高のパフォーマーとして映ったのです。
コート上では感情をありのまま全身で表現し、コートの外でも観客を引き込んで歌やクラップで盛り上げる。大会マスコットキャラクターに身体を張っていたずらを仕掛けることもあり、常に目が離せませんでした。
中でも14番アタナシエビッチは最高のエンターテイナー。アスリートに対しこの称賛は間違っているかもしれませんが、彼は今までに見たことのないタイプの選手でした。
当時20歳で控え選手だった彼は、試合中にどでかい声で歌い声援を送っていたかと思えば、タイムアウト中に控え選手同士で「よーいドン!」のかけっこ。エンド席のチームスタッフとはコール&レスポンスで盛り上がり、締めくくりは会場のお客さんにエンターテイナー風のお辞儀。客席からは拍手と笑いが巻き起こり、それを見て調子に乗ってまたお辞儀してしまうノリの良さは、もはや芸人。ムードメーカーとして連れてこられたんだろうな…失礼ながらそんな風に思っていました。
ところが、いざコートに立つとこれがまさかの大活躍。ピンチサーバーで逆転劇を見せたかと思うと、スパイクでも相手コートを切り裂き、いい意味で予想を裏切られました。また、そのフォームがダイナミックで美しいこと…。念願のロンドン五輪出場権獲得の試合後には、チーム関係者一人残らず全員と男気溢れる熱い抱擁を見せ、感情豊かな面をも露にしていました。世界にはこんなにも魅力的な選手がいるのか…と衝撃を受けると、その年の冬には早速、彼のプレーするポーランドのクラブチームへと飛んでいたのです。

バレー大国ポーランドで、試合後4重5重にも及ぶ輪ができるほど人気の彼。そこでついに念願の対面を果たしました。輪の中で埋もれている小さな東洋人に気が付き、なんと彼は自ら私のカメラに手を伸ばし、隣のポーランド女子に渡して撮影をお願いしてくれたのです。
アジア系の顔、遠くから来たことを察してくれたのでしょう。ごった返す輪の中、数をこなすだけでも大変な状況で、撮影後にはちゃんと撮れているか確認までも。翌週の試合後には幸運にも会話する機会に恵まれました。
人見知りで英語が苦手、相槌を打つのがやっとの私に対して、決して面倒くさがることなく急ぐそぶりも見せず、ゆっくり丁寧に話してくれたアタナシエビッチ。見ず知らずのファンにこんな気遣いはまさに「神」。本当に21歳なのか…と疑ってしまう気遣いのレベルで、それを受けるともう制御不能…沼へとまっしぐらでした。

3過去のトラウマ


実はかつて日本バレーを応援していた私には大好きな選手がいて、それまではその選手に全てを掛け応援していました。2007年夏、軽鬱・神経症と診断され休職していたときに、その選手のプレーを見たのがきっかけで生きる意欲を取り戻し、社会復帰することができました。その間、精神科医の代わりに心の安定を導き、生き方を教えてくれた大切な選手。しかしある日突然、その選手との間に大きな隔たりを感じるようになったのです。
練習見学後の体育館の外、出待ちをするファンに混ざり順番を待って話しかけてみますが、目を合わせず会話をしてもらえなくなりました。以前は何事もなく対応してもらえていたのに、態度が急変。「好かれなくていいから嫌われたくない」と迷惑な行動だけは特に注意していたつもりだったのに、予想外の事態でした。
それでも素晴らしいプレーが見られるなら遠くから応援していけばいい、そう思っていましたが彼のプレーを見ていても何か物足りなさを感じてしまうようになり、いつしか日本のバレーを見るのが苦しくなってしまったのです。私が海外の選手へ目を向けようとしたのも、これが影響していました。
言葉が通じない気持ちが分かり合えない外国人選手だったら、傷つけることも傷つくこともないし、いい距離感で楽しめるのではないだろうか…。再びバレーに嵌ってしまう自分が怖くもありましたが、気持ちは押さえられるものではなくなっていき、もう一度、前向きにバレーを楽しんでみることにしたのでした。

