怪我から4か月を迎えるところ~最終章~
前回のブログから2か月が経とうとする。
この2か月間、全くと言って書こうとする意欲が湧かなかった。
きっと、日々感じている事を文章にすることが難しかったのだ。
でも、やっとブログに書き起こしたいと思うようになった。
そして、僕の怪我に纏わる話はこれで終わりにしたいと思う。
そう思って久しぶりにブログを開いてはいるのだけれど、経った2か月前の出来事があまりにも鮮明に思い出すことができない。
以前、6年も前の出来事をすらすらとブログに書き起こせたのに…
この2か月間は自分でも不思議なような時を過ごしていた。
6月に入ってからの膝はあまり調子が良くなく、大きな改善が見られず僕もリハビリの担当者も焦っていた。状態としては膝の屈曲が100度までいったものの、そこから120度まで達するまでに2週間はかかった。
ほとんど足を使えていない状態だったので、見る見るうちに右足全体はやせ細ってしまった。少しでも良くなるためにできることはないかと、お湯に浸かってみたりもした。
せっかくリハビリで膝を曲げてもらっても、自分の力で曲げられるようにならない限り元の足に戻る事はできない。
リハビリ以外で膝を曲げている状態を沢山作らないと、固まった筋肉を伸ばすことは難しかった。色々と試行錯誤してもらっている中、僕が弱音を吐くことは許されないと思った。自主トレでも右足を反対の足で押さえながら、膝を曲げている時間を多く作った。
その結果、リハビリでの少しずつ角度を拡大することができた。6月下旬くらいから足全体の痛みが引け、足をついて歩くこともできるようになった。松葉杖も片側だけにして、少しずつ右足に体重を乗せるようにしていった。
自ら、家の周りを歩き始めた。右足で大地を踏みしめるようにゆっくりと歩いた。歩けることが分かると自信にも繋がり、距離も増やすことができた。
7月に入り、片松葉杖から腕で支える杖に変更してもらった。
痛みをほとんど感じなくなったおかげで、膝の屈曲も130度辺りから順調に角度を広げる事ができた。まだ完全にはしゃがむことはできないけど、生活の中で膝を曲げて生活する機会が増えていった。車の運転も最初は通院に行ける範囲で行っていたけど、職場に通える時間くらいは楽に乗る事ができるようになった。
そして、まだ不十分であるものの家でダラダラと過ごすよりかは、出来る範囲で仕事をしたいと思った。正直、怪我をする前のように完全に復活できるのはいつか分からない状況なので、動いていく中でそのように回復することを臨みたいと思った。こればっかりはいくら望んでも叶うかどうかは分からない。人間の身体ばかりは身体にしか分からないのだ。
それでも、前を向いて歩けるようになった。職場の方々にもご理解を頂き、できることをさせてもらえるようになった。こればかりは本当に嬉しく思った。まだまだ一人前の看護師とは言えない状況だけれども、また看護ができることに素直に喜びを感じている。
以上で怪我から仕事復帰までの4か月間を節目として、この話は終わりにします。本当なら僕は今でも山を駆け回っていたと思うし好きな看護について思うことをブログにするつもりでした。
思いがけない体験をしてしまったけど、これはこれで自分を見つめ直す良い経験だったと言えるのではないだろうか。
沢山の人に心配とご迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なく思っています。
きっとまたスポーツができるようになったら、するでしょう!!(笑)
もしかしたら、また怪我をしてしまうこともあるかもしれません。それでも、この経験を通して僕は走る事が好きだと再確認することができたし自然と生きる事が僕の人生になりつつあることがはっきりと分かったので、健康には十分に配慮しつつ貫きたいと思う。
それがきっと、自分らしく生きているって事だと思うから。
2020.7.26
追伸、これからは山でのお話や仕事に関する話、日常的に感じた事をテーマを持って書こうと思う。できたら1週間に1話。10日に1話。頑張る。
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