歩きタバコを異様に嫌うひとびと
最近歩きタバコを異様に嫌う人々を見かけることが増えた気がする。ネット上で。
歩きタバコに対する嫌悪感についてはある程度理解できる。
という前提で、少し感じる違和感について書きたい。
確かに、タバコの副流煙は体に悪いらしい。しかしそこで問題になっているのは、日常的に、部屋や仕事場で自分が吸いもしないタバコの煙にさらされ続けなければいけない人々の体である。
換気どころか空気の充満する屋外で歩きタバコに出会ったくらいで、人格全てを否定する勢いでそれを批判する人はやはり行き過ぎではないのだろうか。
車の排気ガスや、エアコンのガス、自分に利のある煙には何も言わず、何も思わない。
それなのに、いざ世間でタバコを吸う人が少数派になり、全体的にタバコっていやよねえ、というムードが出てきてから、あたかも自分が正義であるかのように歩きタバコを糾弾する人は結局弱い者いじめをしている人と何も変わらないのではないだろうか。
そう考えていくと、あらゆる正論はつまるところ弱い者いじめと変わらない気がしてくる。こうして私が書いている文章も、歩きタバコを指摘する人を指摘しているわけで、同じ構図だ。弱い者いじめをしている人を弱い者いじめしている。心のなかで。
人に指摘する、人に注意するべきなのはその人のためになることであるべきで、自分が気に障るからではない。大切なのはそういう認識なのだろうと思う。
だから私は結局のところ、歩きタバコをしている人に対しても、それを指摘する人に対しても何も言うべきではないのだろう。私は私の事を行い、自分の正しいと思うように行う。自分が責任をもって相手に指摘をしたいと思える人にだけ、何かを注意する。
そういう姿勢で日々暮らしたい。なんのこっちゃ。