永遠の課題
先日、Alexander ComitasのSymphony Nr. 3 'A Tribute to Komitas'の演奏を聴いた。実際に起こった虐殺を題材としていたので、本当に色々と考えさせられた。
プログラムノートにて2楽章についてShostakovichのSymphony No.10を彷彿させるとあったが、Shostakovichの嵐のような暴力的なものではなく、引用されているトルコ民謡が印象的で暴力的な中にも何か主張のようなものが垣間見えた。ウクライナとロシアの戦争において報道やそれぞれのTwitterアカウントなどから各々の陣営の正義、主張に触れている今、このトルコ民謡の旋律はトルコ(当時はオスマン帝国)が掲げる正義の存在を認識せざるを得ない。中間部を経て再現部ではホルンによる1楽章のアルメニア民謡の旋律が加わり、トルコ民謡とぶつかり合う。異なる正義のぶつかり合いの有り様が表現されていて非常によくできた作品だと感じた。
平和を祈る4楽章においてアルメニア民謡だけでなくトルコ民謡の変奏もあるのは、アルメニア人の平和とトルコ人の平和は決して両立しないものではないという作曲者の寛容な平和観を感じた。こちらが正しい、こちらが悪いと判断し、排除した先に果たして平和があるのか、我々は問いかけられた。
そうした作曲者の思いを整理するまでもなくアンコールが始まったのは非常に残念であった。
日本はすっかり西洋の価値観の中に立ってウクライナとロシアの戦いを見ている。しかし、国連決議の投票結果を見るに全ての国がそうではない。そうしたなかで、今我々が平和を訴えるときすべきことはもう一度"We Are The World"を歌うことなのか。"We Are The World"が初めて歌われてから30年以上経つが戦争・紛争は絶えずどこかで起き続けている。新たな平和へのアプローチを考え続ける必要があると感じた。