世界の一流は「雑談」で何を話しているのか【読書記録#05】
本をまた1つ読んだので、記録していく。
「雑談があまりできなくて…」とこぼした時に、お勧めしてもらったもの。読みやすい文体でサラリと読めた。
雑談での自己開示が相手との距離を縮める
まず、日本人の雑談についての言及から本は始まる。著者はポーランド出身で日本でのビジネル歴も長い、ピョートル・フェリクス・グジバチ。日本と海外の雑談の違いについて、こう指摘する。
これは実感として、とてもよくわかる。「今日は暑いですね」なんて当たり障りのないやりとりが、毎日そこかしこで定型パターンとしてなされ(私も毎日使う)、そこに個人的であったりその瞬間ならでは情報は一切入っていない。それゆえ、ここから会話が膨らんだり、信頼関係が深まるわけがない。
私のママ友で、「関係性の距離を縮めるのが上手いな〜。素敵だな〜。」と思っている方がいる。この章を読んでいて、その方の雑談を思い返してみたら、毎回自己開示した話題を盛り込んでくれていることがわかった。
例えば、こんな感じ。
(いつもはすれ違わない時間にばったりあって)
私「あれ?おはよう〜!!!」
ママ友「おはよう〜!今日いつもの幼稚園がお休みで、前通ってた保育園で預かり保育なの〜!」
私「そうなの〜?〇〇ちゃん、久々に前のお友達と遊べるね〜^^」
ママ友「じゃ、いってきまーす!」
私「はーい!またねー!」
会話的には2~3往復程度のやりとりだが、「今日いつもと違う時間にいる理由」がサラリと開示されて、その後のキャッチボールも自然と生まれた。こういうやりとりが、会うごとに繰り返されるから、その人にとても親しみを感じていて、私はそういう関係を築ける力がとても素敵だと思っている。
まさに、これが実現されている。
では、明日から自己開示を頑張れば良いのかというと、そうではない。自己開示の前には「自己認識」が必要なのだ。自分が今何にワクワクしているのか、ドキドキしているのか、あるいは何を不安に感じているのか。そういったことを、はっきりと自分で認識できているからこそ、それを開示できるということなのだ。
ビジネスでの雑談も、本質はCtoC
では、ビジネスシーンではどうか。同じである。
雑談とは、目の前の一人の人間に、人間として向き合うことである。
少し違うことがあるとすれば、ビジネスの打ち合わせは、何らかの目的がある。
何のために会って、その時間を過ごすことで、お互いがどうなりたいのか。そのゴールを描いたときに、相応しい雑談をするためには、相手のことを事前に徹底的に調べ上げて、雑談にのぞむ必要があるとのこと。ここも含めて、「相手への無条件の肯定的関心」といことなのだろう。
社内での雑談は仕事にプラスの影響を与える
社内メンバーの雑談については、こんな調査結果が出ているそうだ。
心理的安全性が担保された職場はやはり最強なのだ。
そして、「なるほど、確かに」と思ったのがこのTIPS。
私たちは様々なバイアスにまみれている。
例えば、「定時でいつも帰るなんて、仕事にそこまでやる気がないんだろう」「あの人のお子さんは小さいから、あまり仕事を振るべきじゃないだろう」など。
もちろんその通りの場合も多くあるだろうが、そうじゃなかったなら、お互いが不幸だ。そこを、小さな雑談を日々積み重ねて、プライベートも含めたお互いのヒトトナリを解像度高くがわかっていれば、ザルのような解像度の一般的なバイアスで見る必要もなくなる。
上司からみた部下へのバイアスがあったとして、それを解消するのに、上司からカミュニケーションを図ることも大切だが、部下からのコミュニケーションも大切だ。それは、自分の身を守るためにも。
雑談が少ない関係性の場合、どうしてもマイクロマネジメントが発生しがちだそうだ。逆に、マイクロマネジメントを避けるには、オーバーコミニケーション(密な報告連絡相談)が有効だそう。
「あいつなら今頃」が想像できる部下であるべし、という感じ何だろな。
「生産性の高い」雑談をしよう
ただ、愚痴や不平不満は生産性のない雑談に留まってしまう。
目指すべきは、「生産性の高い」雑談である。実際に、海外では解決策を雑談の中から生み出している、とのこと。
この本を読むと、「雑談」にもっと深みを感じられるようになった。
色々工夫してみると、ちょっと毎日が変わりそう。
小さなことでもトライしてみようと思う。