ノーマライゼーション、ってなんだ?
1. きっかけ
「ノーマライゼーション、って聞いたことありますか?」
ある日の昼下がり、電話をくれたO君は唐突に自分に聞いてきた。
ノーマライゼーション?なんだ、それ?
高い志があるわけでもなく、社会的課題を常に考えて生活するタイプでもない自分は、ノーマライゼーションという言葉を聞いたことがなかった。
「今度、北海道の〇〇(施設等の特定を防ぐため、まちの名前は伏せています)でイベントあるじゃないですか?実は、〇〇って日本で最初にノーマライゼーションを提唱したまちなんですよ。せっかくだから、イベントに出席するついでに、ノーマライゼーションの中心となった施設を訪問して、色々聞いてみませんか?」
うーん、やっぱりなんのことだか分からなかったが、北海道に行ったことがなく、イベント出席、そして、ノーマライゼーションなるものを学びにいくという理由を付ければ、家族の同意も得やすいと思い、北海道へ行くことにした。
ちなみに、自分に電話をしてきたO君は、ドタキャンで北海道には来なかった…
2. ノーマライゼーションとは?
wikipediaによると、ノーマライゼーション(normalization)とは、
「1950年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つで、障害者も、健常者と同様の生活が出来る様に支援するべき、という考え方である。また、そこから発展して、障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方としても使われることがある。」
とのこと。
個人的な理解としては、ハンディキャップを持っている人もハンディキャップを持っていない人と同じように共に生活する社会を目指すもの、そんなことだろうと思っている。
ものすごい素晴らしい理念だ、と一瞬にして思った。そして、それを実現しているまちが北海道にある。それは、行く価値がある。
この時点で、自分は自分の知らない世界を知ることができる期待で胸がいっぱいだった。そして、その甘い考えが北海道の地で打ち砕かれることをこの時は知るよしもなかった…。
3. 北海道の地で
ノーマライゼーションの中心となっているのは、ある施設。この施設へ、O君とは違う友人と二人で訪れた。
当日、施設の方が自分たち二人を案内してくれ、早速会議室で施設について、そして、ノーマライゼーションについて説明をしてくれた。
一番興味深かったのは、施設の入所者の推移。入所者が増えるということは、施設に入るハンディキャップを持った人が増えることを意味し、減るということは、基本的に施設で様々な技能を学んだ人がまちへ戻り、ハンディキャップの無い人たちと共に生活を行うこと、つまり、ノーマライゼーションの目的を達成したことを意味する。
この推移を見ると、大きく入所者が減った時期が3つあった。直感的には、まちで生活する人が増えていることを意味するので、3つも大きく入所者が減った時期があって「すごいなっ!」といった感想。そして、その3つの入所者の減少の理由を聞いた。
最初の減少は、まさに施設の設立目的を達成したことによる減少、すなわち、施設の入所者が施設で様々な技能を習得し、卒業していったことが理由となっている。(素晴らしいっ!)
2つ目の減少は、もっと社会の明るい可能性を感じるもので、ハンディキャップを持つ人々をサポートする法律や仕組みが充実したことにより、ハンディキャップが無い人たちとの生活がよりしやすくなった事が大きな要因となっている。(自分たちの住む社会は、より良い方向に向かっていて、素晴らしいっ!)
そして、最後の減少理由、自分は説明を受ける前に2つ目の減少理由に少し感動していたため、目を輝かせて説明を待っていた。でも、目の前に座っている施設の方の顔は、全く明るくない。どうした?
「実は、最後の減少理由は、今までの2つのものとは違うんです…」
お話を聞いて、自分の甘い期待は一気に砕け散った。
実は、この最後の減少は最近のもので、日本の財政問題と深く関係している。2つ目の理由にあるとおり、ハンディキャップを持つ人たちへのサポートは、法律面も含め充実していった。
でも、これは当然財政的な裏付けがなければ続くものではなく、日本のバブルが弾けてからは、様々な社会保障が削減されていった。そして、ノーマライゼーションを取り巻くサポート体制も、例外ではなかった。
このような背景から、いつしかノーマライゼーションへの支援は、ノーマライゼーションの目的を達成していることが支援の条件となっていき、その支援を得るためには、施設の入所者が必要な規模だけ卒業していることが具体的な条件となってしまった。
そして、現場で起きたことは、施設の維持、それは、決して施設の存続を目的としたものではなく、施設の入所者、特に、重いハンディキャップを持っているために、施設を卒業することがかなり難しい人たちが施設に居続けることを守るため、本来であればまだ卒業できない可能性がある入所者を政策的に卒業させ、補助金等のサポート(支援)条件をクリアしていった。
その説明をしてくれた施設の方は、本当に苦しそうに説明をしてくれた。そして、能天気に素晴らしい社会を夢みていた自分は、自らを恥じることになった。
4. 施設見学
「施設、そして、ノーマライゼーションの説明は以上です。この後、施設内を案内することが出来ますが、どうされますか?」
?
