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#060オシャレな人はエピソードトークが上手い

オシャレな人は聞かせるエピソードトークができると思います。

なんでそうなるねんと思われるでしょう。
ではそもそもオシャレな人ってどんな人でしょうか?
コーディネートが決まってる人
服をたくさん持っている人
トレンドに敏感な人
↑これらの要素もあるとは思いますが筆者はアイテムにこだわりを持っている人だと思っています。
こだわりがあるということはそのアイテムを手に入れた経緯、使っていた時に起きたこと、それじゃ無いといけない理由などエピソードに事欠かないのではないでしょうか。

筆者はそんな人がオシャレだと信じてアイテムにこだわりを詰め込んでいるからこのnoteで持っているアイテムについて記事を書いたり動画で喋ったりしているわけです。

面白いかどうかは受け取った人に委ねる部分ではありますが筆者には長文を書いたり、長尺で喋れる他のジャンルは現時点ありません。

なのでオシャレな人は自分の身につけているモノの聞かせるエピソードトークができる人だと思います。

オシャレな人は少数派ってだけでは決まらない

同意してくれる人がいるかわかりませんが筆者が『あの人オシャレやなぁ』って思わず口にしてしまうシチュエーションって素敵なコーディネートを見た時ではなく、紳士が修理から返ってきた靴を受け取っている場面です。
(ボルサリーノの帽子やフォックスアンブレラの傘もいいですね)

そもそもこのモノが溢れて取っ替え引っ替えできる現代にアイテムを修理してまで使ったことのある人がどれだけいるでしょう。
この記事を読んでくれているような方はおそらくあると思いますが全人口に比べたら少数派でしょう。

YouTubeでも活躍されているファッションプロデューサーのMBさんはオシャレとは客観性のある差別化だと言っています。
理解できる範囲で大衆と違う行動を取るというまさにマイノリティ、少数派な人のことを指しているのでモノが溢れる現代で修理をしてまで一つのアイテムを使い続ける人はその条件を満たして当てはまると思います。

ではもし仮に修理してまで一つのアイテムを使い続ける人がマジョリティ、多数派だった場合にモノを取っ替え引っ替え使い捨てる少数派の人のことをオシャレだと感じますか?

価値観ですから本当にそんな世界にならないとリアルに想像はできないと思いますが筆者個人はノーですし、むしろそれがオシャレになるなら筆者はその世界ではオシャレじゃなくていいです。
ここは筆者と同じくそう思わないという人が多くあって欲しいと願います。
そうであればオシャレとは差別化されている人ではなくてアイテムを大事に使い続けている人のことだという証になるのではないでしょうか。

オシャレな人が修理してまで使い続ける理由

ではなぜオシャレな人は修理してまでアイテムを使い続けるのでしょうか。
筆者はもうそれの代わりはない、それじゃ無いとダメだと自分の基準でわかっているからじゃないかと仮説をたてています。

ただ代わりはないというのは簡単じゃなく、これで良いやと無思考に陥いるのではなく常にニューチャレンジャーである新しいモノと比較検討、自問自答を繰り返し軍配を上げ続けている人だけが言えることだと思います。

それじゃないとダメっていうのも同じく簡単じゃなく、一回手放したりしばらく視界に入れなかったけど戻ってきたぐらいのことがあった人にしか言えないのではないでしょうか。

そりゃエピソードもモリモリ増えていくでしょう。
そんな人になりたいと思います。

まず人生でそんなモノにいくつも巡り会えること自体幸運でそんなにバンバン出会えるモノでもありません。
筆者だってまだまだ一生モノと思ったモノをバンバン手放したり入れ替えたりしてます。

「オシャレ」と「ファッション」の違いについての筆者の考え

こう書いていくと経験のない若い人はオシャレじゃないのかと言われそうですが若い時はこの経験を積んでいる最中でそれを筆者は「ファッション」と言うのではないかと思うのです。
そして年を取って「オシャレ」に行くのかはたまた「ファッション」に居座り楽しむのかを選ぶのが「個性」なのだとも思います。
つまり「オシャレ」への過程に「ファッション」があるという考えですね。

まとめ

ここまでツラツラと書いてきたことはあくまで全て筆者の考えなので異論も認めます。

オシャレと思っている人のエピソードトークが面白くなかったとしたらそれはその人がまだオシャレではないだけなんで決して筆者にクレームは入れないでください。笑

長々とお付き合いありがとうございました。

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