メタバースとバ美肉おじさんついての雑感 その1


はじめに

 ここではメタバースとバ美肉おじさんについてとりとめもなく考えた事を書こうと思います。

 「バ美肉おじさんについての雑感」という記事のシリーズの続編です。

メタバースがユートピア視される事について

 「メタバースがユートピアなのか、それとも違うのか?」という議論がしばしば起こりますが、個人的には「メタバースがユートピア」というのは外部から支持、出資を募る為の宣伝で、その議論自体に意味はないと思います。

 重要なのは、「メタバースがユートピアなのか」というよりも「メタバースを能動的にユートピアにしたいのかどうか」だと思います。

 自分はメタバースの中でなりたい自分になり、素敵なメタバース先住民に出会えたので、その恩返しする為にメタバースをユートピアにしたいです。

我々はメタバースで何者になろうとしているのか?

 私たちはメタバースで何者になろうしているのでしょうか?

 これまで、美少女アバターの使用率などビジュアル的特徴、客体的な観点に言及する事が多かったのですが、では中身、性能、主体の観点からどのような事が言えるのでしょうか?

 個人的には超人になろうしているのではないでしょうか。具体的な例を挙げていきます。

 メタバースでできるワールド作成は現実に当てはめれば、部分的な天地創造能力を与えられたのと同義です。

 また、アバターも現実に当てはめれば、老いもせず、傷つかずに現実の人間以上に力を発揮できる身体です。しかも、どんな姿を選択していても能力は平等に与えられます。

 大半のメタバースにはブロック機能が備わっていて、それは現実に例えると現実には不可能な防犯ブザーを鳴らしたら、対象のブザーを鳴らしたくなるような嫌な相手が消え去った事に等しく、現実と比べて破格の力と安全性を持っています。

 以下の事を統合して、現実に当てはめると、それはか弱い美少女の姿をした存在でも傷つかずに老いずにどんな存在にも平等に対抗する事ができ、世界創生もできる事に等しいです。

 これらの能力を持った存在は超人と言うほかはないでしょう。

 超人であるからこそ、身を守る事と自己実現ができ、安心して美少女のようななりたい姿になれると思います。

アバター社会権

 自由にアバターに受肉し、なりたい自分になる権利とそれを支える仕組みを確立する為の検討委員会が公的な場でメタバース原住民を交えて設置されました。

 それはメタバース原住民の努力が実り、メタバースとその文化が市民権を得た証であり、素晴らしいです。

 また、個人的には今の段階の検討委員会では自由権、平等権が重視されていると思いますし、その段階を過ぎれば、アバターの社会権の確立が重視されるようになると思います。

おわりに

 これでこの記事は終わりです。続きとしてこの記事と同じシリーズの記事を書くかもしれません。

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