4セルビアという国


アタナシエビッチ沼に堕ちて以降、2013年からセルビア代表チームを応援し始めました。
応援のために初めてセルビアを訪れたのは2013年6月のワールドリーグ(現ネーションズリーグ)の観戦。同じセルビア選手ファンの友人と3人で向かった未知の国セルビアは、親日国ということもあって、日本人に対しフレンドリー。友人がチーム関係者と顔見知りだったことで、選手やチームスタッフ、メディア関係者が親切に声をかけて下さり、喜びを通り越して逆に驚くほどでした。チケットは持っている?困ったことはない?そんな気遣いの言葉を掛けて下さるだけでなく、代表チームのグッズやホテルでのディナーを用意して下さるなどサプライズまでも。
後に知ったことですが、裕福とは言えないセルビアで国を跨いで応援に来るという行為は、とても珍しく価値のあることだったそう。故にその感謝の気持ちがこのような豪華なおもてなしの形で表わされていたのです。
こんなにも温かく迎えてくれるセルビアチーム。その愛を受けてしまったらもう、他の代表チームに浮気をすることなどできません。正直、技術の高い他国のバレー選手に目移りする時期もありました。が、ここまできてしまうとさすがに他国に目を向けるなんて心が痛みます。
実際、セルビア選手の対応を受けてしまったら、他の国の選手の対応が物足りなくなってしまったのも事実。きっと相性があるのだと思います。人見知りの私が恐る恐る近づいていってもそれを一瞬で打ち砕き、あっという間に心を開かせてしまうあの魔法の笑顔。初対面でも笑顔で受け入れてくれるセルビア人に対しては、いつしか人見知りの壁がなくなっていました。
あるセルビア人がこんなことを言っていました。「国によっては5回会っても10回会っても、壁を取り払ってもらえず仲良くなれない。でも、セルビア人なら1回会って話をすればもう友達。すぐ、お茶しに行こうぜ!となる」と。
だからなのか、日本では知らない人に話しかけるのが苦手で、できるだけ人と話さないで過ごそうとするのに、セルビア人を前にするとまるで別人格になったように話してしまうのです。
そんな運命のような巡り会わせで、私はセルビアチームのみを一心に応援するようになりました。

5私の応援活動


2012年以降2023年までの11年間、一度も日本での大会に出場することがなかったセルビア男子代表チーム。彼らを生で応援するには渡航は必須となり、図らずもいろんな国を訪れることになりました。
日本語以外まともに話せない私は一人で海外へ出るなんて、例えガイドブックに載っている有名な観光地でも絶対にできなかったのに、セルビア選手に会うためならどんな辺鄙な田舎町でも行かずにはいられなくなり、何日も何か月も費やし行き方を検索。海外観戦を始めた当時はスマホのアプリも充実しておらず、WiFi やeSimがなくても体当たりで渡航。今でこそ観戦チケットはネット販売が主流ですが、当初は現地調達のみで、確保できるかわからない状態で現地訪問を強いられました。
言葉の壁や文化の違い、ルールの違いなどいろんな問題にぶつかり、時には希望より不安で押しつぶされそうになりながら、何でこんなことをしているのだろうか…と落ち込むこともありました。
たかが観戦ですが、当時は苦境を乗り越えやっと叶えられる「夢」のようなもの。簡単にはいかないからこそ感じられる、この上ない幸せがありました。人との偶然の出会いや奇跡のようなタイミングがもたらす出来事、アラフォー世代の私にはこんな刺激的なものを日常で経験することなどほぼなく、それはまさに「冒険」でした。
どんな心配事も苦労も障害にはならず、逆に乗り越えることが目標にもなり、経験すればするほどその「冒険」の虜になっていったのです。

