ノリコ✕参観
ぼくの住む町は現在進行形住宅地であるようで、少し目を離すと町の風景が変化している。古くなった建物は壊され、新しい建物が建つ。空き地だった場所に新しい建物が建つ。
多くの思いが集まっている場所なんだとつくづく思う。
変わりゆく街並みを見ているのも楽しいけえれど、変わらぬ風景もまた、感慨深く素晴らしいものだとぼくは思う。
はじめに
授業参観と言うものに記憶がない。全くない。一生懸命思い出してはみるものの、欠片も脳裏に浮かばない。
ノリコは嬉しい思い出として刻まれているらしい。
親に授業を受ける自分を観られる、声を掛けられる、手なんか振ったりしたのかもしれない。
そう言われれば、とてもよい行事に思えてくる。
息子の参観
息子の参観にはこの9年間夫婦揃って参観している。
たとえ平日であろうと、喜び勇んで休暇を取り学校に赴いた。
年を追うごとに息子の態度は素っ気なくはなって行くのだが、軽く手を挙げてくれたり、肩を組んでも嫌がったりはしない。
ちょくちょく息子の友達とも交流したりしているので、ぼくの存在は比較的クラスでも抵抗無く受け入れられている気がしている。
ノリコはと言うと、クラスでも人気上位の母親らしい。綺麗で面白いお母さんという評価を得ているようだ。
物言いが子供目線であるし、その子のいい所をズバリ伝えるので、好かれるのも十分解る。
俺の仕事
実の所、授業風景自体にはそれほど興味はない。
勇ましく手を上げ、自分の意見を言う姿はとても素敵な光景ではあるのだが、40分程の授業を集中力を持って聞いていられるかと言うとそうはいかない。退屈なのである。
教室を見回してみたり、廊下を歩いてみる。
こう言った作品に出会える。
ぼくは「仮面ライダー2号」を仕事にしたいのかと思ったけれども、「サラリーマン」らしい。
最後に
人にはそれぞれの生活が当然にある。
息子の人生が垣間見えるのはほんの一部であり、何を思ってその時間を過ごしている等は知る由もない。
授業参観は垣間見える息子の生活の一部であり、一緒にお風呂に入り、あの時はどうだったか等の答え合わせをする機会を与えてくれる、結構有意義なものだったりする。
帰りは皆で食事でもと思ったりしたのだが、見事に振られることになる。
(ノД`)・゜・。
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