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メイドの手帖 最低賃金でトイレを掃除し「書くこと」で自らを救ったシングルマザーの物語【読書記録#15】

尊敬する友だちの勧めで読んだ本。記録していく。
今年の読書目標が、年間30冊なのでちょうど折り返し地点だ。


文章で自分を救うステファニー

この本は、これまで結構読んできた起業や事業開発とか、心理学とかとは全然系統が違う。実在するアメリカのシングルマザー、ステファニー・ランドの自叙伝だ。
シェルターに入居したこと、そこから引っ越したこと、その引っ越しを手伝ってくれた親(いわゆる毒親)に無理やり連れ出された外食費用が払えなかったこと、ステファニーの身に起きた日々の出来事が、淡々と綴られている。
それなのに、書きぶりは悲劇の"マイストーリー"を吐き出したような日記でなく、自分をすごく冷静に見つめた上で、淡々と、かつ情景が丁寧に描写されていて、不思議な感覚になった。日本語の副題にあるように、ステファニーにとっては、そうして波瀾万丈で苦しみを感じる出来事さえも、書く、という行為を通すことで、冷静さを保ち、自分の気持ちを癒やせていたのかもしれない。

誰も頼ることができない「シングルマザー」の実像

シングルマザーは誰も頼ることができなくて、子育ても仕事も自分の身一つでこなさなければいけない。さも当たり前のようなことだが、社会のミゾに一度落ちてしまうと、本当にそこから抜け出すのは難しいという社会システムがうまくいっていないところをステファニーの暮らしを読み進めると、突きつけられたような気分になった。

ハウスクリーニングの仕事は、休んだら給料がもらえない。小さな娘ミアは、熱を出す。熱があるとナーサリーに預けれない。だから、どうしようもなく、ぐったりした様子の娘に解熱剤を飲ませて、ナーサリーに預ける。そうして、ミアを育てるために、仕事をする。仕事をしている間、携帯の電波は届かないところにいるので、ミアの体調が悪化してナーサリーから電話がかかってきたとしても気付けない。当たり前にだから迎えに行くことなんてできない。ただただ、体調が悪化することなく、無事に仕事を終える時間が来ることを祈りながら、仕事をする。

書いていて、心が締め付けられる。でもそれがステファニーの現実なのだ。
「なんて母親だ」と言われるだろうということもステファニーはわかっている。それでもそうするしかない、という状況なのだ。

私たちが住むこの社会のシステムはどうあるべきか

この本は、ステファニーという一人の女性の手記から、そうした社会システムのおかしさを痛烈に私たちに訴えかける。もちろん、ステファニーに全く社会支援がなかったわけではない。例えば、食料品店などで、お金代わりに使える「フードスタンプ」という制度だったり、一時的に身を寄せられるシェルターなど、ステファニー自身もさまざまな制度を利用している。
でも、フードスタンプは、利用すると、店員やたまたま後ろに並んでいた他の客から、冷たい視線を向けられる。シェルターは、同じように追い詰められた人たちが暮らしており、ミアの成長にとって良い環境でない。どちらも、ないよりあったほうが断然良いし、それで暮らしは確実に救われているのだが、利用すると自分の尊厳が蝕まれていくような感覚になるのだ。
貧困シングルマザーだって、一人の人間である。でも、一人の人間であることを主張すると「贅沢だ」と言われる。私たちの社会は、それでいいのだろうか?

社会的弱者に誰もがなりうるからこそ

[出版社より] これは、書かれる可能性がほとんどなかった物語だということを、どうぞ忘れないでいてほしい。今まで多くの女性が語ることができずにいた、多くの物語があることも、どうか忘れないでほしい。

バーバラ・エーレンライクによる本書序文より

きっとこの本は、社会的に落ちぶれたことがない人が読んだら、ただただ主人公にイライラして終わるかもしれない。なぜこの人は自分の置かれた立場を自分で改善しようとしないのか、と。それができない、という状況が全く想像つかないのだろう。

私も主人公の暮らしや想いを全て想像できる訳ではないが、出産して子どもが生まれた途端、社会の弱者に自分が落ちていったような経験をしたからこそ、共感できるところがあった。

いつもと違う感じの読書記録になったけど、これも良い。普段読んでる本とテイストが違うから、結構読むのが大変だったけど、たまーにはこういうエッセイ的なものも読むと学びがあった。

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