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うずまきの木

 4月末から5月の頭にかけては世間的には連休ということで、さらに、ここ数年コロナで遠出が難しかったということもあり、久々に友人や身内が、入れ替わりで複数組遊びに来てくれた。

 元々出不精な上に、ゴールデンウイークの前後ともなると、夏野菜の苗をたてたり、植え付け準備をしたりするのに忙しく、自分は山から動かずとも、友達の方からやって来てくれるのはありがたい。

 店をやっているので、人に会わない日はほとんどないとはいえ、街で生活していた時のように、ふらりと気軽に友達に会いに出かけたり、お酒を飲んだりできなくなっているのは残念だ。(山から出る手段がほぼ自家用車しかない)

 たまに街に出ても、移動先でいちいち駐車場所を探さなくてはいけないので、街をあてもなくブラつく、みたいなことからなんとなく遠のき、さらに年齢とともに、新しい場所を開拓する情熱も減退しているため、いつも同じ所をまわって、同じ人としゃべってかえって来ることになる。それも別に悪くはないけれど、本を選ぶ仕事をする上では、時々新しいピースを取り入れたり、これまでと違う回路に繋いだりもしておきたい。

 自分が出かけて行かなくとも、普段の営業で、お客さんとの対話から得られるものも多く、本のことに限らず、店にいながらにして、知らなかったことを知ることができるのは、店という場所を開いている最大の恩恵かもしれない。

 私は本来、知らない人と話すのは得意ではないのだけれど、店にいればお客さんと私の間には本がある。しかもその本というのは、私が読みたいと思って選んだものばかりなので、少なくともそのことについては、なにかしら話すことができると思う。

 売っているものが食べ物や、雑貨であっても、それらを介しての対話はあるのだけれど、お弁当を買ってお店の人と長話、というのはあまりない。第一、そんなことは店も客も望んでいないので、お金と商品の交換に終始することになる。むしろ、できるだけ人間とやりとりなく早く簡単に済ませたいと思う人の方が多いはずだ。

 ただ、そのように取引がスマート化されたその先にはまた、正反対のことを求めたりするのが人間ではないかと思う。遠くて、鈍くて、わかりにくいもの。多数派ではないけれど、そんなものをお求めの方がいて、奇跡の店うずまき舎は、半分沈みながらも9年、なんとかかんとか曳航中である。

 もっとお金があったらなぁ。というのは正直なところだけれど、そのためにバリバリ働く気もない。やりたくないことは、徹底してやりたくないのである。しかし、ただ本を読んで食っちゃ寝しておりたいということを望んでいる訳でもない。自分の居場所だけではなく、本が好きなお客さんや友達、いろんな生き物が寛げる場所を作って、みんながやってくるのを、その場所で待っていたい。そのためなら、ぐうたらな自分でも、割とがんばれる。

 おいしい実がなる木を植えたら、いろんな生き物が集まって、小さな生態系ができるみたいに、店を作りながらころがしていきたいと思う。今はまだ小さい木がいっぽんだけ。あまりおおきくしなくてもいいので、面白い生き物が集まる木にしたいと思っている。

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