創作大賞2024「雨の日の邂逅」
これは、同一タイトルで人物名や要素が共通する別の物語を展開して、見た人の感想が異なる状態を作ろうという試み、「玉虫企画」の一編です。
(今回は規約のためにタイトル名を分けています)
関連作:
消えた昨日の犯人(ミステリー)
はらからの恋(恋愛物語)
本文
今日は朝から雨だった。
窓の外に降りしきる雨を眺めながら、私、月宮明里は憂鬱な溜め息をついた。
梅雨というものは、どうにも気分を重くさせる。どんよりと広がる雲、耳朶を打つ雨音のノイズ。それらはまるで、就活に失敗した私の見通せない先行きを喩えているかのようだった。
だけど、そんな時こそ明るくあるべきだ。夜も過ぎればまた日が昇るし、雨の後にはタケノコも出る。雨だからと引き籠もってばかりいては、世の中も暗くなろうというものだ。
そうと決まれば出かけよう!
私はお気に入りの傘を開いて、雨降りの世界に踏み出した。
ぱらぱらと小さな雨粒が傘を打つ。路面に降り注いだ飛沫は霧となって辺りを染め、まるで幻想的な世界に見えた――のは一瞬のことで、雨はもう止んでいた。わずか4秒だった。余韻もへったくれもない。
それでも、雨の世界を堪能するために出てきたのだから、と私は傘を開いたままで歩いていた。
また降るかもしれないしね。何せこの空模様だよ? これで降らないわけがない。降らなきゃ詐欺だよ詐欺。金取れるレベル。それに今閉じたらなんか癪だし。だって裏切られたみたいじゃん。せっかく傘を差して歩き出したのに、嘲笑うみたいに止みやがってさ。このやろう。
心の中でぶつくさ言っていると、ブロック塀の上にいた黒猫と目が合った。「にゃーん」と鳴き声は可愛らしいが、その憎たらしい表情は、間違いなく内心でぐちぐち言う私を内弁慶の痛いヤツだと馬鹿にしていた。この誤解をそのままにしておくわけにはいかない!
「私は痛くない!」
どうだ! この完璧で一分の隙もない否定!
びくっと体を竦めた黒猫は、どうやら私の思いやりの深さを分かってくれたらしい。なかなか素直な黒猫ちゃんじゃないか。
よく見れば、黒猫の体は雨に濡れていない。恐らくは雨が止んでから、ひょっこりと出てきたのだろう。賢いな。だから、雨の止み際に傘を持って出てきた私を馬鹿にしたのか。賢しいな。
とはいえ、塀はまだ濡れているから、
「危ないぞ? 足元、気を付けな?」
注意喚起のつもりで指をつんと突き出してみたら「痛い!」引っかかれた。
でも私は怒らないんだ。心が広いからね。同じ雨の中に繰り出してきた同士じゃないか。一期一会を大切にしましょう?
腕を広げて受け入れる意思を示すと、黒猫は脱兎のごとく逃げ出した。猫なのに兎。ファンタジィ!
「恥ずかしがっちゃって! ういヤツめー」
去り行く背中に「このこの~」と指差していると、何やら背後から不穏な視線を感じた。ちらりと振り返ってみれば、近所の主婦が数人で私を指差してひそひそ何かを言っている。
見られた! 私が猫とコミュニケーションを取っているさまを! このままでは、私は猫とお喋りする痛いヤツだと、近所で後ろ指を差されてしまう! それだけは避けなければ!
「私は痛くない!」
どうだ! この完璧で一分の隙もない否定!
主婦たちも納得してくれたようで、そそくさとその場を離れていった。やはり人とコミュニケーションを取るのは気分がいい。一人で閉じ籠もっていちゃダメだ。
決意を新たに傘を閉じ、私は雨上がりの世界を歩き出した。
その瞬間「べちょっ」と何かが頭に当たった。まさかと思い、触ってみると、
「やっぱり鳥のフン!」
最悪だ! ずっと傘差してれば良かった!
忌々しく空を見上げれば、一羽のカラスが私を小馬鹿にするように頭上で旋回していた。降りてこいよ、焼き鳥にして捨ててやるから。
そうして上に気を取られていた私は「ぐにゅん」と何かを踏んでいた。このぬかるんだ感触はまさか……と足を上げると、
「やっぱり犬のフン!」
最悪だ! 雨上がりに流されていないから、間違いなくこれは出来立てほやほやのやつ!
「カァ」
無情に響く、カラスの一声。馬鹿にしてんじゃないよ!
