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日記 年末年始と、映画「どうすればよかったか?」をみて

この年末年始、義実家に帰省するという体験を始めてした。
結婚して数年経つけれど、夫の休みが短かったりコロナだったりと最もらしい理由で帰省をうやむやにしていた。
我が家にはお猫様こと愛猫がいるため、私が30と31日とで先行する形で滞在、夫が31と1日に後行で滞在──と変則的な帰省をしたものの、義理の両親は快く受け入れてくれた。一方、愛猫については一晩留守番を預かることとなり、いたく怒っていた。
私の夫の実家は山口県の周南市にある。最寄は徳山駅で日が落ちた頃に訪れると、石油コンビナート群の美しい夜景を目にすることができる。

駅前こそスターバックスを併設した蔦屋書店が数年前に開店し、なんとなくの賑わいを目にすることができるが、それ以外はバイバス沿いにポツポツとチェーン店があるだけで、過疎化が進む典型的な地方のモデルケースといったところだ。

徳山駅で降り改札をくぐると少し縮んでしまったような義両親の姿があって、のっけから少し泣きそうになってしまった。
「痩せました?私は三キロ増えたのがどうも落ちなくって、羨ましいです」
そんなふうに、明るくそして鈍感に振る舞い自分の内側にある動揺を薄めたりした。

猫を迎えたのがコロナ・ファーストイヤーの2020年で、それからは長く帰省していなかったため街の荒廃たるや、この街に縁のない私でも目が痛かった。駅前の一等地と思える場所でもシャッターが固く降りたままの店が並び、牛丼チェーン店とコンビニだけが場違いのように営業していた。立ったばかりだという駅近の好立地にあるマンションとホテルの一階テナントには、業務スーパーというなんとも微妙なチョイスの店舗が入る(入っている)そうだ。
「駅前なんだし、成城石井くらい誘致できればいいのにね」
後にそんな会話を夫と交わしたけれど、これが地方の現実なのかも知れない。うら寂れた地方は成城石井ブランドに相応しくないのだろう。
コロナ前には営業していたケーキ店も焼肉屋も看板を下げていて、あの空洞のような四年間は確実に地方の何かを削り取って行ったように身をもって感じた。

この季節にXを覗いていると、帰省に伴い生じる嫁VS義両親の殺伐とした戦いを目にするけれど、有難いことにその不毛な戦いに私は今のところ無念でいる。子すら産んでいない嫁であるため、義両親としては多少こぼしたい愚痴もあるだろうけれど、とにかく私の夫方の両親や親族はおしなべて穏やかで常識的で、人と波風を立てない方が多い。
普段は見ない地上波のテレビが延々と流れていて閉口した以外は、義実家で過ごす年の瀬は徳山に面した瀬戸内の海のようにとても凪いでいた(つけっぱなしのテレビで橋本環奈さんのプロフェッショナルを見たけれど、びっくりするくらいつまらなくて、とにかくびっくりしたりした)。

大晦日は一日遅れで帰ってきた夫と合流し、締めやかな年末を過ごした。紅白をのっけからきちんと見たのが久しく、けん玉だのドミノだのとややズレたような演出に浦島太郎のような心地になり、見ようと思っていたKiinaこと氷川きよしの歌唱は目にせず早々に寝入ってしまった(※一時PodcastでやっていたKiinaの番組リスナーだったので、勝手に身内の気持ちになっている)。
元旦の朝に鶏肉とごぼうの入った雑煮を食べ義実家を後にした。家庭の味と暖かさをいっぱいに感じつつも、乗り込んだ新幹線の中で疲れが出るのを感じた正月だった。広島での乗り換えの際に、ドトールで買ったブラックコーヒーを啜った瞬間が私にとって新年の始まりだった。

***

二日目は家に籠城する予定だったものの、ある映画を見に出かけることにした。ある映画、「どうすればよかったか?」というドキュメンタリー映画を。

「どうすればよかったか?」は公式の紹介文の通り、監督である藤野知明さん自ら自身の家族にカメラを向け続けた作品だ。
作品の主となるのは、二十代の早い時期に統合失調症の気配を見せ始めた監督の実姉。パンプレットを買わずに出てしまったので、正しい名前がわからないが作中では「まこちゃん」と呼ばれていたため一旦「まこさん」と記す。
レンズの向こうで藤野監督の姉ことまこさんは、神経質そうに目を瞬かせ、常に何かを呟いていた。時には怒鳴るように語気を強める姿もあって、その中には言葉として聞き取れるものもあったし、言葉にならない未熟な言葉を紡ぐこともあった。監督はそんなまこさんの姿を中心に、家族の姿を何年にも渡って撮り続けていた。
昼食後に映画館に向かったこともあり、私は序盤で15分ほど寝落ちてしまった。目を覚ますとスクリーンの中には異様な光景が映し出されていた。藤野監督の両親とまこさんとが暮らす家の玄関に、ガッチリとした鎖とそれを繋ぐ南京錠とがかけられているシーンだった。淡々と流れている画だったけれど、寝起きの頭と心を揺さぶるには十分ぎるほどの力があった。硬い鉄の錠は何を閉じ込めんとしてかけられたか、レンズの先に映るものを見れば明らかだ、藤野監督の姉・まこさんだった。
内容にもやや触れてしまうが、医療に携わっていたこともあり藤野監督の両親は、まこさんを医者に見せる選択はしなかった。

