オシャレへの恐怖
「オシャレ」は不可侵領域だと思っている節がある。
卑屈の権化と言っても過言ではなかったわたしは、別に誰かに何かを言われたわけでもないのに着飾ることに抵抗を感じていた。
「大してセンスもないのに頑張っちゃって」と言われているのではないかと勘繰っていた。
言われていなくても思われているのではないかという恐怖心から、無難と思われる格好、もっといえばダサいと思われているかもしれない格好を選んでしまっていた。
思えば小学生の頃から、自分がオシャレではないということは気づいていた。
ただその頃はオシャレである人の方が少数派で、あとは全員似たり寄ったりだったような気もするが。
今の小学生は学校に行くのにもとても可愛い装いで、もし今小学生だったら私は不登校になると思う。いや、環境や時代が変われば少なからずその影響を受けるはずだから、今の時代の小学生にしてはオシャレじゃない、程度に落ち着くかもしれない。小学生時代の私をそのまま現代の小学生の中に放り込んだら間違いなくオシャレランクは底辺だろう。
それでも。オシャレではないことに気づいていても、それで卑屈になることはなかった。
じゃあいつから卑屈になったんだろう、というと恐らく完全に中学生からである。
中学生あたりからみんなあからさまに外見に気を使うようになった。服装や髪型、あとは徒毛だったり眉毛だったり。そしてそういうことに疎い同性の同級生に対する侮蔑の眼差しや言動は、そういったものを向ける側と向けられる側のちょうど間を揺蕩っていた私にとっては恐怖でしかなかった。お世辞にも顔が可愛いとは言えない私はどんどん卑屈になっていったし、うまく笑えずノリも悪い、同年代女子たちと共通の話題も少ないのもあり、陰で色々言われていた。
またかつての私は男子と割と喋る人間だった。それは単純に性別で区別していなかった故の言動なのだが、おそらく一部の女子からは顔も可愛くないあいつがどうして、という気持ちを持たれていたように思う。
直接言葉にして言われなくても、言外に含みを持たせて「紅沢ちゃんって男子と仲良いよね」のセリフに、ああ裏で男好きだなんだと言われてるんだろうなぁと察することは難しくなかった。
なぜならそのセリフは、裏で男好きと揶揄されている子に向けられる嫌味であることを、他の子に対する言動で知っているからだ。
中学生のある日、母親がブーツを買ってあげると言ってきたことがある。
結果としては大喧嘩した。母親はさぞかし驚いたことだろう。あの頃の私の頑なさと説明能力の無さにはウンザリする。
私の中で「ブーツは可愛くてオシャレな女の子の特権」であって、そんなものを身につけてしまったらまた何を言われるかわからない、という気持ちがあったのだ。果たして説明能力があったとてその気持ちを説明したかどうかは疑問であるが、100%の善意であり、娘と買い物というウキウキした母親の気持ちを、「要らない」の一言だけで握り潰した当時の私には一言物申してやりたいくらいである。
高校生になると化粧をする子が増えて、大学生ではそれが当たり前になった。私はもちろんしなかった。厳密に言えば大学卒業間近までしなかった。
まず第一に、1番身近な女性である母親が、ほとんど化粧をしない人だった。そのため私にとって化粧は遠い存在であった。
母親は私や弟の入学式・卒業式でしか化粧をしないため、化粧をしている顔に慣れず、違和感があった。母親の名誉のために記すが、決して下手だったわけではない。ただ、見慣れなかっただけである。そのため化粧に対してのイメージが「違和感」になってしまい、化粧品の多さに拒絶反応を起こしていた。
今でこそ最低限一通りは行っているが、当時は下地もよくわからず、BBクリームだとかCCクリームだとかがどの位置付けなのかもわからず、順番もわからず、アイシャドウはどこまで塗ればいいのかわからず(二重幅など存在しない)、調べているうちに嫌になって投げ出していた。
また第二に、そしてこれが1番の理由であるが、化粧品売り場に怖くて行けなかった。今でもデパコスとやらを買いに行く時は決死の覚悟で、息を止める勢いで買っているが、当時はドラッグストアの化粧品ですら買いにいけなかった。
何が怖いか、もちろん他人の、特にきれいにしている女性の視線である。「可愛くないのに化粧したって無駄」「こんな奴がこの店に何のようだ」と言われているような気がして足がすくむのだ。被害妄想だと分かっていても。
それからあからさまな嘘も心苦しい。吹き出物の跡がすごい時にお肌きれいですね、は無理がある。いっそのこと跡、気になりますよねと切り込んで欲しい。
社会人と呼ばれるようになってからそろそろ両手では足りない年数が経った。同期たちは結婚し子供を産み育て家を買った人も出てきた。
それなのにわたしは未だ自分のことで手一杯である。全てが情けなくて嫌になるが、何だか最近はそれすらどうでもいい気もしてきている。
それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが。