退却革命
前回の投稿で「やりたくないことをしない」ということについて、ちょっと書いたのですが、そのことに関しては「そんなこと言ってもな」なんて言いながら、やりたくないことを、ずっとやめられないでいる真面目な人たちもいるはずです。
はたして自分がやりたくないことをやめることで、どんなことが起こり、誰が困るのか?それはどうしてか?そんな因果を常に考えながら、行動している人って、一体全体どのくらいいるのでしょうか。仕事としては、とにかく命令通りにしろ!などと言われがちで、命令通りにしたほうが、良いコマとして評価されるので、あえてものごとを深く考えない人が増えてきたのかもしれません。だいたいみんな忙しすぎるのです。
ほんとうの仕事
やりたくないことをやらないと、無責任だと非難されそうですが、コロナでいろんな仕事が止まった時、ほんとうに必要とされている仕事は、実はそんなに多くなかったのだということがバレてしまいました。しかも、切実に必要だとわかった仕事の方が、そうでもない仕事よりも賃金が安かったり、労働環境が過酷だったりしたのです。
切実に必要とされている仕事をしていると、自分が役に立っているという実感は得られやすいのですが、労働負荷が大きかったり、評価が低すぎたりすると、たとえ多くの人に感謝されたとしても辛くなってきます。いくら張り合いがあっても、こういう状況なら、人助けになることすら「やりたくないこと」に分類されることになります。最近よく聞く「自己責任論」も世の中の多くの人が疲れていることで、盛り上がってきた論調だと思います。
犠牲は前提?
この国の人は、昔から自己犠牲を美化する傾向があるというか、よく考えるとかの有名な忠臣蔵なんかも、相当にヒドいと思うのですが、今の自分が理不尽に耐えることによって、今後待遇が改善されることはなく、続くのちの人々も搾取され続けるのだということには、意識が向かないようです。自分さえ我慢すれば、なんて、実は後続にとって迷惑でしかない。理不尽と断ち切るのは今、その場に生きている自分しかいない、ぐらいの意気込みでひとつ。
ストライキやデモに対して、同じ労働者の立場の人が、応援するどころか、敵意を見せて非難したりするのは、その人たちがよほど疲れているのでしょうが、従順な家畜だと飼い主から褒められたとして、抵抗した家畜と同じように殺されて食べられる将来は変わらないので、なんだか地獄味が増してきます。
何も暴力に訴えることばかりが革命だというのではないので、追い詰められて、いよいよキレてしまう前に、まずは逃げる、辞めるという革命を先にお試しいただければと思います。
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