1週間日記 いつか忘れてしまうような幸せを抱いて眠る
2024/08/10 (土) 「いつか忘れてしまうような幸せを抱いて眠る」
晴れ
目が覚めた途端ああまたやってしまったなと思った。要は寝落ちしたのである。しかもいつもの副産物(早起き)もない。ただひたすら気分は最悪。シャッターを開けてゴミ捨て場を見ると未だ収集されていないゴミ袋たちが見えて、それだけが救いだった。
シャワーを浴びて洗濯物を干してダラダラしていたらお昼になってしまった。昨日の夕飯の残り物を電子レンジで温めて適当に昼食を取る。土曜昼の日課、ならぬ週課?である番組を見ながら洗濯物を畳んだりしまったり、身だしなみを整えたりした。わたしは何か一つに集中しておくことがなかなかできない。
番組終了と共に溜めに溜めた録画を消化する。見始めると面白いのに見始めるまでに時間を要すのはどうしてなんだろうか。ひとつ言えるのは、映像作品は話の緩急に合わせてスピードを変えられず、それにストレスを感じることが多いのだ。小説や漫画であれば(雑に読むというわけではなく)、要所要所のスピード感を自分に合うように調整できる。このシーンは重要度としては高くないだろう、と思えば合っているかは置いておいてサラッと進めるし、ここが見せ場だというところはじっくりと堪能することができる。あくまで自分主体で緩急をつけられる。それに対して映像作品はそのまま観るとなると気まずいシーンも恥ずかしいシーンも見せ場もコミカルなシーンも何もかも、提供されたスピードでしか進められない。その部分だけ早送りする/スロー再生にすることはできるものの、不自然になってしまう。観たものを咀嚼するのは自分に任せられているかもしれないが、あくまで主導権はあちら側にある、ような気がする。そこが得意ではない要因の一つであるのだろうと思う。そんなことを観ながら考えているから余計内容が入ってこなくて、ますます向いていないなとテレビを消した。
予定通り家を出たものの忘れ物で道を引き返し、結局駅までダッシュする羽目になった。前の職場の同期で集まるのを楽しみにする日が来るなんて、学生の頃のわたしは思いもよらなかっただろう。関係を続けることが苦手なわたしが、前の職場の同僚たちとはなんだかんだ続いている。選んで入った職場なだけあって、気の合う人が多かったのかもしれない。わからないけど。
数年振りに会う人もいたが、久しぶりの感覚もなくただひたすら楽しかった。集まった人数のうち、恋人がいる人は1人だけで、それも変わらず面白かった。人間は大して変われないらしい。
出会ってからもうだいぶ経ったらしいが、あの頃と同じようにどうでもいい話で笑い合って、だからこそ何を話していたのか何も思い出せない。あの頃の思い出話と、最近会ったかつての同期たちの話と、今の話と、ちょっとだけ人生の話をした。車をぶつけられてからクラクションを鳴らす奴と、なんにもやってないと言いつつどうせちゃんとやってる奴と、本当に何もやっていなくて恋人と喧嘩した奴と、それから何もしてないのに一丁前に偉そうなわたしと。この職業はおじさんはいるもののおばさんは珍しいという話から、わたしたちはいったいどうするのだろうかという話になったり、抜け毛の話になったり、大人になってからの友達作りの難しさだったり。あれ、意外と覚えている。
良い夜だったのだ。終電までダラダラと居続けるほどに、良い夜だった。幸せだと思ったこんな夜でさえ、明日の記憶たちに潰されて見えなくなってしまう日が来るのだとしても。
2024/08/11 (日) 「無為無能」
晴れ
手に触れた墓石が熱い。温いと熱いの中間くらいの水を捨て、供花に新しい水を与える。枯れた部分を取り除き、道中購入した花を新しく供える。数万年前のネアンデルタール人も死者に花を供えたと考えられているらしい。花はどんな気持ちでいるのだろうか。他種の生物の死を悼むためになんら関係のない自らの生命を絶たれ、他種の生物の亡骸と共に土の中へと葬られるのである。ネアンデルタール人が穴を掘って埋めていたかは知らない。
墓地を見渡すと、所々隙間が増えていることに気づく。少なくなったよね、という母はなんだか寂しそうに見えた。墓じまいについて母はよく口にする。あなたたちに遺しても困るだろうしなんとかしないとね、という。わたしも弟も未婚で、特にわたしに至ってはおそらく結婚する未来はない。孫(わたしにとっての子供や甥姪)がいればまた違うのかと思いつつ、でも母方の墓に今後新しく入る人はセオリー通りではいないから、きっといずれ閉じることになるのだ。寂しいけれど、どうにもできない。母はどちらの墓に入りたいのだろうか。わたしが生きている限り、本当は残したい、と思っていることを、母は多分知っている。知っていると知っていて、わたしは何も言えなくて黙っている。
2024/08/12 (月) 「宅配寿司」
