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いっしゅうき 2021.06⑤
2021.06.23 WED
197日目です。予約炊飯はいい文明ですね。これまでは帰宅後しぱしぱの目で米を研ぎ、炊きあがるまでに空腹感に苛まれながら入浴、豚肉を炒め……みたいなことをやっていたわけですが、予約炊飯をしておけば、豚肉を炒める、というひと行程だけで済むわけです。帰ってすぐにおいしくてほかほかの白米が食える。最高。むしろなんでいままで予約炊飯の存在に気付かなかったんだよ。
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2021.06.24 THU
一日でのべ7時間ほど映画を観る計画を立てようとしているんですがさすがに無謀だろうか。某電鋸漫画で1日映画デートやってたしなんとかなるかな
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 24, 2021
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2021.06.25 FRI
199日目です。ふと気付いたら薬指にいまだかつてないほど深い切り傷ができていてびっくりしました。いやもうびっくりするくらい血が止まらん。こんな切れることある? というかいつ切れたんじゃ。鎌鼬か?
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2021.06.26 SAT
200日目です。渋谷にあるミニシアター、ユーロスペースにて本日から始まった、アンドレイ・タルコフスキー監督特集「タルコフスキー、精神・物質・官能」へ行ってきました。ずいぶんまえに同監督の『ストーカー』を観たことがあり、その際に「????」という気持ちと同時に感じた謎の魅力をどうにも忘れられなかったのと、最近なんとなくソ連映画が気になっているので、せっかくだからインプットがてらお勉強してみよう、という個人的な試みの一環です。
今日は全3回に分けて上映が行われたので、その全部を観てきたわけですが、結果7時間ほど映画を観続けていた計算になります。首と肩と頭が痛いですが存外自分が「やれる」ことが分かったので、今後も一日ぶっとおし映画チャレンジ、やってみようと思います。
今日はまる一日ユーロスペースさんにこもって #タルコフスキー特集 全3回を鑑賞してきました! 一作一作がかなりのボリュームであり、かつ思索的で難解な作風だったので体力的にもなかなかハードでしたが、『ストーカー』の回では須藤健太郎さんのトークも拝聴でき、とても勉強になるよい一日でした! pic.twitter.com/SRQXgitz00
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 26, 2021
第1回は『ローラーとバイオリン』(1960年、ソ連)と『僕の村は戦場だった』(1962年、ソ連)の二本立てでした。
『ローラーとバイオリン』を観ました。近所の悪がきにいじめられているところを、ローラー作業員の青年に助けられた少年。エリートと労働者という立場を越えて心を通わせる二人だったが──という、タルコフスキー監督の処女作にあたる中編です。年齢を越えた二人の交流に心が温かくなると同時に、→ pic.twitter.com/dsEIlllIQK
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 26, 2021
『僕の村は戦場だった』を観ました。家族と故郷を奪ったナチスドイツ軍への復讐心ゆえに、少年斥候として戦場に生きる少年・イワン。親代わりの軍人たちは彼の高い能力を認めつつも、イワンを戦場から遠ざけようとするが──という、タルコフスキー監督の長編第一作となる戦争映画です。→ pic.twitter.com/Uh7i2LVoEl
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 26, 2021
前述の通りタルコフスキー監督は『ストーカー』のイメージが強かったので、この2作、特に『ローラーとバイオリン』はずいぶんと雰囲気が異なっており、新鮮というか、意外というか、そんな心持ちで鑑賞しました。
どちらも少年が主人公の作品ではありますが、『僕の村は戦場だった』の主人公・イワンは、親代わりの軍人たちに見せる子どもらしさに微笑ましさをおぼえる反面、戦争や敵国に対する激烈な感情に振り回される彼自身を見ていると、「どうしてこんなことになってしまったんだ……」という感情に襲われました。戦争の悲惨さ、などという簡便な言葉で表現していいものか非常に悩ましいのですが、少なくとも自分の「戦争」に対する無知さに羞恥をおぼえたのは事実です。こんな子どもが戦場を駆け巡り、命を落としていたのだと考えると、「過去のこと」と割り切ってはいけないように感じます。
第2回は『ストーカー』(1979年、ソ連)でした。数年のときを経て、2回目の鑑賞です。以前は「????」のままぼけーっと眺めて終わってしまった作品だったのですが、さすがにあれからおっきくなったし、もうちょっとちゃんとした見方ができるかなー、という気持ちで臨みました。
『ストーカー』を観ました。謎めいた禁止区域「ゾーン」に存在するとされる望みが叶う「部屋」を求め、そこへ侵入した三人の男性を巡る、タルコフスキー監督の代表作ともいえるSF長編です。
