うずまきあやたんの歴史③
みなさまごきげんようずまき。
うずまきアイドルです。
芸名は新宅マキですが、本名ずまきの柴田綾としてnoteをつらつら書いております。
今、苗字は吉田やけどな。
うずまきあやたんの歴史、書き出して行っております。
手芸好きな母はわたしに、編み物やミサンガなどいろいろな手芸を教えてくれました。
手先の器用な母。
父も負けておらずで、折り紙で小さな小さな人差し指の先にちょこんとなるほどの手裏剣を折ったり。
そんな父は、数年前、5年ほど前でしょうか、脳梗塞になりました。
ある日の朝歯磨きをしていたとき、ぽとっと歯ブラシを落とし、
「指が動かなくなった」と。
わたしと母は状況が飲み込めず、
明日病院に行ってみたら?
と軽い感じでした。
でも紛れもなくそれは脳梗塞の症状。
仕事から帰って来た弟が、状況を聞き、「すぐ救急車呼べ!」
診断は、言わずもがな。
あの時弟がすぐ救急車を呼んでくれていなかったら大変なことになっていました。
幸いリハビリを受けて、父は普通の生活ができるまでに戻りました。ギターは弾けなくなっちゃったけどね。
あの時きょうちゃんがすぐ救急車を呼んでくれたから、その経験があったから、
お母さんが倒れた時もすぐ救急車を呼べたんだよ。
お母さんが倒れた時も救急車を呼んでくれたのはきょうちゃんだったんだと、今でも思うよ。
きょうちゃんが自分で死を選んでから1ヶ月後のことだったけどね。
お父さんは、「きょうちゃんが、お母さんを連れていこうとしたんじゃないか」って言ってたけれど、それは違うよね。
助けてくれたんだよね。
母は脳出血でした。
母はリハビリをしましたが、手足の自由が利かず、ご飯も食べることができず、胃ろうで、目もちゃんと見えてないみたい。
今も車椅子も長時間座れません。
あんなに、お料理が好きで、手先が器用だった、母は今は自分で何もすることができません。
でも、あの時わたしが家に帰って来て、救急車を呼べなかったら、助かってなかったかもしれない。
SCUで、「うずまきのうたをうたって」と力を振り絞って言ってくれたこと。
わたしは忘れない。
わたしは歌い続ける。
生前弟が作ってくれた、
うずまきのInstagramアカウント。
「夢はホラー映画に出ること」とプロフィールに書いてくれたもの。
これも、たからもの。
みんなのことが大好きで、優しい心を持った弟の、あるはずだった未来、経験するはずだった幸せ、大変なことも生きていたらいくらでもある。
ねぇちゃんぜんぶひっくるめて、
2倍たのしみつくして
死ぬまで生き続けてやるからな。
明日も。
頑張ろうずまき。
最後まで読んでくださりありがとうずまき。