観戦の半分以上はほぼ一人旅で、現地のバレー会場で多くの方に声を掛けてもらえたことは、本当に幸運でした。見慣れない東洋人一人、欧州の体育館に迷い込んだ姿は不安げに見えたのでしょう。初めて訪れる会場でも、親切に対応してくださる方々と出会えことで、アウェー感が薄れました。
特にアタナシエビッチが8シーズン在籍していたペルージャでは、通い続けただけあってチームの方々やサポーターさんに、本当に良くしていただきました。あの場所で過ごした濃密な時間のおかげで、熱心なサポーターさんたちから応援の精神を学んだといっても過言ではありません。
ホームの試合では試合を盛り上げるために毎回思考を凝らした完成度の高い催しを準備し、アウェーの試合ではバスで10時間かかろうとも、翌日月曜日の学校や仕事をいい訳にすることなく駆け付け、欧州チャンピオンズリーグの試合では、平日に行われるにもかかわらず他国にも飛ぶ強者たちがたくさん見られました。
チームを熱心にサポートする一方で、冴えない試合を見せられた時にはブーイングや、声援を一切送らないなど鞭を与えることもあり、応援するだけがサポートじゃないのだと学ばせてもらいました。
そんな熱量を持った老若男女、幅広い世代が集まるサポーターエリア。よく、ストレス発散のためにクラブに踊りに行く…といいますが、私にとってそこはそんな場所で、いるだけで無条件にテンションが上がりました。
何十回、何百回と聞いた各選手の応援チャンツは体に沁み込んでいて自然と手足が動き、次は何が来るのか音が鳴ればすぐにわかるほど。これはもはやひとつのエンターテイメントで、サポーターみんなで作り上げるショーといっても過言ではありません。
試合をじっくり見るのも楽しいのですが、好きなチームの応援を全身で表現できるのは超快感!そんな特異な応援のスタイルを知り、どんどん観戦の深みにはまってしまったのでした。

こんな冒険の積み重ねで2024年6月現在、海外観戦歴は20ヶ国、270試合、102会場 (日本を除く)に到達。セルビア代表の国際試合はもちろん、クラブチームシーズンでは各選手の所属チームを巡りました。
クラブチームシーズンは代表シーズンより緊張感も少なく時間の余裕もあるので、それぞれの選手と沢山会話ができたり、プライベートな姿を目にしたりすることも多くありました。練習を見せてもらうと、陰の努力や意外な性格を知ることもでき、興味と愛情が増していったことは言うまでもありません。
訪問したどのセルビア選手からも温かいおもてなしの心を感じ、セルビア人は皆気遣いのプロだと感銘を受けました。慣れない海外の田舎町で不便なことを察し、「困ったことはない?何かあったら言って!」と心強い言葉をかけてくれる選手も。実際には迷惑をかけたくないので困っても言えませんが、言葉の通じない見知らぬ土地で心細い時には有難いものでした。
選手としてだけではなく一人の人としての人間性が見られたのも、クラブチーム巡りの醍醐味だったのかもしれません。見れば見るほど知れば知るほど応援活動が加速し、気が付けばどこへでも応援に行きたくなるのでした。

海外バレー選手に精通している毒舌友人には度々、「一人に絞りなよ、選手は自分だけを応援してほしいものだよ」と言われ続けてきましたが、私は一人を選ぶことができませんでした。セルビア選手見ていると個性は違いますが皆魅力的で、応援したくなるのです。
毒舌友人には、「これだけ海外に出て応援していて、選手にご飯とか誘われないの?家に招待されないの?普通はしてくれるよ」と言われることも。事実、同じように外国人選手を追いかけていた友人たちに聞くと、手厚いもてなしを施してくれたと話してくれました。車で送ってくれた、食事をご馳走してくれた、中にはカザンの移動用専用機で選手と一緒に乗って移動した…というファンも。
真摯に応援するファンに対して、心ある対応をしてくれる選手たちの人間性の素晴らしさ…いや、そうさせたのはむしろファンの思いの強さなのかもしれません。好きな選手の試合を見るために仕事や家庭をやりくり努力して会いに行っての結果。あるイタリアの人気選手はなかなか心を開くタイプではないように見えていましたが、彼一人を純粋に応援していた一人の日本人ファンは、渡したいものがあるからと自宅に招待され、そこで公にしていない彼女を紹介され、プライベートのひとときを一緒に過ごしたそうです。大勢のファンがいても純粋な心は見抜けるものなのだと驚き、それだけ信頼されていたという証なのだと羨ましく思いました。
リスクを負い、遠い日本から応援に駆け付けたその思いの大きさを理解し受け止めてくれているなんて、こんな幸せな推し活が他にあるでしょうか。これが「推し活」の幸せなゴール地点なのかも…そう思いながら、そこに至らない私はまだセルビア選手に認められていないように思えました。
だからといって応援する選手を一人に絞れるわけはありません。むしろ過去のトラウマにより一人に深く入り込んで嫌われてしまうリスクの方を恐れ、私にはこの「チーム全員応援」のスタンスを貫く方が安全で平和に応援できるように思えました。
一人には絞れないけれどその分、一人一人に大きな愛をもって応援していこう!たとえ伝わらなくてもいい。沢山の対象に興味を奪われながら、常にワクワクドキドキ楽しい気持ちで、彩り豊かな日々を送られることに、もう十分に満足していました。

