ちょっと頭のいい若者ってつまらない。「アホの価値」について。
大好きなYoutuberの「アホになれ」という動画。
今の自分にとても響く内容だった。
欲を言えば、もっと早く、
女ラクに入ってすぐとかに、出会いたかった。
サムネだいすき。
コメント欄がこれまた、とてもためになる。言語化に。↓
大学生活4年間、体育会の女子ラクロス部でやってきた自分は、ずっと心のどこかで
「本当にこの道(大学生活ラクロスに捧げる)でいいのだろうか?」
「ラクロスって一体何がおもしろいんだ?」
「これって何のためにやってるんだろう?」
と、一歩引いて、変に頭のいい?(これを”頭のいい”って表現するのかどうかはわからないけど)、言い訳みたいなことをずっと考えていて、
結局目の前の出来事を楽しめていなかった。
プライドの高さ、行動できない弱さ、を
正論リアリスト、小賢しい自分、で庇っていたのだろうなと今なら思う。
なんてつまらなくてダサい人間だ。
時に、一歩引いてメタ認知とかいうやつをすることは大事かもしれないが、
一度「それをやる!」と決めたのであれば、うだうだ余計なこと考えてないで眼の前のことに思いっきり向き合え、楽しめ、と思う。
他のコメントに、こんなのもあった。↓
うむ。納得。
ただ、この「アホな状態を作り出すには?」というのが新たな問い。
「アホになって目の前に向き合え」という理論を頭では理解できた。
けれど、実際にその場面になると小賢しい自分が「本当にこれでいいの?」と言ってくる。
変に頭がいい?中途半端で正論リアリスト?っていうのか?弱気?な自分を消すにはどうしたらいいのだろうか。
というか、こういう状態ってなんて言語化したらいいのだろう。もやもやする。
うまく言語化できないから、解決策も立てにくい。
小賢しい?正論リアリスト?プライドが高い?防衛機制?
どうしたら、この小賢しさの向こう側に行けるのだろうか。
意図的にアホになる方法とは?
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