全く、施設内を見学させてもらうことを考えていなかった。それはそうだろう、そういう流れだろう。
心の準備をしていなかったが、神奈川からわざわざ施設を訪問し、見学の提案をもらったのに、断れるわけがない。
「は、はい、是非お願いします。」
さっきの最後の入所者の減少理由でも触れたが、実は様々なサポート体制の充実や政策的な卒業(退所)により、現時点で施設に入所している人たちはかなり重いハンディキャップを持っている。
ところで、自分はハンディキャップを持っている人に対して、今までの人生で抵抗感を持ったことはない。これは、自信を持って言える。だから、その時も、施設を見学するのも、絶対に良い経験になる、くらいにしか考えていなかった。
でも、2つの扉により厳重に外部と隔離された建物に入った時、自分の思い上がりを思い知らされることになった。
自分がその扉の向こうで見た世界は、自分の全く知らない世界。そこで見たもの、起きたことをここで書くことはないが、大袈裟な意味ではなく、本当に感じた「恐怖」、そして、全身にずっと鳥肌が立っていた。
「恐怖」と言っても、それは命の危険を感じる「恐怖」ではなく、未知のものに対する、そして、決して理解できるとは思えないことからくる「恐怖」。
とにかく、その「恐怖」を感じている自分にも驚き、ただ立ちすくむだけだった。
でも、その建物の中には、施設の方々が働いており、入所者の生活を日々支えている。
「最近、求人募集しても、全然人が来てくれないんですよね…。」
施設の方が、自分たちにポツリと漏らした言葉は、その時自分の心を強く締め付けた。
5. 希望の光
施設見学で自分が見た光景は、今までの自分の人生で想像もしていなかったもので、衝撃を受けると共に、この現実を知らずに理想を夢見ていた自分の無知を痛いほど思い知らされるものだった。
また、見学の途中で施設の方に質問した「日本全国から入所者の方々が来られているようですが、入所者の方々のご家族は、よく施設に来られるんですか?」という問いに、
「いえ、入所後にほとんど施設を訪れるご家族はいません…。」
という回答にも、少なからず心が締め付けられた。
これは、ご家族の方々を責めているわけではない。既に施設を見学させて頂いたことで、自分の無知を思い知らされた自分は、施設を訪れることが少ないご家族のお気持ちを既に想像することすら許されていないのだと感じたからだ。
自分は何も分かっていない。
施設を後にする頃には、今の自分ではノーマライゼーションが達成された社会を想像することすら出来ず、その方法すらも見当がつかなかった。
翌日は、もう一つの目的、イベントに参加し、帰りは地元の人に空港まで車で送ってもらった。
その車中、自分は横に座ってくれた地元の若い男性に、前日に施設を訪問したことを話した。もちろん、そこで分かった自分の無知も伝え、その上で、ずっと気になっていたことを聞いた。
「このまちは、ノーマライゼーションで有名だと思うんですが、ハンディキャップを持った人たちが普通に皆さんと一緒にまちで生活しているですか?」
「ノーマライゼーション?なんですか、それ?でも、ハンディキャップを持った人も、普通にまちの中で生活されていますよ。」
「それって、特に違和感はないんですか?」
「う〜ん、小さい頃からそんな環境なので、特に気にならないです。」
自分は、その言葉であることに気がついた。
前日に施設見学をさせてもらい、そこで感じた「恐怖」。それは、知らないこと、自分では理解出来ないことに対する「恐怖」だった。でも、もしその状況に時間をかけて慣れていったら、果たして「恐怖」を感じるんだろうか?
そうだ、このまちだって、今までまちの中で何も摩擦がなかったわけではないはずだ。誰だって、自分が知らないもの、理解出来ないものに対しては、強い抵抗感があるはずだ。
でも、その摩擦を我慢強く、目指す理想を叶えるために、長い時間の中で人々は理解し合い、お互い歩み寄り、溝を少しずつ埋めていったんだと思う。そして、自分の横に座ってくれた若者のような人がこのまちの中で育っていくんだろう。
自分は、今でも無知な存在だと思っている。でも、北海道の地で見た若者を通して、ノーマライゼーションの可能性を見ることができ、まだまだ自分の生きる社会の希望を見つけたと思っている。
岸田奈美さんもnoteに書いているが、3月21日は「世界ダウン症の日」だといういう。自分たちの世界は、まだまだハンディキャップを持つ人たちには住みにくい世界だと思うし、その世界を作っているのは、ハンディキャップを持たない人たちなのかもしれない。
でも、知ることから始めて、決して諦めなければ、時間はかかるかもしれないけど、少しずつかもしれないけれど、世界はみんなにとって暮らしやすいものになっていくと信じている。
一方で、それは決して何かを押し付けるものであってはならない。当事者しか分からないこともある。だから、「暮らしやすい」というのは、理想の形を目指しながらも、それぞれの判断を尊重していくことなのかもしれない。そして、時間もかかると思う。
決して簡単なことではないけれど、自分も今から出来ることを続けていきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?