晴れ
昨日忘れ物をしてしまい母が家に届けてくれた。いつまで経っても子供のままで申し訳ない。宅配寿司を頼み2人で食べた。そういえば宅配寿司を頼む時いつも思うのだが、ネタ変えができるとしてもスタンダードでは何が入っているのか、比較表のようなものがあったらいいのに。Excelで言うところの行に桶?の名前、列にネタの名前で、その桶?に入ってるネタに丸をつけてくれると比較しやすくて助かる。web版だったら好きなネタを選択すると1番合致する桶?を教えてくれる機能とか。わたしが知らないだけでそういう機能はあるのだろうか。そもそもみんなそんなにネタを隅々まで見て考えてないのだろうか。まぁ大抵何でもおいしいしな。
2024/8/13 (火) 「大雑把に同じで詳細は全く違う」
はれ
『西園寺さんは家事をしない』を観た。楠見くんの惹かれているのに気づかないようにしているところとか、全部疑問を口に出す西園寺さんとか、不器用すぎる横井さんとか、愛おしいキャラクターたちを凌駕する愛おしさ、えまちゃん(もはや役者の名前)のいる!いっぱいいる!盛り塩!!!!が好きで困る。意味がわからない。かわいいがすぎる。偽家族を理想ですと言って横井さんが同意するの、変な人すぎるし楠見くんと西園寺さんはさらにどうしようもなくなってあ〜あ、と思いつつ私は恋愛のソワソワ感が何だか本当に死ぬほど苦手なので最高の展開になってきている。謎の4人の生活をずっと観ていたいけどそんなことにはならないんだろうなぁ。あと単純にあの家が素敵すぎて羨ましい。ああいう高台の、謎の庭みたいなスペースがある家に憧れる、かつてTwitterで回ってきたイラストレーターさんの女の子のイラストをもう一度見たいけど忘れてしまった。何てお名前だったかしら。
西園寺さんは家事をしない、多分少し変わっている人たちが、少し変わっている関係性を築き上げていってて、それが多分少し変わっているらしい私をそっと肯定してくれている気がして、そんな中最後に藤くんの声が聴こえるもんだから何だかちょっとだけ泣けてしまう。人間なんて、皮を剥げばみんな同じなのに目の大きさや鼻の高さに一喜一憂して、そのくせ幸せのテンプレートがあると信じている人がいて、外れ値を憐れんだりするけど、本来はみんな少しずつ変わっている部分があるんだろうにね。
2024/08/14 (水) 「夏」
はれ
アサギマダラが飛んでいるのを見るのは今年2回目、フワリと優雅に舞うのを眺めて心が弾んだ。大きすぎるヒマワリが首を垂れているのを見て暑さが増した気がした。サルスベリが光を遮ってチラチラと輝いていて、シオカラトンボがフェンスの上に止まっていた。夏だ。
2024/08/15 (木) 「夏が悲しい話」
はれ
今年の夏はあんまり空がパキッと真っ青なことがなくて、せっかくの入道雲も薄ぼんやりとした水色の空が背景では映えなくて、わたしの好きな夏がないなぁと思っていた。
ようやっときた。この夏!と言わんばかりの空、雲!!!立秋を過ぎてじわじわと秋が忍び寄ってくる中、この夏!最高!!!!仕事中路地を曲がった視界いっぱいに青空と入道雲が広がっていて思わず口角が上がる。
そして本日が終戦記念日、かつて今の私よりもうんと若い人が何人もお国のためとその命を燃やさざるを得なかったこと、残された家族、そういうものを思うとやっぱり夏は悲しい。日本の夏の、眩しさの影に潜む何ともいえない物悲しさは、戦争の記憶によるものなのか、死者が帰ってくるという盆に起因するのか、果たして別のものによるものかはよくわからないけれど、どうしても海外の夏を想像する時と同じような夏にはならない。日本の夏は生と死が同居しているみたいで、どうしても輝いてばかりには感じられなくて、あと単純に暑くて、時々しんどい。
2024/08/16 (金) 「プレゼントを選ぶ時」
雨
天気が荒れるかもしれないということで仕事を午前中に詰めて早く上がった。危惧していたほど天候は荒れずただただ早めに帰れただけで嬉しい。天気も保っていて、早く帰れて、街に人も少ないものだから買い物のために途中下車までしてしまった。
目的は定まっているため、脇目もふらずに向かう。一つは誕生日の友人へのプレゼント、もう一つは出産する友人へのちょっとしたプレゼントを、自分のものは一つも買ったことがないお店で買った。昔誕生日プレゼントでそこのお店の入浴剤をもらって、とても良い香りで、この2人の友人は香りものがとても好きだったから。
誕生日の友人は、過去の会話から(もう自分の望みに合致しているものが見つかっているかもしれないが)探しているであろう物を、出産する友人にはボディーシートを。喜んでもらえたらいいなと思う。
『倒れないようにケーキを持ち運ぶ時人間はわずかに天使』と岡野大嗣さんが詠んでいたが、プレゼントを選ぶ時もそうだなと思う。