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 26, 2021
壮大な映像美に目を奪われるのはもちろん、登場人物たちの思索的・哲学的な会話によって、→ pic.twitter.com/R2TFqj3Yzx
結果として、以前よりは監督の意図というか、言いたいことを汲み取れたような気がしますが、この映画をじっくり楽しめるまでには成長できていなかったことがわかりました。ですが、2回目の鑑賞という点や、若干映画に対する経験値が以前より増えたおかげなのか、本作の映像の美しさは理解できたような気がしています。
かなり長い映画ですし、詩的もしくは哲学的な台詞があったり、じっくりと映像を見せる長回しが挿入されたりするので、ちょっと冗長だなあ、という思いはありましたが、それもタルコフスキー監督、そしてソ連映画の味だといえるのかもしれません。
この回では本編後、東京都立大学の須藤健太郎氏による、『ストーカー』についてのトークショーがありました。映画についてのトークショーに参加するのは初めての経験でたいそう緊張しましたが、とても勉強になる楽しいひとときでした。
【6/26㊏『ストーカー』須藤健太郎さんトーク】
— PANDORA. CO., LTD (@CoPandora) June 28, 2021
@渋谷ユーロスペース
「<ゾーン>とは “物語を駆動させる仕掛け”であり、一方、火・水・土・風など形ないものが有機的に織りなすドラマとの緊張関係の中にタルコフスキーの作品世界が見える」(須藤健太郎さん)@euro_space #タルコフスキー特集 https://t.co/MkvQJllqhL
特に『ストーカー』の物語の重要なモチーフである「ゾーン」とはなんなのか?という議題が、非常に興味深かったです。須藤氏曰く、「ゾーン」とは「マクガフィン」なのだそうです。まくがふぃん。かっこいい響きだな。聞いたことあります? 恥ずかしながら筆者は初耳でした。
マクガフィンとは、たとえばスパイ映画でいうところの機密文書のようなもので、いわば「物語を動かしていくための装置」だそうです。これは登場人物たちの行動のきっかけになるものではありますが、実際のところそれ以上の意味は見出されないことがしばしばで、最終的にはあまり重視されなくなっていたりします。
はえ~というかんじですね。勉強になるなあ。
須藤氏曰く、「ゾーン」はストーカー(作中で、「ゾーン」へ侵入する人間の案内役のこと)がつくりだした「幻想」のようなものであり、実体などなく、「ゾーン」へ入り込む人間の思考・感情を明らかにするための装置にあたる、という考え方も可能であるとのことでした(タルコフスキー監督自身も、後年のインタビューで「『ゾーン』なんてものはね、存在しないんだよ」というような回答をしているのだそうです)。そう考えるとストーカーの悲哀がいっそう迫ってくるような気もします。もちろんひとつの考え方ですので、ひとによってさまざまな解釈が可能かと思いますが、物語をつくりたいと思っている人間にとっては非常に示唆的でした。
これ以外にも、タルコフスキー作品に見られる特徴であったり、『ストーカー』が後世の作品に与えた影響のお話など、興味深いお話がたくさん伺えて、大満足の数十分でした。
第3回は『鏡』(1975年、ソ連)です。個人的には好きな作品でした。
『鏡』を観ました。時代・世代を超え、第二次世界大戦をはじめとする記録映像を挿し込みながら虚実入り混じって描かれる、タルコフスキー監督の自伝的作品です。
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 26, 2021
家族の元を去った父への想いや、母への複雑な感情を夢とも思い出ともつかない曖昧な映像で語りながら、語り手自身の妻と息子との→ pic.twitter.com/W6WwGKrzEy
タルコフスキーの自伝的な作品だそうですが、過去と現在、現実と虚妄が入り混じり、独自のうつくしい世界をつくりだしています。
家族とのうまくいかない関係性、けれど捨て去れない郷愁や愛情が端々から溢れ出しており、なんだか妙に感情移入してしまいました。自伝的作品をこのような表現でつくりだせるのか……と、とても新鮮な気持ちで観ていられる作品です。前述の須藤氏のお話にも少し出たのですが、風や泥といった自然の表現のうつくしさ・衝撃が際立っており、タルコフスキー監督のこだわりがひしひしと伝わってきました。実家帰りたくなっちゃったな。
今回観た4作以外にもいろいろと上映されていく予定ですので、気になる方はぜひ足を運んでみていただければと思います。7月9日まで開催の予定です。わたしもなんとか都合つけていきたいなあ。いけるかなあ。
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2021.06.27 SUN
201日目です。某電鋸漫画のアニメPVが公開されましたね。絵がすごい。テレビで観られる日がとっても楽しみです。
アニメPVが公開されたのを機に、友人から借りていた某電鋸漫画9巻から11巻をついに読みきりました。第一部、読了です。みんなしんじゃうという情報だけは持っていたので8巻時点まではほんとうに過度に心を痛めず読めていたのですが、9巻からもうだめでした。9巻がだめだし、10巻ももうだめだし、11巻を読み終えた時点で天井を仰ぎました。なんでこんなことになってしまうんだよ。でもまあ好きなキャラクターがふたりも生き残ったんだからいいほうだなと自分を慰めています。