「カァアアアアッ!」
カラスに負けじと私は叫んだ。そうする以外に、この鬱憤を晴らす方法がなかったのだ。
羞恥心すら捨てた私の大音声に、宙を舞っていたカラスは飛び去った。私は勝ったのだ。心はすり減ったけれど。
それにしても。フン掛けられるわ、うんこは踏むわ、猫は逃げるわ、傘差したら雨止むわ、近所のおばちゃんにひそひそされるわ、最悪すぎる。どうなってんだよ、今日の私の運勢。
心の中でぶつくさ言っている私は内弁慶の痛いヤツだけど、心はもう折れました! 絶望!
散々だ。もう帰ろう。
踵を返そうとしたところで、ふと一人の男性がこちらに向かってくるのが見えた。まあまあのイケメン……というか、わりかし好みだ。もしかして、これまでの不運は彼と出会うための布石だったのでは!?
そうは思ったものの、私は今の自分の惨状を思い出した。
ぼろんちょだ。むしろ、今は会わないほうがいいんじゃないか?
でも、私はもう、やけっぱちだった。この出会いに縋るしか、今の不運から抜け出す術がなかったのだ。
彼のほうへと歩き出す。すれ違いざま、ふらつく振りをして寄り掛かろうとして――車に、はねられた。
なんでだよ!? どこから出てきたんだよ!?
弾かれて、べしゃっと倒れ込む。幸いにも怪我はないようだが、車はそのまま走り去っていく。
「おい、ひき逃げ!」
呼んだところで止まりはしないが、ナンバーは覚えたからな。後で覚悟しとけよ。
「大丈夫ですか!?」
声に振り向くと、さっきのイケメンがそばにいた。近くで見ると、思ったより残念な感じだったが、この際、贅沢は言えない。
「えっと――」
「大丈夫ですか!?」
「はい。今のところ――」
「大丈夫ですか!? 意識はありますか!?」
「ええ、とりあえず――」
「大丈夫ですか!? 怪我はありませんか!?」
「あの、まずは話を――」
「大丈夫ですか!? 痛くありませんか!?」
「私は痛くない!」
どうだ! この完璧で一分の隙もない否定!
私の叫びに仰け反った雰囲気イケメンに畳みかける。
「『大丈夫ですか!?』って大声でうるせぇんだよ! 聞くならちゃんと返事を聞け!」
怒鳴った瞬間、背後で「バゴーン!」と雷が落ちた。思わず、振り返る。今の結構近かったな!
改めて男に向き直ると、男は仰け反ったまま膝を突いていた。そして、ぽつりと零す。
「女神だ……」
「なんでだよ!?」
反射的に声を上げると、空で雷がゴロゴロと鳴った。
「ほら、あなたの声に反応して空が鳴いている」
空が鳴いている!?
あ、駄目だ。こいつは痛いヤツだ。
「僕はこれまでの人生で、長い苦悩に耐え続けてきたんだ。子供の頃、集めていたセミの抜け殻を捨てられたり、当時嵌まっていたゲームの300時間を超えたセーブデータを消されたり、ラブレターを出す相手を間違えて怒られた挙句、本命に振られたり……」
ほらもう勝手に語り出す。しかも、クソみたいな過去自慢だし。
「でも、それらの苦悩は全て、こうしてあなたと出会うための試練だったんだ!」
さっきの私みたいなことを言っているけど、勘弁してくれ。
引きつっている私に、男がバッと手を差し出してくる。
「僕はあなたに恋をしました! あなたはこの世の誰よりも美しい! どうか僕を彼氏にしてください!」
彼の告白が脳を揺らし、気付けば、私の瞳からは涙が零れていた。
虚しすぎる。数多の不幸を耐え抜いた私に与えられた幸運の一片が、まさか、こんな男だなんて……。
「大丈夫ですか!? あなたに涙は似合わない!」
「うるさい!」
私は咄嗟に跳び蹴りをかました。蹴りは膝を突いていた男の顔面にクリーンヒットして、やっぱり雷は鳴った。
仰向けに倒れた男は、顔にうんこを付けていた。たぶん、さっき私が踏んだやつだ。蹴ったから付いちゃった。男はまるでフレーメン反応を起こした猫みたいに目を見開いていた。
「この跳び蹴り……もしかして、あなたは月宮明里さんですか?」
跳び蹴りで判明するの!?
「お前、ストーカーか!?」
「違うよ! 僕のこと覚えてない!? ほら、小学校で一緒だった、小日向照真」
言われて、思い出した。確かに小学生の頃、そんな名前の友人がいた。
***
小日向照真とは、家が近所というには遠いけれど、遠くというほど離れていない、微妙な距離だった。ただ、家の方角が同じだったので、登下校はよく一緒だったのを覚えている。
照真は変な奴だった。特に、セミの抜け殻を集めて家の塀に飾っていたのは、どこかの部族の儀式のようで気味悪がる人が多かった。当然、私も『気持ち悪いな』と思っていたので、照真の親に告げ口した。そうしたら、次の日には綺麗さっぱり消えていて嬉しかったのだが、照真はその日、泣きながら登校していたのである。本当に女々しい奴だと思う。
「もう泣くのやめなよ」
仕方なく慰めに掛かるが、照真はいじけたままだ。
「勝手に捨てるなんてひどいよ。あれは僕の宝物だったんだよ」
「いいことを教えてあげる。本当の宝物っていうのはね、1つしかないものなんだよ。たくさん集められるものは、大体、他で替えが利くの。例えば、お父さんは何人いる? お母さんは? 家はいくつある?」
「僕、お父さん2人いるよ?」
複雑な家庭やめろ。
「あと、別荘があるから家も2個ある」
金持ち自慢やめろ。
「でも、お母さんは1人だし、好きな人も1人だ」
「そうそう、そういうことよ。1つっていうのは、まあ、喩えであって、要するに数えられるくらいだったらいいの。そういうものこそ大切にするべきなのよ。分かった?」
「うん、分かったよ!」
照真は何やらキラキラした目をこちらに向けてきた。それが何だかイラッと来たので、私は跳び蹴りをかました。照真がくの字に曲がる。
「なんで蹴るの!?」
「蚊がいたのよ」
「足で仕留めれる!?」
「無理だったわ」
「そりゃそうだよね!?」
「うるさい。ほら、時間ないんだから、早く行くよ」
私は照真を置いて駆け出した。照真も慌てて追いかけてくる。
私は走りながら、たまにジャンプを加えて距離を稼いだ。本当はローリングが最速なんだけど、服が汚れるからね。
「なんで跳ぶの?」
「だって、犬のフンあるし」
忠告も虚しく、照真はうんこを踏んだ。
「ああっ!? そんなぁ……」
靴を激しく地面にこすりつけているが、そんなんで綺麗になるのか?
「ほら、ちゃんと跳ばないから、そういうことになるのよ」
言うと照真は反省したようで、私の動きを真似てぴょんぴょん跳ね始めた。その動きがあまりに馬鹿っぽかったので、私はジャンプするのをやめた。
「あと、うんこ臭いから近づかないでね」
結局、学校には間に合わなかった。既に登校時刻は過ぎていて、校門は閉まっていた。
「ど、どうしよう……」
おろおろしている照真だが、ほとんどはこいつのせいだ。意味もなくジャンプを繰り返して体力を消耗した結果、遅れてしまったのだ。
「門なんか乗り越えたらいいのよ」
私は校門に手を突いて、ひょいっと華麗に跳び越える。あとはしれっと教室に入り、『初めからいましたけど?』みたいな顔をしていればいい。
「ほら、あんたも早く」
促すと照真も同じように跳び越えようとして、門に足を引っかけた。金属製の門は「カァン!」といい音を立てて、照真の侵入を阻んだ。足を取られた照真は顔面から地面に突っ込み「ぶへっ」と呻いた。見えた靴の裏は片一方だけ茶色かった。
「どんくさいなぁ」
立ち上がった照真は顔面が血だらけだ。ちょっと近づきたくない。
「ジャンプのしすぎで足がぷるぷるしてるんだ」
「だから普通に走れって言ったのに」
「明里ちゃんが跳べって言ったんじゃないか」
「人のせいにするのか!」
照真に跳び蹴りしていると、指導の先生がやってきた。先生はカンカンだった。遅刻したことを怒られ、蹴ったことを怒られ、照真の顔の怪我を怒られ、照真がうんこ臭いことも怒られ、それはもう本当に酷い目に遭った。
だから私は復讐として、照真のゲームのセーブデータを消した。これに関しては文句を言われていないから、たぶん私のせいだとはバレていない。
そんな照真がある時、転校することになった。
「もう1人のお父さんが住んでる別荘に行くことになったんだ」
だから複雑な家庭環境やめろ。
そういうわけでお別れの会を開いたのだが、当日、会場に現れた照真はなぜか半泣きだった。事情を聞いてもだんまりだったので、私は照真と一緒に来た星野という女子に話を聞いた。星野は怒りながら話してくれた。
「小日向くんに手紙で呼び出されたんだけど、行ったら『間違えた』って言うの。どういうことかって聞いたら、ラブレターを出す相手を間違えたって。呼びたかったのは私じゃないって。もう本当に最低」
星野はぷんすかと怒っていた。本当に「ぷんすか」と言っていたので、割と痛いヤツだったとは思う。それでも照真が酷いことをしたのに変わりはない。
「おい、聞いたぞ。お前、酷いヤツだな」
なじると照真は涙目になった。
「本当に間違えただけなんだよ。悪気はなかったんだ」
「悪気はなかったで許されるわけないでしょ。人を傷つけたことに変わりはないんだから」
言ってから、自分もブーメランかもしれないと少し思い、
「ちゃんと反省して謝りなよ」
と言葉を濁した。
「もちろん謝ったよ。だけど、怒ってて許してくれなかったんだ」
「そういう時は、もうしょうがないから諦めよう」
「うん。明里ちゃんに教えてもらった通り、替えが利かない1人を大切にするよ」
こいつもなかなか畜生だな。
「でも、本命の子に告白するのはやめときなよ」
忠告すると、照真は「えっ」と青ざめた。
「だって、そうでしょ? 相手を間違えるって最悪じゃん。それで改めて告白されても信じられないし、間違える程度なんだなって思うし」
「……そっか」
ぽつりと零した照真は「じゃあ、やめとく」と言って笑った。笑いながら、泣き出した。その理由は、私には分からなかったけれど。
そうして、少しだけもやもやした気持ちを残したまま、照真は引っ越していった。まあ、3日も経てば忘れてしまったわけだが。
***
「お前、あのお父さんが2人いる小日向照真!?」
「うん。今はもう、義理の父親しかいないけどね」
だから複雑な事情やめろ。
私が明里だと判明した途端、顔に付いたうんこを水溜まりで洗っていた照真は、ぱあっと笑顔になった。
「これはもう運命だよ! 僕たちはこうして長い時を経て、今再び巡り会えたんだ!」
泥水も滴る笑顔の照真に対して、私は渋面を崩せない。一人で勝手に盛り上がるの、やめてほしいなぁ。
「明里ちゃん。僕はあの時に言えなかった言葉があるんだ。今なら聞いてもらえるかな?」
そう言って、真剣な顔をした照真は私の返事を待たずに続けた。
「僕は明里ちゃんが好きだったんだ。今こうして再び巡り会って、やっぱり恋をしたことを、僕は運命だと思う。あの時は間違えてしまったけれど、僕はもう二度と宝物を間違えないから」
トゥンク――
なぜか、私の心が震えた。そして、ふわりと温かい気持ちになる。そういえば、こんなに真正面から好きだと言われたのは、一体いつぶりだろう。
「それ、本当なの? ていうか、私を好きって、なんで? 自分で言うのもなんだけど、私、結構酷いことしてたよね?」
正直、照真が私を好きだというのは想定外だった。私にとって照真は、完全に都合のいい相手でしかなかった。だから雑に扱うことができたわけで。
「酷いこともされたけど、いつもそばにいてくれて、なんだかんだ支えてくれたから」
照真ははにかんでいた。その様子を見て、私はいたたまれなくなる。
『悪気はなかったで許されるわけないでしょ。人を傷つけたことに変わりはないんだから、ちゃんと反省して謝りなよ』
かつて私は照真をそう責めた。それなのに、私は照真を傷つけて、謝ることなく許されている。先に許されてしまったら、私は一体どうやって自分のした理不尽な行いにけりをつければいいんだろう。けりをつける……跳び蹴りか?
私が立ち尽くしていると、照真は急に慌て出した。
「明里ちゃん! 頭から膿が出てる!」
「えっ、嘘っ!?」
「さっきの事故で打ったんじゃ……」
そう言って照真が触れる場所には覚えがある。
「それ、カラスのフンだよ。さっき引っかけられちゃって」
手で隠そうとすると、
「ああっ! 指、怪我してるじゃん! やっぱりさっきの事故で……」
「ううん、これは猫にやられたの」
それでも心配そうな照真に、私は苦笑してしまった。こんなに些細なことでも大袈裟に心配してくれる人が、今の私にもいるんだな。
猫に引っかかれたり、鳥のフンに当たったり、犬のフンを踏んだり、私を好いた人に跳び蹴りしたり。フンだり蹴ったりな1日だけど、少しだけ運気は上向いた気がした。
「ごめん。今日は私、酷い姿だから、また今度、改めて会えないかな。良かったら、連絡先教えて?」
彼の望みを叶えることで過去の償いができたら……なんて、虫の良すぎる話だけれど。それでも、やらずに逃げるよりは、ずっといい。
「ありがとう、嬉しいよ」
私がスマホを見せると、照真もスマホを取り出した。照真のスマホの待ち受け画面には、照真と女性と赤ちゃん、3人の写真が映っていた。
「えっ」
えっ。
強張ったまま照真を見ると、照真は何でもない顔で笑った。
「ああ、これ? 僕、結婚してるから」
ぴしり、と心が音を立てて崩れ落ちる。衝撃は激情となって爆発した。
「不倫じゃねぇか!!!」
私史上渾身の跳び蹴りが炸裂して、照真がくの字に曲がる。やはり近くには雷が落ちた。
了