VNLリュブリャナ観戦旅8~帰国
最後の最後、空港までのバス移動でついにトラブル発生!
バスターミナルの入り口が閉鎖されたまま、開閉のポールが動かなくなってしまったことで、ターミナル前にはバスの渋滞が起こっています。
バスがターミナル内に入るには、わずかな隙間を上手に抜けなければならず、時間が掛かります。この時点で30分の遅延…。ですが、やるべきことは見えているし、ここからあとは空港まで20分ほどのはず。あとはこれ以上トラブルが起こらないことを祈りました…。
微妙な隙間を上手く通り抜ける運転士さんの技術に改めて感心し、わずかの遅延でバスは問題なく発車。すぐに空港へと発車しました。
なんとか30分遅れで到着し、大きな影響なくウィーン空港を出発できる模様。
と、すっかり安心したところで、大丈夫なら…と、ここでも無理やりラウンジで朝ごはんを取るべく駆け込みました。
お腹も十分に満足させられて、あっという間にウィーンからヨーロッパ脱出。
つい2日前に到着したばかりですが、もうサヨナラの時間です…。
ドーハまでは5時間ちょっと。移動に慣れて来たのか、5時間もあっという間。再びドーハ空港内、懐かしのテディベアゾーンへと戻ってきました。
私がドーハを出発する頃、入れ替わりで友人たちはリュブリャナを目指し、日本からトルコへと出発。多分、インド辺りですれ違うね…といいながら、彼女たちにこの後のセルビア応援を託します。
私は現地で応援できないけれど、彼女たちがしっかり仕事してくれるはず…
そう願いながら、私は一人、アジア・ソウルへと戻ってきました。
ソウルに到着したのは朝10時。
復路はさすがに観光する気力も体力もなく、空港内で過ごしました。
行きと同じ空港内のスパで、誰もいないのをいいことに貸し切り気分でゆっくりと湯船に浸かり、4日間の疲労を癒します…。
日本よりもぬるめの温度ですが意外と心地よく、予想外に長居してしまいました。
お風呂のあとは最後のお楽しみ、スンドゥブで締めくくり。
辛い物は大の苦手なのですが、韓国ドラマを見るようになって抵抗感が薄れ、スンドゥブだけは美味しく食べられるようになりました。これが食べられればもう、あとは日本までひとっ飛び…何も悔いはありません。
往路では恐怖さえも感じていた観戦旅でしたが、いい意味で予想に反し思い出深い旅になっていました。
でも、ここで終わりではない観戦旅…。私の応援魂はリュブリャナに残し、友人と共にここから3日間、セルビアの五輪行きを信じ応援が続くのです。
飛行機はソウルから福岡空港へと到着し、そのまま長崎の自宅までバス移動。そして数時間後…夜は自宅でセルビア対トルコの観戦から、3夜連続3連戦がスタート。
1戦目のvsトルコは、ワールドカップの敗戦を跳ねのけ、3-1で勝利。
2戦目のvsポーランドは、セルビア人監督グルビッチの計らいのお陰で、主力のいないチームに2-3と善戦、ワールドランキングポイントで失点を0.01に押さえます。
ラスト3戦目…の前に行われた、キューバ対ポーランド。
ここでもしポーランドが主力を温存させるなどしてキューバが勝利すると12点以上が加算されるため、セルビアは厳しい状況に立たされます。が、もし負けてしまえば、その時点で加点はなくセルビアの五輪出場が確定。
正直、こういう事態でグルビッチがセルビア有利に働きかけることがあるはずないと思っていました。同じ国民として敢えてセルビアに厳しくいくのではないか…もしくは、キューバにも同じ状況、主力温存で対応するのではないか…と。
蓋を開けてみれば、セルビアとの対戦で温存させていた主力を起用し、キューバに1セットも与えずにポーランドが勝利。完全にグルビッチに助けられ、セルビアの五輪行きは確定したのでした。
結果、他力本願で出場権獲得…。
でも、ここは素直に喜びました。
だって12年待ちに待った五輪出場がついに叶ったのす!!
長かった…。
もう今のメンバーでは叶わないのだと半分諦めていました。
これが今の実力で受け入れるしかないし、ここまで同じ主力メンバーたちを応援できたことで十分幸せだと感じていました。出場できなくても大好きなチームに変わりはないと彼らに誇りを持っていました。
谷底を経て沢山の障害を乗り越えてきたからこそ、感じるこの五輪出場の価値と喜び。憧れの五輪のコートに彼らが立つことを想像するともう言葉にならない思いです。
わずか1か月後はオリンピック開幕。この時はただチームを見られる喜びで胸がいっぱい、幸せ絶頂でした。
ここで代表引退を宣言するポドラスチャニン、アタナシエビッチのことを想像するにはまだ早過ぎました。
最後になるかもしれないという思いはあっても、まだやれるのではないかという期待。彼らの代表引退を具体的にイメージすることは全くできずにいました。
【パリ五輪観戦旅】へつづく…