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1週間日記 大人

2024/08/24 (土) 「特筆すべきこともない」
はれ
昨日寝落ちしたせいで空腹で目が覚めた。洗濯機を回して、昨日買ってきた半額の食パンを2枚焼く。わたしの家では食パンといえば8枚切りで、でもわたしの友人の家は大体6枚切りで驚いた記憶がある。まぁ2枚焼いているので4枚切り1枚ということになる。焼いている間に目玉焼きも2つ焼く。目玉が滑っていつもだいぶ斜視になってしまうが、食べられればいいので大した問題ではない。焼けたトーストにハムを乗せ、その上に目玉焼きを乗せる。バターは塗るのが面倒だったので塗っていない。俗に言う?ラピュタパンである。久しぶりに作ったが相変わらず美味しい。
この土日はなんの予定もない。なんでもできるということは何にもしないということでもある。いつもそうだから。
事実、今日やったことといえば洗濯物を干すこと、買い物(日用品)、漫画を読むこと、食事、風呂、睡眠ぐらい。ああそういえばラジオも聴いた。強いていえば土曜日なのにラジオ後すぐに寝たことぐらい。なんの実りもない1日である。

2024/08/25 (日) 「わたしにはなかったこと」
はれ
なんだかやたらと消え去るのが早い祭囃子が聴こえる、と思って目を開けると8時を過ぎたところだった。シャッターを上げて道路を見下ろすと軽トラックが2台、家の下を通り過ぎるところだった。前の軽トラには御神輿が、後ろの軽トラには祭囃子隊?が乗っていて、特に熱を感じない程度の祭囃子を鳴らしていた。どうやら御神輿も省エネの時代らしい。いや、人間が楽になるだけで環境的には省エネではないか。どうせ御神輿置き場に運んでる最中なだけだろうとは思いながらも、どうでもいいことを考えながら窓を閉めた。
さて、わたしは昨日のわたしと約束したのだが、今日は買い物(食料品)に行かねばならない。食べるものがない。賞味期限の切れた8枚切りの冷凍食パンをトーストしている間に顔を洗い歯を磨いた。ついでに着ている寝巻きを脱いで洗濯機に放り込んだ。辛うじて端がきつね色になった食パンを取り出してはちみつをかけて食べる。食事というよりも生命維持と空腹を紛らわすために食べ物を腹に収めるという行為だなと、天井付近にいるわたしがわたしを見下ろしていた。
わたしのこの小さな部屋には独立洗面台がない。従って風呂場の小さい洗面器で歯磨きをすることになるのだが、口を濯ぐ際になんとなく臭いを感じて、そういえばまた掃除をサボっていることを思い出した。思いたったが吉日、風呂場の掃除をする。テストの前に部屋を片付けたくなるように、外出の前に部屋を掃除したくなる。つまりは部屋の掃除は外出よりかは心理的障壁が低いらしい。らしいなどとうやむやにしなくても、断定できるくらい外出が苦手である。身支度が頗る面倒。他人の目がある環境に置かれるということがかなりのストレスなのである。その後も何かと理由をつけては外に出ず、これまたそういえば自転車を整備してもらわねばいけなかったことを思い出し、しぶしぶ家を後にした。
自転車屋のある駅前は日曜の昼下がりだということを差し引いてもやたらと賑わっていた。どうやら出店が出ているらしい。そこで初めて朝の省エネ神輿を思い出した。そりゃそうか、なんかの祭がなければ神輿は出ない。祭から帰る中高生と思しき男女の2人組を見かけると、ああわたしにはなかったことだなぁと思ったり、した。

