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『Vtuber学』第Ⅲ部の感想



はじめに

 Vtuberについての初の学術書『Vtuber学』第Ⅲ部の感想を書こうと思います。『Vtuber学』第Ⅰ部、第Ⅱ部の感想の続きです。

概要

 第Ⅲ部は「理論編」というタイトルで5章から構成されています。第9章は山野弘樹さんが書いた第Ⅲ部の各論考の概要とアバターと生身の配信者が紙幣のような制度的存在者になるように結び付きVtuberになるという論考、第10章は篠崎大河さんが書いたVtuberを生身の配信者そのものに還元する論考、第11章は富山豊さんが書いたVtuberを生身の配信者の中の1つのペルソナであるとする論考、第12章は松本大輝さんが書いたVtuberを生身の配信者が創作したフィクショナルキャラクターとみなし、その視点からVtuberを考察した論考、第13章は本間裕之さんが書く中世哲学の理論からVtuberは配信者を身体としてフィクショナルキャラクターを魂として構成されていると説く論考で構成されています。

感想

全体の感想

 第Ⅰ部が「Vtuberとは何者だ」というVtuberに関する歴史や業界構造などの詳細な説明、第Ⅱ部は「そのVtuberを我々はどうのようにして研究してきたか」の説明なら、第Ⅲ部はその第Ⅱ部を踏まえて、「Vtuberとは何者だ」という抽象的な解釈、構造分析だと思います。

第10章の感想

 第10章のVtuberの正体を生身の配信者そのものに還元する説は精緻な論理で個人的には第Ⅲ 部の中では一番説得力がありました。

 Vtuberへの誹謗中傷に対抗する為の言説としても実用性があると思いました。

 また、この論考から導き出せる「Vtuberのフィギュアは配信者のフィギュアでもある」という論理は著者も半ば困惑していましたが、個人的にはそうは思いません。

 なぜなら、この論考でVtuberの名前を配信者の別名と考えたのと同様にVtuberが使用するアバターも配信者のもう一つの姿と考えれば、不自然な考えではないと思いますし、それを元に制作したフィギュアにも適応できるからです。

 それにこの論理が適用されれば、アバターを対象としたハラスメントにも肉体に対するのと同様に問題視する事が可能になり、Vtuberの権利を向上する事ができると思います。

 また、バ美肉おじさんにとっても自身の魂を投影したアバターを自身の肉体と同等に扱うようにできるようになり、自身をおじさんであるのと同等に美少女であると言えるようになり、美少女になりたいバ美肉おじさんにとってこの論理は朗報です。

おわりに

 これで『Vtuber学』第Ⅲ部の感想は終わりです。

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