2.ブラックアウト
「ユウリ、オレと付き合って貰えませんか」
私に覆い被さってぐちゃぐちゃの泣き笑いみたいな顔をしながら首を絞めているキバナさんを、ボーッと見つめながらふと告白された時の事を思い出した。
丁度今みたいに震えながら耳まで赤くて、それでもまっすぐ私を視界から捉えて離さなかった彼。
殴打するみたいなピストンは私を壊そうとしているみたい。
一体いつからこうなったんだっけ。
どうしてこうなんだっけ。
始まりは、いつだったっけ。
いつの間にか意識は身体から離れていたようで、気付くとカーテンの隙間から少しだけ白んだ水色が覗いた。
服が着せられている。
時間を確認しようとすると身体の至る所が悲鳴をあげたので、これは後で鏡を見るのが怖い。
キバナさんが入り浸っている私の部屋の寝室にはどんよりとした倦怠感の膜が張っているみたいで、マメパトの朝を告げる音色と、キバナさんのすすり泣く声が響いていた。
「.....っ」
名前を呼ぼうとしたんだけれど声にならず、微かに呻き声だけが漏れた。
それに気付いたベッドに腰掛ける小さな背中が勢い良く振り向いて、泣き腫らした様子の彼が子供みたいな顔で怯えながら私を覗き込んだ。
「ユウ、リ、ごめん、ごめん、ごめんな、オレ、ほんとに、ごめ、ん」
良かった、いつものキバナさんに戻ったみたい。
自分の腕を抱え込んでうずくまる彼の吐息は安定しなくて、きっとまた過呼吸になってしまったんだろう。
「ん....っ」
軋む身体を無理矢理に起こして、なるべくゆっくりキバナさんを抱きしめた。
謝罪を吐き出し続ける彼は、私より一回り以上も体格が大きいのにやけに頼りなく感じる。
私と同じシャンプーの香りが近くなって、艶やかな黒髪に鼻を埋め静かに指を通すと、少しずつ彼の呼吸も謝罪も落ち着いてきた。
綺麗な彼の髪に、赤黒い雫が溢れてしまったので、後で一緒にお風呂に入ろう。
今日はひときわ染みるんだろうなぁなんて、少しだけ苦笑い。
「ユウリ、すきだ、好き、愛してる。捨てないで、居なくならないで、お願いだ、お願い。」
私に縋り付く腕を受け入れ抱き返し、身を任せると空気が変わって、いつも通りの優しいキバナさんとお互いの存在を確かめるみたいに身体を重ねた。
「大丈夫、居なくなりませんよ。
キバナさん、愛してますよ。」
ご機嫌に私の髪をドライヤーで乾かすキバナさんに背中を向けたまま小さく呟くと、彼は温風を止め、目尻の下がった透き通る瞳を細めて、人懐っこい微笑みで軽く首を傾げた。
「ん?ごめんユウリ、聞こえなかった。なんか言ったか?」
「なーんにも?」
イタズラにそう伝えたら、すごく楽しそうに更に笑って
「オレも愛してる」
と優しいキスをされた。
「...っ聞こえてるんじゃないですか。
キバナさんいじわる....っ」
あぁすごく、幸せだ。
痛みなんて消えて無くなるくらい幸福で、もう他には何にも要らないとすら思える。
キバナさんは可愛い。
子どものように真っ直ぐで、素直で、それでいて努力家で、自分の目標に向かって一生懸命頑張れる力を持っている。
誰に対しても優しくて、私には勿体無いくらい本当に素敵な人。
チャレンジャー時代に初めて会ってバトルをして、話した時からずっと、私は彼に囚われ続けている。
もう、死んでもいい。
想い続けたキバナさんに告白を受けた時に、なんの脚色も微塵の過大もなく本気でそう思った。
その後どれだけ傷付けられようと彼に対しての恋慕は何一つ変わる事は無かった。
この関係を正しいとは思わないけれど、彼を失えばきっと、私は永遠に何処にも行けなくなってしまう。
本当は臆病で、弱くて、承認欲求が強くて、常に劣等感に潰されそうで、私のチャンピオンという立場に死ぬほど嫉妬していて、感情の折り合いが付けられなくて私を殴る。
それでも私の事が好きで、加えて私の愛情を確かめたくて浮気をする。
そんな彼が、たまらなく好きなのはきっと、自己防衛本能なのかもしれないけれど、彼の内面を私しか知らないという少しの優越感と、彼の存在があるからそれでいい。
付けてくれた傷も、それで傷付く彼も、向けてくれる依存も、痛みも苦しみも。
全部が愛しい。
「ユウリ、メニュー上下逆さま」
「.......えっ、あっ!
うわぁ、しんどい、見なかったことにしてマリィ.....」
「ウンナニモミテナイヨ」
「棒読みすぎるよぉ....」
ナックルシティに新しく開店したマラサダ専門店にやっと予約が出来てマリィと食べに来た。
チャレンジャー時代、同期だったマリィとはもう6年以上の付き合いだ。
現在はスパイクタウンのジムリーダーとして活躍している彼女は、知り合った当時と比べ可愛い系から綺麗系に華麗に進化した。同い年なのに溢れ出る色気の正体はなんなのか。
どうやったらシャツとジーンズでそんな風になれるのだろうか。
相変わらず笑うのは少し苦手みたいだけれど、どんな時でも傍に居てくれたかけがえの無い親友である。
「どうせキバナさんの事考えてたでしょ」
メニューを見たまま簡単そうに思考を当てられた。
「いやぁ、あはは」
そんなに分かりやすいのか私。
「ユウリはすぐ顔に出るけん。簡単に分かるよ」
「あっ久しぶりに方言聞いた。その不意打ちずるい可愛い」
私がそういうとマリィは一瞬視線を上げ、少し頬を赤らめて唇を軽く結んだ。
なるほど、そういう仕草がその美しさを引き立てる秘訣なんですね先生。
「実はねキバナさんもマラサダ食べたいって言ってて、3人で行くにしてもやっと予約取れた今日は、ジムの方でどうしても仕事があるからって朝すごい悲しそうに家出ててさ」
キバナさんのジム意外と近くにあるからちょっと気になっちゃって。
「あの人アローラ好きそうだもんね、色黒いし」
肌が黒いのは関係ないんじゃないかなと思ったけど、つい面白くて笑ってしまった。
笑った私を見てマリィも少しだけ目を細める。
「チャンピオン権限でテイクアウトさせて貰えばいいんじゃない」
「んな無茶な、」
「ユウリはもう少し驕ってもいいと思うけどな」
「職権乱用だよ〜。それに、私がチャンピオンで居られてるのは皆のおかげだし」
「謙虚だね」
「マリィが居てくれてるのもすっごい心強いんだからね??」
「はいはい。そう思うなら次からはバトル気をつけて。顔、悪化しそうならちゃんと病院も行って」
「はぁい、ありがと」
私に対して限りなく優しいマリィは私の怪我の理由について何も言わない。
私にも、キバナさんにも、きっと誰にも何も言っていない。
マリィは多分、マリィが気付いていることに私が気付いてないと思ってる。
いつもお互いに核心に触れるのは避けて、辻褄を合わせて話す。
私にとっては都合が良いけれど、どうしてマリィが合わせてくれるのかは分からない。
きっと優しいから。きっと誰よりも私を理解してくれているからだと、私は思う。
自分の感情を隠して、弱音も悲しみも騙して飲み込んでいたら、何がなんだか分からなくなってきてしまった。
最近、上手く笑顔を作る事が難しい。
笑うって、どうすれば良いんだっけか。
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