まこさんの発症から二十年近く経ち、まこさんと監督の母が認知症を気配を見せたところで、まこさんはやっと病院へ行くことが叶う。
あっさりとしたテキストで「薬が合ったのか、姉は3ヶ月で無事退院した」と表示されたのちのシーンで、まこさんの顔にあの神経質で忙しい瞬きはなく、弟である監督とのごくありふれた会話をする姿が映されていた。意思疎通が可能となった、ごく普通の家族のあらまほしい風景だった。

監督の姉ことまこさんが統合失調症の気配を見せてからおそよ二十年、医者にかかり退院するまでの期間が三ヶ月。天秤にかけるにはあまりにも年数が異なる期間たち。あったかも知れない、訪れたかもしれない、そんな日々や物事を考えると勝手ながら胸が詰まった。
作品のタイトルでもある「どうすればよかったか?」が、どっしりと私の胸にのしかかってくる。
人様の家庭の、人様の人生、けれどその内にいたとしたら自分が何をすべきだったのかというのは考えてしまう。考え続けてきっと同じように「どうすればよかったか?」という問題に帰着する。散々に迷った挙句、結局得たかった正解は手にできずにスタート地点へと戻り、呆然と立ってしまう、そんな映画だった。
作品の終盤で監督の姉であるまこさんが和やかな笑顔を見せる姿があった、その姿に少し涙してしまった。

映画については自分ではない他所様であり、他者の家庭の物語だった、けれどわたしの中にも家族という問題は未だ根付いている、私の父だ。
私はここ二年ほど父に会っていない。
電話すらすることもなく、年に数回の片手に足りるほどのメールのやり取りのみに止まっている。断っておくが、父に虐待されただとか何かをされたわけではない、大学も行かせてもらったし自立するまでは育ててもらった。けれど私は父が苦手だ、距離をとっていたいと思ってしまう。
私の年代を思うとあの頃にきっと多かっただろう内弁慶型のやや独裁的な父親で、自身の不機嫌によって家族やその場の空気を支配する人だった。また外に出て外食でもしようものなら、店員には横暴でいわゆる典型的なカスハラを行ってもいた。いつ噴出するかわからない間欠泉と歩いているようで、父とどこか出かけるとき私は心労が絶えなかった。今のジャンクな言葉で表すと、モラハラでDV気質とでもいうのだろう。そんな私の父も老いて多少絵は丸くなったように思うが、幼い頃に植え付けられた父への嫌悪の感情は強く、未だ拭えそうにない。
年末、友人らで集まった忘年会で親のことを心配する会話があった。友人たちが親を思い慕う中で、私は父といかに離れているかを願い生きている。私の人生から遠い人であってほしいと、今この瞬間も強く思っている。

「どうすればよかったか?」
その問いかけは、自分の外側にあるときはいつだって簡単だろう。
人様の視点で自分を省みると父に歩み寄り年に数回は顔を合わせ、あるべき親子として関係を築くべきだとは思う。けれど当事者の自分としてはそれができないのだ、私は父から離れていたい。最も遠い他者としてあり続けたい。
「どうすればよかったか?」
正解とされる関係性の逆を私は今も歩んでいる。

映画「どうすればよかったか?」、作品を通して投げかけられた問題の答えはとうに出ている気がする、監督自身もきっと自分の答えをすでに見つけているはずだ。「どうすればよかったか」はわかっている、一方でなすべき答えをどうしてか選べないことも多いのが人の世だとも思う。私自身が抱える病というか業にというか、作品を通してそれらを感じた正月だった。

映画は横浜の「ジャック & ベティ」に観に行った、大手のシネコンに押されながらもこうして単館が細々と残っているのを見るとぐっとくるものがある。
映画館の前に立ち寄った近所の「レストラン・コトブキ」でカツカレーを食べた、味噌汁がついてきたが箸は来ず「スプーンで食べてもいいものか」とやや迷いながらも手をつけた。スプーンで食べるのには少し不似合いなしじみの味噌汁だった。

真っ赤な福神漬けが嬉しい
テーブルが三つ葉型だった

見逃してしまった冒頭の15分を見に再訪したいけれど、主題的に腰が引けてしまう作品でもある。
「どうすればよかったか?」
「今、どうすればいいか?」
そのようなそれぞれの問いに向き合ったり、目をそらしたりと、きっと今年もそんな一年になると思うけれど、それが人間らしい営みだとも思う。正解ばかりの人生よりも、きっと味わい深いはずだとそんな言い訳を交えながら。

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