本と本の間にあるもの
本を読むことで、他者の思考や感情の中に浸ったり、見たことのない風景をイメージしたりしながら、自分の座標をいろいろな場所や時代に持つことができます。読書中は物語に没頭していても、本を閉じた後は、物語は物語として、自分の外に置いておくこともできますが、一度その世界を知ってしまうと、それまでの自分とは考え方が変わってしまい、後戻りができなくなる、なんてこともあります。
人々が常識として認識しているものごとが、10年後、100年後の世界ではまったく間違いだったとして、ひっくり返されるようなことは、過去に何度も起こってきたことなのですが、自分が進行形の歴史の中に生きている状況で、認識が変化する瞬間を俯瞰してみるということは、なかなか難しいことかもなのかもしれません。
私がよい物語だな、と思うのは、読む人や時代によって、そこから受け取る感覚や、思い浮かべるものごとが、どんどん変化していくようなもので、そういう物語ならば、何度再読しても新しい印象を得られますし、大昔のものでも、古く感じることはありません。
本を読んでいて、そこに何か大切なことが書かれていると感じたとしても、その内容を要約して説明したりすることは、あまり意味がないし、そんなことをしてもつまらないと思っているので、本について自分が何か書く、ということには抵抗を持ってきました。ただ、ある本を読んで、別の本へ流れる水脈のようなものを見つけることが、とても楽しいので、それをなんとかして他の人にも見てもらいたくて、本棚という形に出力しています。
本と本の間にあるものは、とても複雑で、ほんとうは本棚に収めきれるようなものではありませんが、その複雑に絡まったモジャモジャの中に手を突っ込んで糸端を少し手前に引っ張ってくるのが私の仕事です。ただ私が指し示せるのは「そこに何かある」ということだけで、実際に何かを見つけられるかどうか、それがどんなものなのかということは、人によって、また同じ人でもタイミングによって違うのですから、何がどう出るかについては、実際、それぞれに読んでいただくしかないのです。
今何か、でかい渦の中にいて、錐揉みになっている私たちが手を伸ばしてつかめるのは蜘蛛の糸なのか、はたまたそのまま吸い込まれて消えてしまうのか。とはいえ、ほんじつも13時から。ご来店お待ちしております。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?