加害者の語りをどう受け止めるか(2019.12)

2019.12.28のFacebookより

https://www.facebook.com/100000734393542/posts/2885645298136588/?d=n


Abema Primeで顔と実名を公開し過去の性犯罪を告白した男性について雨宮処凛さんがハフポストで出した記事を見て、ショックを受けた。
(https://www.huffingtonpost.jp/…/karin-amamiya_jp_5e042cd6e4…)
私は雨宮さんを直接存じ上げないが、素晴らしい活動をされている方だと思っていたのでとても残念だった。

本題に入る前に、性犯罪者の語られ方について。今年の夏にNHKでやっていたETV特集「性犯罪をやめたい」(2019.6.8)という番組を見て心底うんざりした。
問題と思えたことは二つ。第一に、痴漢や強かんの犯罪者を「性嗜好障害」と捉え、アルコール依存症や薬物依存症と同様に扱うもので、そこに被害者がいるという前提が全く無視されているように思えたからだ。そして「障害」として個人の問題として矮小化されて把握されているように感じたからだ。(あんまりにも腹が立ったので、積読していた斉藤章佳さんの『男が痴漢になる理由』をその日のうちに読んだ。それで「あぁよかった」と思った。斉藤さんも番組で出てきたクリニックと同様に「依存症」として性犯罪の加害者に向き合っているが、被害者の存在がきちんと前提され、痴漢を許す社会構造についての問題提起も行っている。)
第二に、NHKの番組では、加害者には濃いモザイク処理がされており、逆にミニスカートをはいた女子高生の姿がモチーフとして使用されていた。誰が対象化され、誰が守られているのか、疑問を感じた。

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このことからも、Abema Primeの番組自体は悪くはなかったと思っている。
斉藤さんの「ほぼ10割が男性」「(小児性愛障害のという診断がついた人の)3割くらいが教職員」「自分の性指向が職業選択の基準となっている」というコメントは、とても恐ろしく、学校現場が現実を認識してきちんとした対応を取って行かなければいけないことを感じさせた。
「加害行為のトリガー」が「児童ポルノ」であるという指摘もやはり、重要だ。
「犯罪を犯す前に治療することが出来ないのか」という被害体験がある女性の疑問も、本当にその通りである。
何よりも、性犯罪を減らすためにできることを考えるという主旨が明確だったと思う。

話題となっている、過去の性犯罪を告白した男性が自身の顔を出して話したことについて、男性が顔と名前を出すことで「過去の自分にかたりかけるように、同様の問題を持つ人にメッセージを伝えたい」というのであれば、それはそれで良いと思った。

ただそれは、被害者に対する十分な配慮のもとで、性犯罪をなくすための活動をするという点においてである。

加害者は自身の行為を語ることが、自分自身や、被害者や、社会にとっていかなる意味を持つのか問い続けなければならない。自分の自己満足のためだったり、被害者へ「和解」を強要するものであったりしてはいけないのである。社会を変えるための行動でなければ、意味がないのである。

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話は少し飛ぶが、2000年に行われた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」では、元日本軍人の金子さんが加害証言をした。日本軍が犯した加害行為について告発してきた「中国帰還者連絡会」のメンバーである金子さんは、法廷で名前と顔を出して中国で行った強かんについて証言をし、「慰安所」についても語った。
金子さんは、当時から亡くなるまで歴史修正主義者などによる猛烈な非難を浴びた。
さらに現在でも、法廷の映像を「慰安婦」問題を考える学生たちと一緒に見るとき、金子さんの証言に違和感を感じると述べる人が多くいる。「被害者は苦しげに話しているのに、彼の態度はあまりにも堂々としている」というものである。

このことから元日本軍人が加害証言をすることを非難する人は二種類に分けられると思う。
① 男性たちが性加害をしていることを暴露されると困る人たち。加害証言をした人たちだけを「犯罪者」と仕立てあげようとした。
② 被害者は語れないのに加害者が堂々と話をするということに違和感を感じる人たち。