6母国以外を応援するということ


強豪とは言い切れないセルビア男子代表チームを応援していて、1度だけですが現地で優勝の瞬間に立ち合えたことがあります。2019年9月のヨーロッパ選手権パリ大会のことです。決勝の会場には、パリに住むセルビア人も大勢来ており、その中で表彰式が行われました。
長きに渡り願い続けようやく叶った優勝の瞬間…さぞかし嬉しくて感動の涙であふれかえるだろうと思っていました。が、実際に表彰台に昇る選手たちを見ていると、なぜかその景色の中のセルビア選手が遠くに感じられました。広い会場の距離のせいなのか…ふと隣を見ると、国旗を手に喜び合うセルビア人グループの姿。それを見た時に、この空虚な心の理由が分かった気がしました。
私はセルビア人じゃない…
それはあまりにもわかり切ったことでした。そんなことを前提に追いかけてきたはずなのにここへ来て、これが大きな壁になることを全く想像していませんでした。
同じ国に生まれ、同じ言葉を話し、同じ歴史を共有してきた彼らには先祖から続く強い絆があります。国を背負ったチームが優勝するということは、その背景を背負って「応援する」という気持ちがあることに気付かされたのです。私のようなミーハー心でセルビアバレー面白い!では踏み込めない世界…そう、完全に部外者。これがこの距離を感じさせる大きな理由でした。
どんなに強い思いで応援し続けていても超えられない壁がある。国籍の違い、入り込めない世界、それを認識した上で一線を引いた外からセルビアチームを応援していけるか…。以降は日本人でありながら他国を応援するということの深い意味を胸に刻み、「外国人」という立場をわきまえ応援するようになりました。出過ぎることなく、いつでも身を引く覚悟を持って…。

7リモート応援


2020年、世界が一転。新型コロナウィルス感染拡大で現地観戦ができないどころか大会までもが中止に追い込まれ、バレー観戦から遠ざかる日々がやってきました。SNSがあるとはいえ、選手の近況を知ることができたとしても大会自体がなくなってしまうと、何を楽しみに生きればいいのか…と希望を失くす日々。
しかし一方で、将来の不安、家族の健康問題からそろそろ海外観戦を引退しなければと思っていた時期でもあり、これがいいきっかけになると考え始めたのです。
奇しくも韓国ドラマという新しい沼が私の前に現れ、そこにハマりかけていたことで難なく移行できるかに思われました。が、韓流の世界に浸れば浸るほど、私は現実と離れたキラキラとした俳優さんたちの世界と自分の住む世界のギャップを感じ、苦しくなってしまったのです。
考えてみるとスポーツ選手はキラキラとした世界にいる一方で、試合では泥臭い姿や無残な敗北を見せることもあり、自分の実生活の苦労とも重なる部分を感じることがありました。リアルな姿をたくさん目にしてきたことで同じ世界に生きているように思え、親近感を覚えていたのです。
特にバレー選手は、人気競技のサッカーや野球などに比べて選手にも近づきやすいという物理的な近さも、現実味を感じる一つの要因でした。私には精神安定上、やはりバレー観戦が合っているのかも…。コロナ禍、バレーから離れようとして改めて気付くことができました。

それからはコロナ禍での応援の仕方を模索。会場へ行く代わりにできることといえば、SNSで応援の気持ちを発信するくらいしか思いつかず、そこで表現し続けました。実社会で人との接触が制限されSNSでのつながりが濃厚になっていた時期、選手からの反応が度々見られたことは、大きな報酬でした。
遠い日本に居ても距離を感じることなく、むしろ今までもよりも近く感じるように。会えなくても応援する方法がある、そしてその気持ちはきっと伝わっている…。
離れていても彼らを目にしたときのような心のときめきや温かさをSNSから感じ、私の10年間の応援の軌跡は、途絶えることなく続いているのだと実感しました。

