リモートツーリズムが人から与奪するものと後なんか色々
リモートツーリズム、リモートツアー、バーチャル観光、バーチャルツアー。コロナウイルスの感染症の状況呼応するかのように、続々とこのようなサービスを見かけることが多くなった。
そんな折、このリモートツアーのような体験をしたもので、そこから感じたことや考えたことを書いていきたいと思う。
単純に良かった点というより、これってどうなんやろ? と感じた点に関して述べていくわ!
観光よりも旅らしいねや
今回のリモートツアーは、ある意味では非常に「旅」らしい内容のように思えた。観光は、「非日常」を求める活動とは云うものの、事前に情報を調べてしまっていることが多いので、割と日常的な活動であると言える。
今回は、事前に(リモートでの)行き先を調べることも無く、ガイドさんの方に、それもよく知らない場所について説明してもらいながらのものだったので、非日常的と言えるかもしれない。或いは異日常的かもしれない。
ある観光地についてくまなく情報を知らべまくって、情報の消費をするだけよりも、幾分か日常から脱している感があるのが、今回のリモートツアーであったが、やはりその場に赴いてこその特別感や雰囲気もあるので、一概に断言することは難しいだろう。
まなざしが狭い!
これは、このリモートツアーの欠点とも言えるかもしれない。私が今回取得した情報やイメージや印象は、すでに誰かによって編集された情報である。つまり、私は私自身の目ではなく、ガイドさんと同じような目でしか観光地を捉えることしか出来ていないということかもしれない。
見えているのは、通話画面上に表示される風景やその画像。その時点で既に狭隘な視点であることを忘れてはいけない。その上、その都度耳に入るのは、他人の解説がほとんどであって、そこに「私がその場にいてどのように感じたか」というものはない。
知らない誰かの情報や視点が、そのまま自身のものとしてコピーされる。或いは再構築され、構造化する。
これって、「私」の視点なのかな? とずぅ~っと思っていた。
観光は必ずしも移動は伴わない、そんで
最近思うようになったことが
観光って、必ずしも「移動」が必須条件ではないのかなということだ。最近のGO TOキャンペーンは、おそらく「移動」を伴う観光を支援するものであるが、それが観光全てを表現し得るとは思えない。
そもそも「観光とは何か」をここで問わねばならないと思うし、というか最近「観光」が一体どんなものであるのかが、分からなくなってきてしまった。
移動も必須条件じゃない。
何を体験することが観光なのか?。
誰の目で捉えることが大事なのか?。
観光とは存在するのか?。
観光地とは何なのか?。
観光客とは誰なのか?。
旅とはなんだろうか?。
超日常とはなんだろうか?。
非日常とはなんだろうか?。
日常とはなんだろうか?。
観光は成されるべきなのか?。
観光とは何か・・・?
やればやるほど分からないことがどんどん出てくる。
観光学専攻で一番観光のことが分からないってどんな皮肉やねん。
と
今日も大学生は惟っている。