①は相容れない人たちなのでどうでもいいとして、②の意見に対する答えを私は持っている。
「中国帰還者連絡会」のメンバーであっても性的な問題について語る人は少なかったが、金子さんは「真実」をきちんと知らせたいという思いで証言を行った。女性国際戦犯法廷の関係者が金子さんに衝立のうしろから仮名でいいので証言をしてほしいとお願いに行ったところ、金子さんは衝立はいらない本名で構わないとして証言台に立ったほどだ。金子さんはその後もずっと自らの加害行為について語り続け、彼の証言は被害者たちの証言を裏付ける大きな役割を果たした。
私は「慰安婦」として被害にあった女性たちの支援活動をしてきた。韓国の被害者である姜日出さんは「あのおじいさんが話をしてくれてとても嬉しかった。私たちの言ってることが嘘ではないと証明してくれた」と何度も言っていた。一緒に法廷の映像を見ていたときに、金子さんのシーンで立ち上がって拍手を送っていた姿が今でも目に浮かぶ。
金子さんが「真実」を求めて証言をし続けた姿が被害者に受け入れられたのである。

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加害者が、自身の行為を加害として話すことは社会に違和感を与える試みである。
その違和感にどのような態度で向き合うのか、そのためにはなんのために語るのかが問われ続けなければならないだろう。

なので、番組に出演した男性が、番組公開後、Twitterで被害者と対話をしたいという内容をツイートしたことは言語道断だ。それだけでも一連の行動すべてが非難されてしかるべきだと思う。
何のために話をしたのか、自分の自己満足のためだったり、被害者との「和解」を望んだものではなかったか、考えてほしい。そうなのだとしたら、もう公で話をするのは控えた方がいいと思う。そうではないのだとしたら、今後の行動で示してほしい。

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そして雨宮さんのハフポストの文章…ショックだった。影響力がある方がこのような文章を書き、メディアに掲載することの意味をお考えになったのだろうか。
雨宮さんは、番組に出演した男性がいかに信頼できる人であるのかについて書き連ねている。その男性が雨宮さんの力になったということは十分に理解できた。………だから?
DV加害者は、外向きには良い人であることが多い。被害にあっている人に加害者がいかに良い人かを説くことは、二次加害でしかないということはもはや常識だと思っていた。性暴力の被害者は「被害をうけた経験」を心に刻み付けられているだけで、全人格が「被害者」となるわけではないということも、もはや常識だと思っていた。それは加害者だって同じじゃないか。被害者の行いが全て正しいわけではないのと同様に、加害者の行動が全て悪なわけではないことだって当然じゃないか。
雨宮さんはその男性と出会ったことで「絵に描いたような、まるでモンスターのような性犯罪者なんて、もしかしたらいないのかもしれない」と思ったと述べている。むしろこれまで「モンスターのような性犯罪者」に出会われたことがあるのか。私はない。だってあまりにも日常的に性被害にあっているから。加害者は普通に暮らしているすぐ隣にいる人だってこともみんなが知ってる常識だと思っていた。
「あなたが信頼する人から過去の加害を告白されたら、どうしますか」と問いたいとして、文章を終えている。どうもなにも…その過去を含めてもその人を信頼できるのであれば謝罪と回復への道を共に歩むだろう。「信頼する人」に対してそれくらいの覚悟もないのかな…。

個人の経験から問題を考えるという行為と、問題を個人化するという行為は異なる。でもその二つをごちゃまぜに考えている人が多いと思う。Abema Primeがやろうとしたことは前者で、雨宮さんがこの記事でなさっていることは後者であると思う。
社会運動がみんなが生きやすいよりましな社会を目指すものであるとすれば、「問題を個人化する行為」は間違っていると思う。
番組に出演した男性が信頼できる「仲間」だから戸惑っていらっしゃるようだが…じゃあそこまで信頼できる人じゃなかったら?知らない人だったら?態度が変わるのであれば、やはりおかしいのではないか。
性犯罪をおかした人がその症状を治癒しながら生きている。その人がいかに良い人かを謳いあげ加害の経験から目を逸らすのではなく、加害の経験とそれに伴う責任や痛みを共に感じ合い、その人の存在が社会を変えるどのような力になりうるかを共に考えていくのが社会運動だと思っていたし、そう信じたいと思う。

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斉藤章佳『男が痴漢になる理由』イースト・プレス、2017
金子さんについては...熊谷伸一郎『金子さんの戦争——中国戦線の現実』リトルモア、2005年
女性国際戦犯法廷については…VAWW‐NET Japan編『女性国際戦犯法廷の全記録』緑風出版、2002年など

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