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1週間日記 わたしが

2024/11/09 (土) 「掃除」
くもり?
7時起床、やっぱり寝落ち。自分のだらしなさに嫌気がさしながらも早速シャワーを浴びて1日を開始する。今日はやることがたくさんある。
洗濯機を回している間に浴槽を掃除し、夏用のラグを湯を張った浴槽に入れ、踏み洗いする。じわじわと湯が汚れていくのを見ながら、ラジオを聴きながら、一心不乱に踏みつける。お湯を抜き、新しく張り替え、またさらに踏みつけ、お湯を抜き、を繰り返す。数回繰り返したのち空風呂で踏みつけて脱水し、浴槽のヘリに引っ掛けてバスタオルでさらに脱水した。
行きより重くなったラグをベランダの柵に引っ掛けてから、洗濯物を干してひとまず終了。
次はエアコンのフィルターと台所の換気扇のフィルターの埃を掃除する。特に台所の換気扇のフィルターは油混じりでべとべとして落としにくい。無数に空いた直径1cmにも満たない穴の淵についた埃はさらに取りにくい。イライラする。
トイレ掃除はサボりすぎて尿石が取りにくい、排水溝はこないだ掃除したからそこそこ綺麗、やっぱ何事もこまめにやるのが大事なんだな、という当たり前の気づきをこの年にして何回やるんだろうか。

2024/11/10 (日) 「人並み以下の存在」
くもりのちあめ
友人宅でわたしが観られなかった回の舞台のアーカイブ配信を観た。懸念事項があったのだが思ったよりも気にならなくて、俳優ってすごいなぁと思った。それと同時に頑張ってもどうにもならないことがあるということを、わたしたちはついつい忘れがちだなとも思う。たとえば身体が丈夫な人が虚弱体質な人に対して体調管理がなってないと詰ったりする。ところがその人はどう頑張っても掃除が苦手だったりする。全てが完璧な人などいないのに、自分の苦手分野を忘れて、自分の得意分野どころか人並みにできる程度だとしても、自分を基準にして他者を評価してしまったりすることの危うさを、案外わたしたちは見落としている。人並みという範囲の上/下には、人並み以上/以下という範囲が広がっている。それを忘れてしまう。

2024/11/11 (月) 「作品の存在」
はれ
toconomaというインストバンドの新譜がリリースされていたことに気づいた。4日前だったらしい。最近のわたしは情報をキャッチするのが遅くなったなぁと思う。
SODAという2番目の曲が特にすきだが、全体的にとっつきやすくなったなぁという印象がある。わたしが変わったのかもしれない。作品は存在するだけでは存在できず、受け手がいて初めて存在できるのだ、とかなんとかいう内容はきっとこういう文脈からきているんだろう。
とはいえ文句なしにかっこいいです。なんか全体的に黄色と水色っぽい曲が多い。

2024/11/12 (火) 「かぼちゃコロッケ」
はれ
今日はかぼちゃコロッケを作った。普通のコロッケすら一人暮らしを始めてから作ったことはないのに。皮は取り除くと書いてあったが面倒くさかったので全てを潰して食べることにした。微妙な苦味がアクセントである。
数多の未消化の録画を無視して本日届いた推し主演ドラマのメイキングを見ていたら、気づいたら日付を超えて長針は2周していた。明日は寝不足である。

2024/11/13 (水) 「イライラの権化」
はれ
朝からずっとイライラしている。原因は把握しているけれども割愛。今日はなるべく人のいないところにいよう、と思った矢先に苦手な同僚から話しかけられて更にイライラしてしまった。声と話し方がすごく苦手。申し訳ないけど苦手。
仕事中もどうにもならないほどイライラしてしまって、諦めてチョコレートを買って食べた。いくらかおさまるものの、今度はお金を使ったことと甘いものを食べたことでイライラし始めてしまう。いよいよ制御が効かなくて泣きたくなってきた。
仕事相手の話が長くてイライラ、時間が延びてイライラ、意味がわからなくてイライラ、文章がまとまらなくてイライラ、死後がうるさくてイライラ、そうこうしているうちに仕事自体にイライラしてきて、最終この先の人生をどう生きていくかを全く考えられなくて情けなくてイライラしてきた。もう今日は寝よう、早く寝よう、こうやって1日を消化して着実に死に向かっている。

2024/11/14 (木) 「わたしが」
はれ
仕事が終わって携帯を確認すると母親から連絡が入っていた。「弟も家にいるけどくる?」おそらくこないだ誕生日だった弟のお祝いだろう。何時には家の最寄りに着くよ、と返信して退勤した。
久しぶりに降り立った最寄り駅は大体一緒なのに全然違う町になっていた。知らない店がたくさんあって、今も住んでいたら1回は入ってみたくなるような店構えだった。今も住んでいる母ですら物珍しそうに眺めていた。
家に帰ると部屋着姿の弟がソファに転がっていて、ここ半年で変わってしまったいつもの実家の風景を懐かしく思った。わたしはすでに家を出て何年も経っているが、弟がいない実家にはまだ慣れない。喜ばしいことだが。
父の帰りを待ちきれなくて、先に寿司を食べた。お父さんえー!って言うかな、の母に対して、言わないと思うよ、と返す。えー!という時、父は大してえー!と思っていないから、本当にえー!と思う時はあぁ、はい…って感じだから。だから本当に多分残念がっているけど、仕方ないからえー!、とは言わないと思うのだ。帰ってきた父に、先食べちゃったと伝えると、あぁはい、と返ってきて少し申し訳なく思った。
父親が買ってきたケーキにはロウソク大が5本、小が6本ついていて、年齢がわかっていないのでは?と母がザワザワしていたが、どうせ無料でついてくるセットみたいなものだろうと予想し、そして実際その通りだった。ロウソク大を何歳分にしたら組み合わせでできる、とかなんとか言いつつも、結局は特になんの意味もなく大を5本刺した。そもそもこの歳で家族でロウソクをつけて祝うのは一般的には普通ではないだろう。わかってはいるがわたしはこの家族がすきだから、できる限りこんな時間があればいいなと思う。というかわたしがこの時間をつくればいいのか。

2024/11/15 (金) 「ナンキンハゼが切られている」
はれ
ナンキンハゼが切られている。ここがこの時期、どんなに綺麗な姿を見せてくれるのか、おそらくそんなことを知らない人が切っている。
その場所には6.7本のナンキンハゼが植えられていて、剪定のなせる技なのか、日当たりの問題なのか、そもそもナンキンハゼはそういうものなのかはわからないが、赤黄緑のグラデーションがたいそう美しく輝くのだ。大袈裟ではなく夏の終わりからずっと楽しみにしていたのだ。
それが、切られた。
見事な紅葉を楽しませてくれたあと、冬の真っ青な寒空に白い小さな綿花みたいに見える実をつける。それが本当にきれいで、わたしの冬だった。
それが、切られた。思ったより強くショックを受けていて自分でも驚いている。あーほんとに悲しい。さよならわたしの冬。

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