2024/08/26 (月) 「大人」
はれ
朝玄関のドアを押し開けた瞬間から「違う」と思った。身体に纏わりつくような重たい湿った空気が消えて、爽やかな空気に変わっていた。心なしかドアも軽かった。そして間違いなく、わたしの気持ちはそれだけで軽やかだった。
親友の出産完了報告を心待ちにしつつ、特に可もなく不可もなく仕事をこなしていた。空がきれいでいい日だと思った。こんな良い日に生まれる彼女の子が、この先なんの不幸にも見舞われませんように、という謎の心境に至っていた。
午後1番に出向いた先に小学生の男の子がいた。職員のお孫さんらしい。訪問者が珍しいのかちらちらと様子を伺いに来て、その度に呼び戻されていた。手が空いた隙に学校は楽しい?と聞くと、首を横に振る。勉強が嫌?と聞くとまた首を横に振る。彼は手元を見つめながら「友達」と小さくこぼした。それ以外何も言わなかったから、どういう状況なのかわからない。わたしの横にいる祖母が、ちょっかい出されるみたいで、と小さく耳打ちしたと同時に、今までハッキリ言わなかったのに…と驚いていた。全然関係のない知らない大人にこそ言いやすいことがある、のをわたしは知っている。自分が大人なのかは甚だ疑問ではあるが、彼から見たらどう見たって大人である。
「やめてって言ってるのにやめないからこっちが反撃しただけなのに、それをどっちも悪いって言われるのは腹立つよな」
これはこの少年に向けて言ったようで、あの頃のわたしに向けて言ったのだと思う。そして、今も基本的にはこう思っている。言葉の暴力と言いつつ、肉体的暴力の方が悪だと認識されていることが多い気がする。そもそも暴力をふっかけてきた方が悪いのに、なぜ応戦したら両成敗になるのだ、ふっかけて来なければこちらの暴力は発生しなかったのに。この考えは幼稚なのだろうと思う。だけどずっと、納得できていないのも確かだ。ただ今の社会でやり返してしまったら結局そういう視線で見られてしまい、結局は損だということもわかっている。だから本音はそう思っている大人も、世界のどこかに、少なくとも今君の前に、1人はいるんだよ、色んな思想を持った人が生きてるんだよ、と伝えたかった。
けどまぁ伝わらないだろうし時間がないし、残念ながらもうおそらく会うことはないだろうし、助けてもあげられないし責任も持てないから、ごめんね。基本的にわたしより若い人たちはみんな幸せに生きて欲しい、と思っている、綺麗事だけど本当に思っている。1年に1歳、歳をとるから、その対象はどんどん増えている。

2024/08/27 (火) 「想像だけで疲れて行動しないのは勿体無い」
はれ
久しぶりにちゃんと料理をした。し始めれば楽しいのにし始めるまでにかなりの時間を要する。脳内シミュレーションで色んな手順を考えているうちに全てが面倒臭くなってくる。私は効率よくとか失敗しないようにとか考えずにとりあえず始めてしまった方が良いのだと思う。

2024/08/28 (水) 「ガタガタ」
はれ
今日こそ早く寝ようと思ったのに夜更かしをしてしまう。そして次の日は寝落ちしてしまう。最近この繰り返しで生活リズムがガタガタである。肌荒れし放題、もう若くない。

2024/08/29 (木) 「ゴミ屋敷」
晴れたり雨だったり曇ったり
ゴミ屋敷になる理由はどうしてだろうか。あそこまでゴミが積み上がるのが不思議である。その前に絶対邪魔に思って片付けてもいいはずなのに、よっこらせとか言いながら乗り越えていく。要らないハードルすぎる。
精神疾患があるとか、認知症とか、セルフネグレクトとか言われていて、どうやらただ単に「物を捨てられない」にも理由があるらしい。確かに着てない服でも着られるしいつか着たくなるかも、と思うし、思い出の品だったりすると捨てられないのはわかる。ただの見かけのペットボトル100本とか、ちり紙とか、それこそ生ゴミだとかは自分のテリトリーに置いておいても特にいいことがない。正直5本くらいなら洗うの面倒だな、で溜めてしまうが、100本は邪魔である。確かに分別は面倒くさい、キャップもラベルもとって、それらを洗って、プラとペットボトルにわけて、、、をやるのは大変だし、そもそも洗い場まで辿り着けないのだ、物が多過ぎて。となると結局要る要らないの分別が必要になってくるわけで、それはなかなか心理負荷が高いのはわかる。もういっそ業者を呼べばいいのではないか、となるがそれは金銭的問題がある。あと他人に見られたくないとか。考えれば考えるほど嫌になってきたから終わり。

2024/08/30 (金) 「0」
あめ
急激に全てが嫌になってすぐに寝た

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