まともな人はtwitterやめてる。
まずは謝ろうと思います。まともな人なんてこの世にはいないにも関わらず、ちょっと煽るようなタイトルをつけてしまいました。そう感じたからです。
さて最近、池田さんがツイッターを引退し、Instagramに発信の場を絞る事を発表していました。
私自身はtwitterをしばしば覗いて、色んな人のつぶやきで楽しませてもらっている立場でございます。フォロー数約120、フォロワー数0です。
そのくらいの立ち位置からすると、Twitterはそんなに面白いツールではありません。そもそも発信しないという時点でTwitterの良さの8割はなくなっていますし。
しかし、日々刻々と入れ替わるトレンドを眺めているのは良い時間つぶしになりますし、同時にどういった関心事がどのくらいの規模感で話題になっているのかが数値化されているので勉強になることも多いです。知らない世界が多いことを私に教えてくれています。
言わずもがなですが、Twitterの世界では、名のある教授や専門家が情報発信してくれたり、情報収集のツールとしても有意義な面があると思います。
しかし、どうしても目についてくるのが、炎上や誹謗中傷です。頭のおかしい人を見るのは正直面白い。いじめを見るのも、度がすぎず、そもそも鼻につく人が叩かれると胸がすっとするときもある。しかし同時にそう感じる自分に腹がたつ。それを見ている自分に耐えられず、そんなもので楽しもうという意地の悪い心根に毒されることも多いです。
Twitterで人との交流のない自分ですらそんななのだから、いわんや大勢から見られ、なんやかんやと口さがない事を言われる池田さんをや、なのだろうと推測しました。
さて、サービスとしてのTwitterって個人的なつぶやきを人に見せて楽しむ、人のつぶやきを見て楽しむものなんですよね。当初はそのように聞いていましたし、Twitterというものを皆が知っている今でも、どこまでいってもそうなんだと思います。
Twitterに必要以上に入れ込んでしまう人々がいて、そこで新たな社会が形成されてと感じます。でもやっぱりTwitterの住人は140文字しかしゃべれない、不完全な人間です。対面で喋ればもっともっと情報があって、表情や仕草、立ち居振る舞いからその人のしゃべる言葉の内容を捉える事ができるのですが、そんなことしないというのがTwitterの遊び方なんですよね。
それをしばしば忘れて、感情を動かされます。そのためにTwitterをついやってしまいます。
私から見ると、Twitterは「人がつぶやいていることを見て単純に楽しもう。あの人はそんな事思っているんだ。今日はなんか不運だね。」とかそんくらいで遊べる人よりも、「ヒステリックに、意地悪に、上から目線な、野次馬根性や、勘違いした正義感のある人々」が沢山目につく世界です。
そういう人たちが現実でマジョリティをつくることはあまりありません。人間界ではそんな振る舞いしたらリアルなマジョリティに嫌われます。
ここで名前を出すのは失礼ですが、たとえばいつも上から目線を隠そうとしないホリエモンはあのキャラのまま信者のいない場所にいたらきっと嫌われるだろうと皆が思いますよね。
しかしTwitterでは発言の強さや、発言の量などでパット見マジョリティになりえるのだと思います。
そういえば、もう4割の人は忘れたと思いますが、黒川雀士の炎上に際して、政治的主張をタグで拡散するというのが流行りました。それが世論のように現れたために、マスメディアだと思われていたテレビなどがそれを後追いしていました。相変わらずワイドショーはオワってました、余談ですが。
一連のトレンドは国を良くしたい、このままではいけない、という気持ちが沢山の人の心に表出したとも思えましたが、その手法自体はTwitterでその後も流行って何かがあるとトレンドで主張するような風潮ができていました。
私自身は左派と右派の断絶を突きつけられるかのようなそのトレンドには正直嫌気がしました。
したいのは自己主張だけで、どうやったら良くなると思う、こうやったらどうだろう、今わかっているのはここまでで、ここからどうなっていくんだろう。こんな小学生でもできる建設的な議論がなされないのが、そういう問題について語る時のTwitterの多数派だと感じています。
もちろん、もちろん、Twitterでとても有意義な事が沢山行われていることも、そもそも有意義である必要も世界なのです。
しかし、声を大きくして言いたい、TwitterはTwitterにすぎません。ごとき、の存在にする事は容易です。アカウント消すなんて3分です。
池田さんがTwitterをやめたので、私の好きな人々はほとんどTwitterから消えてしまいました。私はBishがTwitterをやめたらきっとTwitterをやめると思います。どうでもいい事ですが。
Twitterが日本人の暗くてネチネチした部分にフィットしているのはきっと間違いなくて、私もそれでずいぶんと楽しませてもらって来ているけれど、そういう場面でまともな事を言う大人の多くはTwitterをやっていないんだよ、ということを改めて感じる。
でも苛ついてきた人もいるだろうから趣旨を明確にしておきたい。
Twitterをやっている人を否定したくてこれを書いているわけではありません。
Twitterをやっていない大人って沢山いて、自分たちの現実の目の前にいるニンゲンから何も学べないのならば、Twitterでなんかそれっぽいことを言っている人の意見なんて聞くべきじゃない。そう思ったことを文章に起こしました。
140文字の縛りはつまり大喜利の一つのジャンルと同じ。140文字で何か面白いことを言ってください。意味のある、人が興味を持ちそうなことを言ってください。そういう部分で戦っている人の言葉を真剣に受け取らなくていい。140文字で文句いってくるようなやつなんてガン無視でいい。道端のゴミより価値がない文字情報にすぎない。
140文字の世界では、自分の生活を切り取っている人、自分が興味のあることをつぶやく人々を観察するのが一番たしかだと思う。そういう人々のつぶやきは真剣に受け取っても良いと思う。
そんなことを思った。結局まともな大人もTwitterやっているし、まともな大人もまともじゃないから、なんとも言えないし、そもそも書いている私自身がまともの風上に置けないから、この文章もやはり意味が良く分からないものに仕上がった。
とりあえずまとまらなくなって来たので、池田エライザさんのInstagramを是非。
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