8応援のゴールとは


同じバレーボールとはいえ、日本を応援していた時とは異なるアプローチでの応援活動。「セルビア」という異国のチームを応援しながら何度も壁にぶち当たり、気が付けばその過程でたくさんのものを得ていました。
冒険に挑む度胸、国を跨いだ友情、旅ができる最低限の英語力…そして何よりセルビア選手を一番に思い続ける真摯な気持ち。それが備わったことで私はセルビアチームだけでなく、彼らを一途に思うまっすぐな自分をも愛せるようになりました。
しかし、これはただの自己満足のようにも思える不確かなもの…。

応援しながら時々不安に思うことがありました。私の応援がセルビアチームの迷惑になっていないだろうか…と。他国民に応援されても嬉しくないのではないか、しつこく思われやしないか、応援されるなら若くてきれいな人がいいだろうに…。もし今度セルビア選手たちに嫌われてしまったら、もう立ち直る自信はなく、だからこそ嫌われないように、迷惑はかけないようにと特に気を配ってきました。
セルビア選手たちはファンに対しフレンドリーに接し、顔なじみのファンを「友達」と言ってくれます。会場へ足を運ぶと次第に家族やお友達とも顔見知りになっていき、時々、恐れ多くも打ち解けたような錯覚に陥ってしまいます。ですが、友達でも家族でもなく、私はただの「ファン」であると常に言い聞かせてきました。
それは馴れ馴れしく関係を深めることで嫌われるリスクを懸念してのことでもありましたが、一方でこのファンと選手の間にある壁が、応援をより満足度の高いものにしていることに気付いたのです。
人によっては選手とより親密な関係になりたいと、壁がない関係を望むファンもいますが、私はこの距離感のある関係のおかげで、より高くパフォーマンスを崇めることができ、より強く選手たちをリスペクトでき、より楽しく応援ができたように思うのです。
選手を追いかけても交わることはないと悲観的だった応援の心得でしたが、結果的にはそれが応援を楽しむ最良の方法であると気づきました。

私は「ファン」であることに誇りを持っています。私たちファンには、私たちにしかできないことがあると信じています。どんな時も味方であり常に応援の態勢を保つ私たちは、隙あらば彼らの良さを周囲にアピールすることを得意とし、「推す」ことを生き甲斐にしています。
ファンという存在はは友達や家族のようにはなれませんが、独自の関係性として選手の中に居場所があるように思うのです。そしてそれは自分が思っている以上に確かなものだと、12年応援を続けてきてようやく気付くことができました。

ある選手から受け取ったメッセージにこんな一文が綴られていました。
”I am happy to have you in my life.”  
あなたが私の人生にいてくれて嬉しい。

目障りだと思われていないか気になりながらも、追いかけ続けること12年。ここまできて想像もしなかった言葉を受け取り、私の応援が選手の心に何かを残せていることを知りました。大勢のファンの中のたった一人の応援は、微力で意味のないもののように思えていましたが、決して無意味ではなかったのです。
私たちは同じ世界には居られませんが、応援の気持ちはしっかり受け止められていました。決して一方通行ではなく、すぐに忘れ去られる一時的なものでもなかったのです。それは私の心の不安定な自己満足を確かな自信に変えてくれました。そしていつからか、「心得」に頼らなくとも戸惑うことなく、地に足着いた応援ができるようになっていました。

2012年から応援し始めたセルビア代表は、時代が移り変わり当時のメンバーも皆30歳を超え、世代交代の時がやってきました。幸か不幸かこれまで世代交代が上手くいかず、10年を通しほぼ変わらない主力メンバーを応援し続けられたことは、私にとっては幸運なことでした。
初期から追いかけ続け、代表の試合でも各クラブチームでも見続けることができ、ここまで無事に見届けられたという喜びでいっぱいです。長きにわたって選手たちが活躍してくれたことはもちろんですが、応援を拒絶されずに受け入れてもらえた有難さを、改めて身に沁みて感じています。

彼らと共に目指した国際大会の優勝や五輪出場。夢は簡単には叶わず、どんな目標を達成すれば満足するのだろうかと、ゴールが分からずにさまよっていました。
しかし応援を続けながら、気が付けばもうこれ以上望むものがないところまで来ていたのです。
私にとってのゴールはここ。
12年、沢山の冒険を経て、今、私の心は最高に満たされていると感じています。

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