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違いを気にする必要のないくらい当たり前になればいい

 カナダに行くことになった。
 ことの発端は友人Aがワーキングホリデーでカナダへと旅立つことになったからだ。壮行会をした際に、どうせならカナダで会おう、という話になった。学舎を共にしていたわたしたちは、時を経て海外で集合するまでになったのだな、と感慨深かった。

 約12時間という長い空の旅を終え、入国審査の軽さに拍子抜けしながら空港を後にした。
「welcome to CANADA〜〜〜!!!」と突進してきたAは変わらず元気だった。そしてAにとってはきっと、この土地は肌に合うんだろうなとも思った。

 空港から宿までUber(ここでUber eatsの由来を初めて知った)にて移動する際、Aとドライバーの会話はなんとか聞き取れたものの、会話に参加することはできなかったし、しようとも思わなかった。
 そもそもわたしは日本語でさえあまり人と会話しようとしない人間である。タイミングが掴めないのもあるし、そもそも口を開くのが億劫という気持ちもある。

 Aはどんどん輪を広げていくタイプである。それでいて人それぞれにある触れて欲しくない領域には踏み込まない、絶妙な距離感を保てる人間でもある。Aのその在り方は、言語や文化の違いといった壁を簡単に飛び越えていくようで、コミュニケーション能力の高さを改めて実感した。

 5年くらい前のわたしだったらAと自分を比較して落ち込んでいたかもしれない。ただ最近のわたしは良い意味でも悪い意味でも開き直っているので、わたしと違うところだな、すごいなと思えていることにも改めて気づくことができた。


 その他にもカナダに来て気づいたことがいくつかある。それは別に「カナダだから」ではなく、「海外だから」もしくは「日本ではないから」なのかもしれないが、素敵だなと思ったこと、ちょっとだけ呼吸がしやすくなったことは確かなので忘れないようにここに残しておこうと思う。

①言語と思い込みについて
 空港に着いた際、女性の空港スタッフから「英語できる?」と声をかけられた。ほぼできないのに聞き取れることに嬉しくなっていたわたしは少し、と見栄を張り、男性スタッフとアジア人の女性が待つ場所へと連れて行かれた。
要はこのアジア人女性に通訳してくれとのことだった。

チャイニーズで。

 中国語もほんの少し、玉ねぎの皮の1番外側程度だけ触っていたとはいえさすがに英語以上に話せない。わたしは日本人であること、中国語は喋れないことを伝えると、「言葉、違うの?!」と驚かれた。
 おそらくわたしとその中国人女性が違う国の出身であるということよりも、日本と中国で同じ言語ではないことに対して驚いていた様子だった。これにはこちらも衝撃を受けたが、確かにアフリカの国々の人たちが何語を喋っているのか申し訳ないが存じ上げない。知っているはずだ、というこの考えは傲慢だったのかもしれない。
 中国人は日本人よりも英語が喋れそうなイメージなのに、とも思ったが、これもあまりに拡大した解釈だったのかもしれない、と反省した。出身国は同じだとて、そして国によって傾向はあるとて、個々人によって差があるのは当たり前である。

②音楽が日常に溶け込んでいる
 どこに行ってもストリートミュージシャン(?)がいた。もちろん日本にだっているにはいるのだが、駅前で見かけることが多いように思う。
 一方カナダでは人が集まるところならばどこにでもいた。ノートルダム大聖堂の前、プチ・シャンプラン通り、シャトー・フロンテナック前の広場。日本とは違い地下鉄ばかりで地上に上がると駅らしい広場もない、つまり場所がないからかもしれない。

 楽器はキーボード、バイオリン、サックス、ハープと、こちらも見かけただけでも様々だった。反対に歌っている人は見かけなかった。聴衆の人だかりができるというよりかは、遠くから眺めていたり、近くに座って演奏に合わせて体を揺らしたり、といった様子だった。
 ストリートミュージシャンは非日常的な存在ではなく、街や風景や生活の一部のような佇まいだった。時には口遊みながら通り過ぎて行く人もいて、なんだか音楽が傍にいるようで素敵だった。

③良くも悪くも誰も他人を気にしていない
 わたしが今回の旅で1番感じたことかもしれない。わたしは元来必要以上に他人の視線を恐れているきらいがある。歳をとる毎に薄れてきている実感はあるが、それでも平均よりは強めだと思う。そんなわたしでも他者の視線を意識することがほとんどなかった。

 旅行中パティオで食事をするタイミングがあったのだが、通りを歩いている人もわたしも、互いに全く興味がなかった。これが日本だとどうしても気になってしまうだろうし、わたしが通りを歩いてる側だったとしてもパティオに座っている人たちを見てしまうと思う。

 あまりに出身国が様々なので、わざわざ比べて違いを探す必要がないからなのでは、と個人的には感じた。見た目も言葉も違うことが当たり前だからだ。改めて言及する必要すらない。

 日本に住んでいるのは大多数が日本人で、大多数が同じ言語を喋り、学校では周りと同じ服を着て、逸脱すると注意される。「個性的」というと例えば奇抜な服装やヘアスタイルだったりが真っ先に浮かんで、しばしば「地味」の対義語として捉えられ、使用されていたりする、気がする。あくまでわたしは。

 均一的なところからどこかはみ出したくて、でも結局は誰かと一緒であることに安心もしていて、だからはみ出し方が似通っていて。同じような「個性的」が並んだら結局それは「個性的」ではないのではないだろうか、とも思ったりもする。

 これは完全にわたしの話であって、そしてわたしの考えであって、そういう人たちを否定しているわけでは全くない。この論が正しいとも思わないしただ数日間滞在しただけでこうだ、と決めつけるつもりもない。見えたように感じたこと以上に、見えていないことがたくさんあるのだと思う。

 ただ、よく言われる同調圧力はこういった背景から来ているのかもなぁ、と薄ぼんやりと思ったのも正直な気持ちだ。
 本当に様々な人がいた。少なくともこの数日間わたしは他人の視線から解放されていたし、日本に帰ってきた今もカナダを旅する前より幾分か心持ちは軽い気がするのだ。


 Aはこう言っていた。
「居場所は日本だけじゃない、世界のどこだってどうにか生活はできるって知れたから、少し安心した」
Aと同じ熱量でそれを実感できたと思ってはいないが、わかるよ、と心の底から同意した。


 わたしはいつだって、結局は「特別な自分」に期待していて、そんな自分を誰かに見つけて欲しいと思っている。そして「普通」の幸せを夢見て、現在地がそこではない自分に焦りを感じている。ありのままで在るには覚悟が足りなくて、燻った毎日を繰り返している。

 そんなことを改めて実感して、だけど前ほどそのことに対して悲観的ではないことにも気づけた、そんな旅だった。







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