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アラサーになってギャン泣きする

私は10月が嫌いだ
9月の末に10月になってしまう事がただただ悲しくて時が止まれば良いのにと思った。

10月1日の朝の目覚めは最悪だった。
夢では殺人現場に出くわすし起きたあと
「ああ、もう10月か」
という気持ちにひどく落胆した。

10月は私の誕生日と息子の誕生日がある。
私の周りの家族や友人はお祝いモードである。
私を除いては。

私だけずっと心に引っかかった
自分の父親が自殺したことを悔やみ、喪失感に襲われ、お祝いモードな周囲についていけずどのように自分の気持ちを整理しモチベーションを保って良いのかわからなくなってしまう。


10月1日の明け方私は泣いていた。
アラサーにもなる私が鼻水をたれ嗚咽をしながら亡き父の事を思い出して泣く。


これは私にとって初めての経験だった。

昔から「泣くな」と育てられてきたかもしれない、うまく泣けないのだ。

父親が死んだのは高校生のときなのに
やっとその哀しみが10年以上経って私の心に蓋をしていたものからこぼれ落ちていった。

喪失感と向き合おうと思い
一通り泣いたらスッキリするかと思ったが思っていたよりはしなかった。
やはり泣くのは損な気分だと思った。

後日母親に自分の気持ちを打ち明けた。
「父の写真を見せて欲しい」
とお願いした。
父と母は2歳の頃に離婚しているので父と写った写真は2歳の頃の私と父だった。

しかし母と
「これはあなたが産まれて退院した日」
「これはパパが乗っていた車」
「これは100日のとき」
などと話しをしていると
私は父親に愛されていた事を再確認する。

父親の自殺は私は悪くなかったのだと、仕方なかったことなのだと実感した。
16歳の私にとって衝撃的な出来事すぎて消化するまでにずいぶんかかった。

写真を見ることをずっと避けてきた私にとって母と写真を見ながら思い出を話すことは
とても良い作業だった。

自分の中の喪失感や、何か失っていた気持ちが戻ってきて心が温かくなる出来事だった。


近々、父のお墓参りに行こうと計画を立てている。
しかしまだ気が重い自分がいる。
行ったら何か変わるかもしれないし
変わらないかもしれない

それでも数年ぶりに
父のお墓に手を合わせてみようと思えた。

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