普段から白い・細い・過去が暗い・トラウマ持ち・戦闘狂・(ときどき)悪いやつみたいな美形キャラクターを好きになることが多く、しかし今回の某電鋸漫画では珍しく「お、たぶんこの子は根が陽キャだな? たいへんな生活をしてきたみたいではあるけどめちゃくちゃ元気だし、トラウマ持ちっぽくはないな! 安心して見てられるな!」というキャラクターを好きになり、安心しきった状態で読み進めていたわけです。
にもかかわらず、最後の最後でそのキャラクター自身も知らなかった激重超弩級トラウマが発掘されてしまい、自分に対して「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」という気持ちになりました。そろそろ安心してなんにも考えず推せるキャラを好きになりてえよ。なんでみんなこんなことになっちまうんだよ。なんでみんな一族を焼かれたり兄弟が目の前に降ってきたり親友を手にかけたり親を手にかけたりしちゃうんだ。あったかいもん食べてぬくぬく生きてくれよ。でもそんな過去に苦しみながらつよく生きていくきみが好きだよ。もうだめじゃこんなん。
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2021.06.28 MON
202日目です。VODサービスで、ずっと気になっていた『ブラザーズ・クエイ短編集Ⅰ』(2016年、イギリス)を観ました。第一集には「人工の夜景」(1979年)、「ヤン・シュヴァンクマイエルの部屋」(1984年)、「ギルガメッシュ叙事詩を大幅に偽装して縮小した、フナー・ラウスの局長のちょっとした歌、またはこの名付け難い小さなほうき」(1985年)が収録されています。邦題がおしゃれだなあ。なんか最後のやつ「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」みたいでかっこいいですよね。打ってるほうは誤字ってないか気が気じゃないですけどね。
VODサービスでの配信期限が迫っていたので、『ブラザーズ・クエイ短編集Ⅰ』を観ました。その名の通り、カルト的人気を誇る一卵性双生児のアニメーション作家・クエイ兄弟の短編作品を収めた作品集です。独特のフォルムをもつキャラクター、インパクトあるサウンドなど、短いながら見応えのある→ pic.twitter.com/rNLXNHcIYa
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 28, 2021
たしか数年前に都内の美術館かどこかでクエイ兄弟の展覧会かなにかが行われていて(情報があやふや過ぎんか?)、そのときクエイ兄弟の存在を知った記憶があります。そのときは機を逸してしまい展覧会には行けなかったので、なんとしても配信くらいは観たいと思い滑り込んだ次第です。全体で47分と短いですし、一編は10分強程度ですので、忙しい方も無理なく観られるかと思います。各種VODサービスで配信期限が迫っていますので気になる方はお早めにどうぞ。6月30日までのところが多いのかなと思います。いま思ったけどこれが人目に触れるときにはもう30日過ぎてる可能性あるな。宣伝のタイミングが最悪なんだよな。
キャラクターの造形の独創性についてはついったでも触れたのですが(筆者のフェティシズムには少なくとも深く深く突き刺さって抜けなくなりました)、ほかにも音楽・効果音も非常に耳に残ります。また光の表現についてもまるで実際の月や電灯の光を見ているようで(筆者は特に一作目で顕著に感じました)、監督らのこだわりをひしひしと感じました。現実から遠く離れたアーティスティックな世界にどっぷりと浸れる、とてもよい映像体験でした。
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2021.06.29 TUE
203日目です。鶏レバーと卵を炒めたものを肴に酒を浴びていたらいつのまにか意識を失って朝になっていました。そんなわけでこの文章は30日朝に書いています。不可抗力ということで許されたいです。
意識を失う直前まで、前日からの流れで『ブラザーズ・クエイ短編集Ⅱ』を観ていました。第2集には「ストリート・オブ・クロコダイル」(1986年)「失われた解剖室のリハーサル」(1987年)「スティル・ナハト-寸劇」(1988年)「スティル・ナハト2-私たちはまだ結婚しているのか?」(1992年)「スティル・ナハト3-ウィーンの森の物語」(1993年)「スティル・ナハト4-お前がいなければ間違えようがない」(1994年)が収録されています。ほんとタイトルお洒落だな。
『ブラザーズ・クエイ短編集Ⅱ』を観ました。クエイ兄弟のストップモーション・アニメの作品集第二弾です。第一弾よりも陰鬱な雰囲気の作品が収められている印象を受けます。画面も暗めだったり、モノクロだったりするものが多いので、明るいものなんて観たくない……という気分のときにおすすめです→ pic.twitter.com/NC9pjHM4OW
— 桐崎 鶉 (@za_dehanaku_sa) June 30, 2021
第1集よりはキャラクターの異形性は控えめな印象を受けますが、そのかわりセットや演出、音楽の独創性が段違いになったような印象を受けました。個人的には「ストリート・オブ・クロコダイル」がお気に入りです。型紙を鶏レバーに当てるんじゃないよ。なにがしたいんだよ! ほらべっちゃべちゃじゃん型紙!! と思いながら鶏レバーを食べていました。
なんとか配信終了までに滑り込めそうなので、第3集まで駆け抜けようと思います。楽しみです。また鶏レバー出てくるかな。
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